146話 黒い勇者、逆襲の一手を打つ
黒い勇者がゆっくりとした動作で立ち上がる。
負った傷口からは血を流してはおらず、呼吸をしていないので息を荒げるわけではないが、それでも傷ついた勇者がもはや満身創痍なのが伝わってくる。
『……これは何かの間違いなんだ……でなければ、この私が、神セドリックとして振る舞ってきた20年という月日が無駄に────ガアァァァァああああああ!』
「な?……またあの竜息か……これ以上森に被害を出すのはぬらして欲しいんだがな……って」
その勇者が言葉を発するために動かしていた口を、突然大きく開いたかと思うと。
瘴気に侵蝕され変貌した女勇者が、竜王の刎ねた首を取り込んだ直後に放った、森に大穴を空けたあの黒い閃光を開いた口から吐き出していく。
だが、不意を突くには竜息を溜め、吐き出すまでの一連の動作が遅すぎる。
今の魔王の反応速度と脚の速さならば、幅こそ広いもののほぼ直線的な竜息など普通に飛び退いて躱せる……はずなのなだが。
「な────……し、しまった⁉︎……この後ろにいるのはっ?」
運が悪い事に。
黒い勇者が竜息を放つ魔王の背後には、未だ生死の境を彷徨っていたレオニールとその治療を続けるアステロペと海の女王がいた。
その事に気付いたユーノとバルムート、モーゼスが素早く動き出し、魔王の遥か背後で治療を続ける三人を竜息の射線上から移動させようとするが。
今からでは到底間に合う筈がない。
「雷獣戦態」で身体に纏った魔力を防御に集中すれば、何とか大地の抉り、森に大穴を空けた程の威力の黒い閃光が直撃しても耐え凌げるだろう。
魔王は真横へ飛び退く体勢から、両腕を大きく広げて自分の前面に纏っていた膨大な雷属性の魔力を展開して、迫る黒い閃光を真正面から受け切る体勢だ。
『はっはっは!……背後にいる足手まといを庇って喰らうか、それとも我が身可愛さに配下を見殺しにするか……どちらかを選べ魔王っ────奈落の竜息!』
閃光が背後ヘと漏れないように、分身体も自分の位置へと呼び寄せて一緒に雷光による防御壁を形成していく二体の金色の魔王。
瘴気を纏った黒い竜息と。
金色に輝く雷光の防御壁が衝突し。
魔王は二体掛かりで黒い閃光の威力を受け止め、抑え込みに成功したように見えるが。竜王の祝福に瘴気が上乗せされた竜息には二体で受けてようやく力の均衡を保っていた。
『はっはっは!配下の盾となる選択をしたか、見殺しにしておけば消耗した私などあともう一押しで倒せたのかもしれなかったが……つくづく愚かな生き物だ、魔族とはな────見よ!』
すると、何故か竜息を吐きながら声を出せたのか……その謎が明らかになった。
突然、目の前の黒い勇者の頭部からメキメキ……と立派な形状の二本の鹿角が生えてきたのだ。
それは、城で戦った竜王が漆黒の鹿杖を取り込んだ時に見せた、変貌だったが。
この黒い勇者の頭部には、角以外にも明らかな変貌が見えた。
もう一つの口が額に作られ、先程から黒い勇者が喋っていた言葉は全てその口から発せられていたのだった。
その口が、へらず口を叩くのをやめ。漆黒の鹿杖本来の祝福である、複数属性の魔法を自在に行使するその力を披露していく。
現状、何とか二人掛かりでギリギリ威力と防御の均衡を維持出来ているこの状況へ。
漆黒の鹿杖による攻撃魔法が上乗せされてしまえば均衡は容易に崩れ、防御壁が破られた魔王だけでなく。
背後のレオニールの治療班、下手をすればその三人を救援に走るユーノらまであの「奈落の竜息」に巻き添えを喰らうだろう。
今となれば「三重閃影」を使い、あらかじめ三体に分身しておけばよかった、と後悔しても遅い。
分身を生み出すためには、まず一度雷撃の防護壁を消して体内で雷の魔力を練り直す必要がある以上、この均衡を保ったまま三体に分身するのは無理なのだ。
……解除した途端、全員が黒い閃光に飲まれてしまうからだ。
「────どうする、俺様?……選択肢を間違えたら、全員が……やられる……」
だが。
どんなに頭を悩ませても、この場における最適解が魔王の頭には浮かんでこないのだ。
そして……魔王に許された時間が終わる。
額に出来た口が紡いでいた詠唱が完了したのだ。
頭から生やした鹿角の先に集まっていくのは、風の魔力。
『撃ち抜いてやるぞ────解放する嵐げ……』
『ぎいっっつ⁉︎……な、何だこの絡み付く黒い鎖はっっ!ま、魔力がっ……す、吸われ、いや……喰われていく、だとおおお?』
発動寸前での魔法だけでなく、本来の口から吐き出していた闇の竜息までもが打ち消され。
驚愕する黒い勇者の身体に絡み付き、動きを拘束していくのは何処かで見た記憶のある、黒い鎖。
だが、先程隙を突いて黒い勇者の右腕を斬り落としたモーゼスも含めて、魔王の主だった仲間はレオニールの側へと集まっている。
と、なれば。
思い当たる人物など、一人しかいない。
「はっ────何処行ってたんだアズリア」
鎖を辿るその先に視線を向けることなく、魔王は思い当たる人物の名前を口にする。
その時の魔王の表情は心無しか、にやけているように見えた。
魔王の指摘通り、黒い勇者を魔術文字で作成した黒い鎖で拘束していたのは、行方をくらませて心配をかけていたアズリアだったのだ。
そもそも、その黒い鎖は魔王城の地下に安置されていた「大地の宝珠」の魔力や島の大地への恩恵を遮断していた魔法の鎖。
かつて、歴代の高位の魔族が一切手が出せなかった宝珠の周囲に張り巡らされ、干渉を許さなかった鎖を、アズリアが解き放ってくれたのだ。
この地に住まう魔族や獣人族にとって、忌々(いまいま)しい記憶しかないこの鎖によって。
まさか窮地を救われる日がこようとは、思ってもいなかった魔王リュカオーンであった。




