144話 勇者、鉄拳の逆鱗に触れる
不意にユーノの巨大な籠手に黒い手が伸びたかと思った、次の瞬間。
その黒い手が黒鉄の籠手を掴んだ箇所が、まるで陶器の皿のように割れ、そこから大きく亀裂が走っていく。
「ば、馬鹿なっ?……いくら万全な発動でないとはいえ、ユーノの『鉄拳戦態』の装甲を一握りで破壊する……だとお?」
その様子に、ユーノ当人はさして驚きを見せなかったものの、魔王の壁になる位置でその様子を離れて見ていたバルムートは、信じられないといった表情で動揺していた。
『……いいだろう。魔王の首を刈る前の余興としては悪くない。まずは小僧、貴様から死を賜わるがよい!』
「ざんねんでしたあ!……ボクは『こぞう』なんかじゃなくって、れっきとしたおんななんだぞっ! おぼえとけっ!」
勇者の言葉に憤慨するユーノ。
どうやら黒鉄の籠手が勇者によって砕かれそうになっている現状よりも、自分の性別を男だと間違われたことのほうが、ユーノには大事なことだったようだ。
「くらええええ──黒鉄の螺旋撃っっ!」
掴まれていないもう一方の籠手を、嵌めている腕を軸にして激しく螺旋状に回転させていき。
激しく回転する巨大な鉄拳で、今度は黒の勇者の顔面へと撃ち放っていく。
だが、やはり最初の拳と同じく。
顔に拳が到達するのを阻むように、顔と拳の間に見える程の濃い瘴気が発生し、ユーノの渾身の一撃すら防ぎきっていた。
しかし、ユーノは諦めない。
「────う……うわぁああああああああっ!」
雄叫びと共に、勇者の顔に放たれた拳に集中していくユーノの魔力が、籠手の回転の速度をさらに増していく。
鉄拳の先から、回転により生じた火花がバチバチと散っていき、徐々にではあったが瘴気の壁を押し込み、勇者の顔と鉄拳との距離が縮んでいく。
「ま・だ・だ・ああああっ!……ぶちぬけええ!」
そしてついに、瘴気の壁を貫通するユーノの拳が黒の勇者の顔面を捉える。
『……な、何だとお!……防御結界を破壊する術も知らないこのような子供に……私の顔を傷つけられるだと……し、信じられない……』
その一撃の威力は、勇者の身体を吹き飛ばす程効いてはいないものの、体勢をよろめかせ、掴まれていた手を振り解くには十分すぎる威力だった。
勇者だったモノが見せた大きな隙を見逃すユーノではない。
「ここだああああ!ユーノひっさあつっっ────ちょうすごい! こぶし・れんだれんだれんだっっっ! くらええええええ!」
拘束から解放されたもう片方の籠手をも激しく回転させながら、怯んだ勇者の顔や身体に次々と回転させた鉄拳を連続で浴びせていくユーノ。
二撃、三撃、四撃……十撃と。
息も吐かせぬ連続攻撃で、勇者が纏っていた瘴気が晴らされていき、拳の一撃一撃が勇者の身体へと深く突き刺さっていく。
巨大な鉄拳を何度も直撃を受けてなお、まだ両足を地に着けたまま踏ん張り続けていた黒の勇者は、何とかユーノへと片手を開いて突き出すと。
『……ちょ、調子に乗るな獣風情があああっ!遊びは終わりだ────堕ちた英雄の……』
バルムートが三重の壁を張り、何とか防御しきった黒い槍を射出する動作を取る勇者。
完全に攻撃に傾倒しきっていて、今その魔法を放たれてしまえば、勇者の言葉通り串刺しにされていただろう。
……だが、そうはならなかった。
「────調子に乗っているのは貴様じゃ」
カチン、と振り抜いた刀身を杖に戻した音。
と同時に、ユーノへと突き出していた腕が半ばから綺麗に切断され、その腕が地面へと転がり落ちる。
ユーノは、自分の窮地を間一髪で救ってくれたその人物の名前を呼ぶ。
「……おじいちゃんっ!」
「ユーノよ、熱くなりすぎると周りが見えなくなるのがお主の悪い癖じゃよ。だがのぅ……」
気配を完全に殺していたモーゼスの接近に、防御結界を無効化する剣閃を放たれ、腕を斬り落とされるまで全く気付かなかった黒の勇者。
『ガアァァァァァァァァ────か、身体が灼けるううゥゥゥゥゥゥ⁉︎……馬鹿な馬鹿なああああ?』
行き場を失った「堕ちた英雄の槍」を射つための魔力が暴発し、勇者の身体を駆け巡り、体内が魔力で灼かれているのか。
身体のあちこちから黒い煙をあげ。
苦悶の表情と苦しそうな呻き声を漏らす勇者。
その様子を冷ややかな視線で見つめる老魔族。
「……此奴が纏っているのは、我ら魔族とは全く別物の、禍々(まがまが)しいほどの瘴気よ……積もる小言は、まずはこの異形を討ち果たしてからじゃ」
「うんっ、だね」
「──そう、だな」
その老魔族の言葉に、苦しみ悶える勇者以外の全員が、背後に控えていた主役へと視線を向けた。
ユーノ。
バルムート。
そしてモーゼスの視線の先には。
身体に魔力を漲らせながら、動作や詠唱を完全に終えて後は雷属性の攻撃魔法を発動させるのを待つのみの、魔王リュカオーン。
本来ならば「雷獣戦態」を発動させる際に、上級魔法の「降り注ぐ雷撃」を使うのだが。
今、魔王がその身体に充填している魔力量は上級魔法どころか、超級魔法を使用する魔力量を遥かに凌駕していた。
「見せてやるぜ、西の魔王リュカオーンの真の姿……ってやつをな!」
魔王が両手を胸の前で交差させ、魔力を腕に集中させていくと、魔王の周囲には腕から漏れ出した雷光で作成された複数の複雑極まりない術式が浮かび上がる。
そう、この魔法は魔王リュカオーンが独自に研究し編み出していた、超級魔法を超える威力を誇る、創作魔法。
「解き放て俺様の魔力を────荒れ狂え雷神槍・激っっっっ‼︎」




