143話 魔王、剛嵐と鉄拳に託す
「……お兄ちゃん、ここはボクに任せてっ!」
どうにか時間を稼ぐ方法を考えていると、先程まで勇者が発する濃い瘴気をマトモに受けて身体を震わせていたユーノが、自分からその役割を買って出てきた。
だが、相手は魔族ですら持ち合わせていない瘴気を発するような化け物だ。魔王もおいそれと自分の妹であるユーノを戦わせたくなかった。
しかも今のユーノは魔王と同じく、先程木に叩き付けられた際に「鉄拳戦態」を解除しているのだ。
「……ユーノ、お前一人でどうにかなるような相手じゃねえ、俺様に構わず……逃げろっ!」
魔王は一歩前に出ようとするユーノを、手を伸ばして制止し、この場から離れるように怒鳴りつける。
いくら時間を稼ぎたいとはいえ「鉄拳戦態」を解除したユーノを捨て駒にするには、魔王の誇り……というよりも兄としての矜持がソレを許さなかったのだ。
だが、制止する魔王の腕を両手で押し除けて前に出ようとするユーノ。
「何言ってんのお兄ちゃん、アイツを倒すために……ボクが時間かせいでるあいだに、とっとといつもの準備しちゃってよっ」
すると、ユーノとは反対の肩をポンと叩かれる。
手を置いたのは、一度は勇者に胸を斬られて戦線離脱したはずのバルムートだった。
「……ユーノ一人で役不足ならば、俺も時間稼ぎに加わろう。何、俺とユーノ……二人がかりならば魔王が『雷獣戦態』を発動する時間くらいは作れるだろう?」
「……お、お前ら……」
獅子人族の族長という立場上、一旦言い出すと後には引かない性格のユーノ。
そして、普段はその外見に見合わず他人の意見を尊重する聞き上手のバルムートだが、その彼はユーノの意見を支持してしまっていた……こういう時のバルムートは途端に頑固になるのだ。
魔王は左右それぞれに立つユーノとバルムートの二人の顔を交互に見ながら、これ以上異論を挟んでも無駄だと、諦めの溜め息を吐きながら。
「……わかった。俺様が『雷獣戦態』を発動させる時間稼ぎを二人に頼む」
表情をあらためて、一歩後ろへと退がると。
二人へと頭を下げながら、あの勇者への足止めを頼み込む。
「────うんっ!任せてお兄ちゃんっ!」
「おお!この『剛嵐』バルムート、今度こそ奴に遅れは取らん!……んん?ユーノよ、今お主……魔王を『お兄ちゃん』と呼ばなかったか?」
バルムートの指摘を受けて、すっかり油断していて二人きりの時の呼び方を許していた魔王は、照れ隠しなのかユーノの頭を軽く叩く。
何か言いたげな表情でユーノは魔王のほうへ振り向くが。
目の前の黒い勇者が黒槍を持たない側の手を広げてこちらへと突き出し、手のひらの前に身体から溢れ出していた瘴気を収束させていたのに気付き。
黒い勇者へ向き直り、構えを取るユーノとバルムート。
『最後、三人で語り合う時間もそろそろ終わりだ。死に方を選べないのなら、私が一番だと思う方法で死ぬがいい!────堕ちた英雄の黒槍・一閃!』
ユーノは獅子人族ならではの素早い動きで軽々と勇者から放たれた黒い槍を回避していくが。
バルムートは黒い槍が迫るというのに、その場から動こうとしない。
「……バルちゃん⁉︎……なんで避けないのっ?」
『貫通力に特化した英雄の光槍を瘴気で染め上げ威力を増した魔法だ!……今さら何を小細工しようが防ぎきれるモノではないぞ!』
だが、わざわざ放った黒い槍の解説をしてくれている勇者へ、バルムートは不敵な笑いを浮かべながら。
愛用の武器である巨大な戦斧の柄先を地面に突き刺していく。
そして、バルムートの足元から迫り上がってくるのは初級魔法の「土の壁」。
「はっ!……俺たちが二人ともこの場を退いたら役割は誰が果たすのだユーノよ。それにな……貴様こそあまり俺たちを舐めるなよ」
完成して土壁に勢いよく突き刺さる黒槍。
その威力をまともに受け、崩壊する土壁によって周囲に盛大に巻き上がる土埃。
黒の勇者は、真正面からまともに「堕ちた英雄の黒槍」を受け、貫通されたバルムートを視認しようと、土埃が晴れるのを静観していたが。
『……何?堕ちた英雄の黒槍が、届いていない……だと?』
先に異変を感じ取って驚きの声を発したのは、黒い槍を発動させた側である勇者だった。
巻き起こった土埃が「土の壁」を破壊した勢いでは考えなれない量であったことに違和感を覚えたのだ。
そして……土埃が徐々に晴れていくと、その中心部分には戦斧を構えて立っていたバルムートの姿。
彼は、黒い槍の直撃を受けたにもかかわらず全くの無傷であった。
「……やってしまえ、ユーノ!」
「とうぜんっ!最初っから全力全開でいっくよおおおおっ!」
バルムートが何故「堕ちた英雄の槍」を防御出来たのか。
まず何を起こしたのかを悟らせまいために張った一枚目の「土の壁」の裏で。
今度は、愛用の武器「剛嵐の戦斧」に秘められている風属性への相性を使って、同じく初級魔法の「風の壁」を形成し。
風の壁を挟み込むようにもう一度「土の壁」を発動、合計三枚の異なる属性の防御壁をバルムートは張っていたのだ。
ただ「土の壁」を三枚重ねただけでは高い防御効果を得られないため、どういった理屈なのかはバルムートも理解してはいなかったが。
初級魔法なので、さしたる魔力も発動の手間や時間もかからず。
しかも効果は見ての通りだ。
完全にバルムートを視認するつもりで、意識を彼に集中していた勇者の背後から。
バルムートが稼いだ僅かな時間で、無詠唱の地属性魔法を唱え、簡易的な「鉄拳戦態」を纏ったユーノが、その巨大な鉄拳を振りかぶり。
黒い勇者の背中へと、その拳を直撃させていく。
────だが。
『……何をしたのかは知らないが、一閃で放ったとはいえ私の槍を防ぎ切り、さらにはその時間を利用して戦況を整えてくるとはな。見事な連携だ……相手が私でなければ、の話だがな』
ユーノの全力の拳を防御する素振りも見せず、直撃したはずなのに。
「う……嘘っ?ボクの拳が、ぜんぜん効いてないなんてっ……?」
その拳と勇者の身体の間には濃い瘴気が可視化出来る程に渦巻き、ユーノの拳が身体に命中するのを防いでしまっていたのだ。
時間が無かったことで万全ではなく簡易的な「鉄拳戦態」だとはいえ、全く通用しないという結果に驚きの声をあげるユーノ。
『だが……如何せん、攻撃の威力があまりに不足していたな。その程度で私の前に立ち塞がるなど笑わせる』
心の傷に追い討ちをかけるように侮蔑の言葉を浴びせる勇者だったが。
すぐに笑顔に戻るユーノ。
その顔は、攻撃が通用しなかったことで諦めや負の感情による笑顔ではなく、それとは真逆の……いまだ何か希望の光を見いだすような顔だった。
「いいんだもん、ボクが頑張ればその分魔王サマは強くなってくれるからっ……あくまでオマエを倒す主役はボクじゃなく魔王サマだからっ!」
その背後で。
二人が黒の勇者に立ち向かう姿を視界へと入れながら、詠唱と動作で発動に足る魔力を構築する魔王リュカオーン。
充填まで────まだ、半分にも満たず。




