42話 アズリア、生命を奪う覚悟
コイツは、ここで止めないと駄目だ。
でなければ──再びまたアタシの知らない何処かで、愉悦のまま剣を振るい、他人の生命を奪う。
人を殺すな、などとアタシが言える義理ではない。
エボンの時にはまさか刃に致死毒が塗られているとは思っていなかったため、結果的には生命を奪う覚悟はしていなかったが。
つい先程、アタシは他人の生命を奪ってきたばかりだ。
大陸を旅してきたこの七年間で、傭兵稼業や対立する勢力に剣を向けられ、生命の奪い合いにまで発展する事は多々あったが。アタシが「殺さないといけない」とまで思ったのは、今この場を含めても数は少ない。
それでも、アタシだって幾人の生命を絶ってきた自覚は……ある。
だが、目的などなくただ生命を奪う。それだけの目的で人を斬る狂気に染まったこの男と対峙して、アタシはその覚悟を決める。
すなわち──目の前の男を殺す覚悟を。
「いいですね……その眼だ。怯える弱者や丸腰の相手ばかりを斬っても張り合いがない。私が今以上の高みに昇るために、是非とも貴女にはその踏み台になってもらいますよ」
男はアタシへと気味の悪い笑みを向けながら、聖銀製の長剣の刃を指でなぞっていく仕草を見せる。
「新しく購入したこの聖銀の剣に血を吸わせるのは、貴女でちょうど十人目になります……せいぜい足掻いて下さいよ」
「あいにくと、アンタの踏み台にはなってあげられそうにはないねぇ……アタシにはまだやらなきゃいけないコトがあるんだからさ」
アタシは、1等冒険者が先程放った「見えない風の刃」を警戒するために、言葉を続けながら。
角灯に照らされてはいるが、それでも明度の低い地下区画で、目を凝らして男の一挙一動に注意していく。
「貴女の都合など聞いていませんよ……それでもここから生きて出て希望を叶えたいなら、貴女の剣で私を斬り伏せて叶えてみることですね」
「……ああ、そうさせてもらうよ」
言葉を交わし終えると、アタシは愛用の大剣を両手で構え、魔力を体内で循環して身体の一部分へと集中させていく。
残念ながらアタシは、生まれながらに一般に用いらている魔法を使う能力をこの右眼に奪われた、といっても過言ではない。
だが取って変わる魔術文字が、アタシの右眼には宿っているのだ。
その右眼に、魔力を注ぎ込む。
「アンタが見せてくれた戦技、そして聖銀で出来た魔剣のお礼に……アタシも面白いモノを見せてやるよ」
「……ほう?いいでしょう……せいぜい足掻くといい。全力の貴女を斬ってこそ私の剣の糧となるのですから」
これで右眼の魔術文字をいつでも発動する準備は出来た。
だがアタシは右眼の魔術文字を敢えて発動せずに、風の刃で斬られた頬の傷から流れる血を指で拭い取り、その血で大剣の刀身に魔術文字を描いていく。
そう──精霊界でのネモとの模擬戦で気付いた、火を宿す「ken」の魔術の応用。
「我、勇気と共にあり。その手に炎を────ken!」
大剣に炎の魔力が宿り、刀身が白熱に輝く。
高熱を帯びた大剣の周囲の空間が不意に歪み、ゆらゆらと揺れ動いているように見える。
燦々と赤く焼けた大剣の光によって、薄暗く視界が不十分だった地下区画が照らされ、視界が良く通るようになった。
「──ほう、貴女の剣も同じく魔法の剣でしたか。なれば私の剣が聖銀だったから……などと負け惜しみを一々聞く必要も無い訳ですね」
アタシの大剣が白熱し、揺れる熱気に包まれるのを見て、自分の魔剣と同じく魔法の武器と断ずるベルトブリッツ。
残念ながらアタシの武器は魔剣じゃあない。
男が持っている魔法の知識では、その程度の推測が限界なのだろう。
「待たせて悪かったね……それじゃアタシも時間が惜しい、だから勝負は一撃で決めるよ」
「言葉にするのは容易いですが、それをこの私がみすみす許すと思います────かっっ‼︎」
アタシは間合いを詰めるために石畳を蹴るのと同時に。
男が烈昂の気合いを込めた声を吐き出すと、構えた聖銀の魔剣で空を二度、交差させるように斬撃を放つ。
「まだですよ!無数の見えない風の刃が貴女に受け切れますかっ!」
一度だけではない、二度、三度と連続で剣を振るう。
先程見せた、一振りで二度の風刃を生み出す自慢の戦技を何重にもアタシへ浴びせてきたのだ。
「ぐ……ぐッ?やっぱり全部は防ぎきれないかッ!」
飛来した見えない刃が、右の脚が大きく切り裂く。
傷口から噴き出す鮮血。
まだアタシの大剣の攻撃距離の外にいるならば、間違いなくあの男は間合いに寄せまいと風刃を撃つと読んでいたアタシは。大剣の広めの刀身を上半身の盾にして風の刃から身を守る。
「はっ!炎を噴き出す身体強化魔法とは初めて見ましたが、魔法で速度を上昇させての捨て身と決めて特攻ときましたか──ですが!」
だが、防御出来る範囲は限定されている。敢えて防御することを放棄した脚へと飛んできた風刃により脚の肉が何箇所か切り裂かれ。
傷の痛みが邪魔をして、突撃の速度が鈍る。
「当然、貴女がそう動くことは読んでいましたよ!……故に脚を狙ったのは正解でしたね、動きが鈍ってますよ!」
悔しいが確かに、男の言う通りだ。互いの手を読み合う勝負というだけならば完璧に読み切られたアタシの負けなのだろう。
「──それなら、それで構わないよ」
アタシは後方へと大剣を振りかぶった瞬間に、炎を生み出す魔術文字の魔力を真後ろへと解放していく。
大剣より噴き出した炎の勢いによってアタシの身体を前方へと押し出し、脚の傷により一度は鈍った突進速度を無理やり加速していく。
「いくらアンタの読みが当たったとしても……距離を詰められた時点でアンタの負けさぁぁあ!」
「ま……負け惜しみで振るった一撃など問題ではない!」
斬撃を受けたり刺突を喰らえば即座に致命傷になる上半身を庇い、アタシの大剣の攻撃範囲へと接敵出来た時点で、アタシはもうこの男を追い詰めているのだから。
何故ならば……これから振るう一撃は精霊竜の鱗を砕いたアタシ最大の一撃。
「これで────終わりだああぁッッッ!」
ベルドフリッツはこちらの突撃に迎撃を合わせる様子はない……敢えて斬り合いは挑まずにここは防御に徹し、アタシの一撃を受け流してからの斬撃で急所を狙うつもりなのだろう。
だが、そうはさせない。
「だがその剣の軌道は見え見えなのだよ!」
アタシの攻撃を受け流す意図で男が前方に構えた聖銀製の長剣。
首を斬り裂く軌道で振り抜いたアタシの大剣の一撃を受け止め、一度は勝ち誇った表情を浮かべる男だったが。
「ま、まだだ……まだだよおおぉぉぉッッ!」
その瞬間こそ、アタシは狙っていたのだ。
男の魔剣で受けられたにも構わずアタシは。
発動していた「ken」の魔術文字を打ち消し、最初から準備を整えていた右眼の筋力増強の魔術文字に魔力を注ぎ込み、ここぞとばかりに発動させる。
魔術文字から湧き上がる両手の膂力……その全てを乗せて、真っ黒な刀身に戻ったクロイツ鋼製の大剣を魔剣へと打ち込む。
「は、はは……残念でしたが、貴女の渾身の刃はあと一歩、この私には届きませんでしたね」
「さて────どうだろうねぇ」
「ま、負け惜しみを……な、何っっ⁉︎」
受け止めていた男の魔剣が、これ以上ない程にぎちぎちと不気味に軋む音を立て。
聖銀の刀身に、僅かだか亀裂が走る。
「う……うおおお……ば、馬鹿なっ、こ、これは聖銀で出来た魔剣だぞっ……そ、それが、軋む?……折れる、だと、う、嘘だ……嘘だああああああ!」
────パ……キィィィン!
直後、澄んだ音と共に男の魔剣は二つに折れた。
人を殺すために施していた刃の細工が仇となり、武器の強度を弱体化していたのだ。
「ば、馬鹿なっ?馬鹿な、馬鹿な馬鹿なっ!」
「────終わりだよ、一等冒険者ッッ!」
アタシの一撃は受けに構えた聖銀の長剣を両断し、その勢いのままにベルドフリッツの肩に食い込んだクロイツ鋼製の刃。
そのまま真っ直ぐに肉を焼きながら、男の胴体を斜めに斬り裂いていった。
「ぐ……ぐががががががぁぁあッッッッ⁉︎……な、なん、だ……と……ぉぉ……ば、馬鹿な……み、聖銀の剣だぞぉ……そ……それが……こ、この女……化け……もの……っっ」
石畳に転がる聖銀の剣先。
斬られた傷口から盛大に噴き出る鮮血の量はまさに致命傷であることを意味していた。
胴体を肩から斜めに斬り抜かれた神速を名乗った男は、自らの胸からいまだ噴き出し続ける自分の血溜まりへと。
両膝から崩れ落ち、うつ伏せに倒れていく。
「ま、まさか……み、聖銀の剣ごと斬られるとは……思いませんでしたよ……は、は……は」
血溜まりに沈んだ敗者を、勝者であるアタシは見下ろしながら。
もはや助かる見込みの傷ではない、完全な致命傷を与えた男の最後に漏らした言葉を聞いてアタシは返事をする。
「純粋に剣の技だけ競ったなら……アンタの風刃はとんでもない戦技なんだろうね──でもさ」
「でも……?……何です、か」
「アンタは多分、一等冒険者って地位と名声に溺れて、弱い人間ばかり殺してきた……それがアンタの剣の腕を鈍らせたんだよ、きっとね」
アタシの言葉に、目をカッと見開いたベルトフリッツが一瞬だけ笑みを浮かべて何かを呟く。
「……腕を鈍らせた、か……そう、です……ね……はは、ははは……は────」
乾いた笑いを最後に発し、男の身体は動かなくなった……もう二度と。
眼を見開いたまま、息絶えたベルトブリッツ。
生命を奪った後悔はない。だが覚悟を決めても、後味が悪いのは如何ともし難い。出来ればあまり味わいたくない感覚ではあるが。
シェーラが無事かどうかで、もう一人同じ覚悟をして大剣を振るう羽目になるかもしれない。
「はぁ……はぁ……とんだ手間を食っちまったよ……早く屋敷に戻ってシェーラを探さないとね……」
そんな暗い感情を持ちながら地下を後にする。
シェーラが無事でいてくれることだけを願って。




