132話 アズリア、変貌した影刃へ刃を向ける
その時、この建物へと接近してくる大勢の足音がアタシやノウムの耳に聞こえてきた。
アディーナへの対応で時間を稼がれ、先程老人どもが救援を呼んでいた、騎士団や彼女の同僚が騒ぎを聞きつけてこの場にやってきたのだろう。
「何事ですかアディーナ……え?……こ、これは?……一体何が────ひぃぃぃぃぃぃぃぃ⁉︎」
だが、その連中が最初に目にするのはアタシとノウムという帝都への侵入者ではなく。石畳に血を流して倒れている「円卓」を名乗った三人の老人の死体であった。
しかもその身体には、先程までアディーナの使っていたのと同じ短剣が複数本突き刺さっていたのだ。
まず疑うべきはアディーナだと、彼女を詰問しようとそちらを向いた途端に、増援の連中はアディーナの恐るべき変貌を目にしてしまう。
アタシだけを凝視していたアディーナだったモノが、その悲鳴に反応して視線を増援の連中へと向けた。
『……いち、に、さん……ふむ、ちょうどいい。この女の血肉だけでは捧げ物としては不足していたところだ』
「は、は……?さ、捧げ物?……な、何を言っているのだアディーナよ……わ、私たちは神セドリックを信奉する聖堂騎士だぞっ?」
それは、味方である増援に向ける視線でなく。
敵対するもの、としてでもなかった。
喩えるなら、卓に並べられた美味そうな料理に匙を持って手を伸ばす、そのような視線。
この場に登場した両手の指ほどの人数は、円卓の老人の死や仲間だったアディーナが変わり果てた姿に混乱し、その視線に恐慌を起こし、もはやまともな行動を取れなくなっていた。
大きく震えて身動きの取れない者。
その場にへたりこみ、手を握りながらセドリックの名を連呼する者。
そして、恐慌に駆られこの場から逃げ出そうとする者も。
何かをボソリと呟いたアディーナだった存在。
そして……逃げ出そうと背後の路地へ走り出した騎士らしき男の脚が、突然止まる。
「な、何だ?……さ、先へす、進めないっ、な、何なんだこれはぁぁああっ⁉︎」
黒い影がゆっくりと迫り来る中、逃げ出そうとしてその場に留まる騎士たちは必死の形相で背後の空間を拳で叩き続けていた。
それはまるで、騎士がいる場所から路地の向こう側の間に、見えない壁があるかのように。
『さあ……収穫の時間だ。私に捧げよ、その血肉を────』
そんな連中に向けて、かつてアディーナだったモノは、両手に作成した黒い短剣を構えると、アタシにではなく増援に駆け付けた仲間たちへと突撃していく。
「────ノウムッ……あの連中をっ!」
「わかったわよもうっ────地霊の城壁っ!」
帝国の連中を助ける義理はないが、だからといって目の前でむざむざ見殺しにする道理もない。
だが、さすがに場所が悪すぎる。右眼の魔術文字を発動して駆け出しても、狭い路地に入った騎士とアディーナに割り込んで連中を助けるのはアタシには無理だ。
だから、アタシはノウムに助力を頼んだのだ。
ノウムは嫌そうな顔をしてはいたが、それでもアタシの言葉足らずにも程がある頼み事を汲んでくれ、アディーナの突撃を遮る形で先程使った石壁よりも強固な防御魔法を発動してくれたのだ。
「ぎっ⁉︎……な、何故貴様が邪魔をする!……な?……あ、あの異端、ど、何処へ消えた?」
ノウムの建てた「地霊の城壁」の石壁により攻撃を防がれたアディーナだった存在は、妨害したアタシらへと振り向いて再び視線を戻すが。
そこにはもう、アタシの姿はなかった。
「────何処を見てやがるッ!アタシはこっちだよッ!」
ノウムに連中の救援を頼んだその時点から、アタシは動き出していたのだ。
右眼の魔術文字を発動させ、増強した脚力で路地に立ち並ぶ建物の上へと跳び上がり。アディーナの頭上目掛けて飛び降りながら大剣を放っていく。
『上からだとっ?……くそ、少し目を離した隙にちょこまかとっ!』
「ははっ、さすがに神サマの名前を出すだけあるねぇ!……前のアンタだったら防げなかっただろうさねッ」
アタシの奇襲攻撃を、寸手のところで二本の短剣を使い受け止めていくアディーナ。
アディーナがアタシでなく、増援の連中にまで犠牲を出そうとした事で、なし崩し的に覚悟を決めて刃を交えてみたが。
右眼の魔術文字で膂力を増したアタシの大剣を、二本掛かりで受け止めてどうにか均衡が取れている状況に。
頭上からの奇襲に反応出来たようで防御はしたものの、無防備な空中だったにもかかわらず反撃をしてくる程の余裕を持った反応ではなかった。
「でもさぁ……アンタは神サマじゃあ……ない」
『!────なんだとぉぉ……』
つまり、今のアタシで勝てない相手ではない。
「神を降ろす」と聞かされて、一度も剣を交えていないのに相手の実力を変に過大評価し、正直最初は可能な限り交戦を避けようと腰が引けていたのは認める。
だが、今のを見て確信した。
アレを野放しにしてこの場を立ち去れば、あの存在は周囲の住人を犠牲にするだろう。
本当にあの変貌がアディーナの言ったように神を降ろす「神聖憑依」ならば、文献ではその効果時間はごく僅かだとあったが。
あの効果が本当に神様を地上に降ろす「神聖憑依」なのかは疑わしいし、先程あの存在が口にしていた「捧げ物」という言葉の意味がどうにも気に掛かる。
何より、今こうしてこの存在と刃を交える距離にいるアタシの直感が告げているのだ。
コイツはこの場で絶っておくべき存在なのだ、と。
「アンタが本当に神サマだとしたら、アタシの剣なんて軽々と弾き飛ばすだろうさ……だがそんなコトすら出来ない、それがアンタの限界さね」
『……き、貴様ぁ……異端風情が、この神であるセドリックの力を過小評価するかぁぁ……許さんぞ……やはり貴様は殺すっっ!』
確かに「神」を名乗るだけあってか、先程から彼女の身体から溢れ出す魔力量はアタシなんかよりも遥かに大きい。
最初はアタシもその魔力量に騙されてはいたが。
モーゼス爺さんから教わった(?)魔視を使うと、あまりにも魔力量が多すぎてアディーナの身体にその魔力が巡っていないのが分かってしまった。
つまり漏れ出す魔力は、収まりきらず無駄に放出しているだけだったのだ。
現に先程からアディーナだった彼女は、殺気を剥き出しにして二本の短剣でアタシの大剣を受け止め続けてはいるが、その均衡を向こう側からは一向に崩せないでいたからだ。
『……く、くそぅ……器だ、器が小さ過ぎるのだ、私の魔力が霧散する、消えて無くなっていく……捧げ物だ……私にはもっと血肉が必要なのだ、もっと、もっともっともっともっともっと!』
「────神ともあろうモノが、自分の信者を血肉だとか捧げ物なんて呼ぶなんて……初耳だよ」
神を自称するセドリックに憑依されたアディーナの表情は、憑依前の清楚そうな顔を醜く歪ませながら吸血鬼よろしく血肉を求めていた。
そんな彼女だったモノを、アタシは溜め息を吐きながら憐れむような目線を向けて、その目の前で大剣の刃を指の腹でなぞり、傷をつけていく。
「血肉が欲しいならくれてやるよ、ただし……アンタ自身の血と肉を、ねぇッ!」




