131話 アズリア、影刃の覚悟を見る
大剣に貫かれた腹の傷を押さえて立ち上がろうとするアディーナだが、その傷は決して浅いモノではない。
「や、やめろッ!……今ならまだアンタは助かるのに、これ以上動いたら本当に死ぬぞッ?」
アタシの制止の声を無視し、膝を突き起き上がるアディーナだったが。
無理に立ち上がったために傷口は開き、押さえていた手から溢れ出した血が石畳にボタボタと落ちていくが、それでも構わずに彼女はもう一度戦いの構えを取る。
「わ、私程度の動きなら、剣を振るうまでもない……とでも言いたいのか貴様……ま、まだだ、まだ負けてはいない……っ」
完全に心を折った、と思っていたが。
立ち上がり、短剣を構えるアディーナがアタシを睨み付ける「眼」は、まだ活路を失っていなかった。
だが前回のアタシとの交戦で左腕を失った彼女に、余力を残していたとはとてもではないが思えないのだ。
……一体、アディーナは何をする気なのか。
「────かはっ、は、はは……巫女様の20年分の生命を受け取ったバロールを倒した貴様だ。たかが1年にも満たない代償しか受け取っていない私が正攻法で勝てる筈もない……か」
腹の傷だけでなく、口からも血を吐きながらアディーナが何をするのか、その一挙一動をアタシが注意深く観察していると。
左腕で握っていた短剣から手を離し、石畳に音を立てて転がっていく武器には目もくれず。
空いた手で、懐から何かを取り出したのだ。
「な、何だい……そりゃあ?」
アディーナが手を開くと、その手のひらに乗っていたのは、小石ほどの大きさの宝石だった。
奇妙なのは、その宝石の色。
良く言えば、空に見える虹を溶かし込んだような様々な色彩が混ざり合う感じだが。悪く言えば、その色彩が常に動いて見えて……気持ち悪いのだ。
「……これは、巫女ネレイアが最後の手段にと私に授けて下さった、神を降ろすための神器」
「神を降ろす、だって?……もしかしてそれって、まさか……神聖憑依の事かい?」
神聖憑依。
アタシももちろん文献や話で聞いただけで、実際に使用されているのを見たことはないが。
国家の存亡や寒波や干魃などの異常気象などで、本当に自分たちでは解決の糸口すら見えず、大勢の人間の生命が失われるような大きな危機の時に。
高位の聖職者が自分の身体を器にして、ほんの僅かな時間だけだが信奉する神を地上へと降臨させる秘儀。
だが、高位の聖職者とはいえ人間を超えた存在である神を自分の身体へと迎え入れるのだ、その人間が無事で済むわけがない。
その代償は……器となった人間の完全な破滅だ。
「そうだ。これを使えば、身体も魂も神に捧げることになり、私は確実に死ぬ。だが……っ!」
アディーナはその事を充分に理解しつつも、何も躊躇することなくその宝石を握り締めて、手のひらの中で砕いていく。
「そうまでしてでも……私は貴様を、異端を許せないのだ!……どうせこのまま死ぬなら、貴様を道連れに死んでやるのもまた一興────」
砕けた宝石から溢れ出したのは、形容し難い宝石の色のような混沌とした膨大な量の魔力だった。
「うおおおおッ……な、何だい……この寒気のするような重い魔力は……ッ」
「ね、ねぇっ?……アズリア、ちょ、ちょっと、この雰囲気、話聞いてたけど……お、おかしくない、これ?」
背後からアタシの背中へとしがみついてくるノウムの身体が震えながら、状況の違和感を訴えてくる。
そう、本来ならば神が纏う魔力だ。もっと清らかだったり、温かい雰囲気があってもよさそうなモノだが。
あの宝石から溢れ出した魔力から感じたのは、ただただ背筋が凍り付くような冷たさと、身体に纏わりついてくるような重さだった。
その魔力が宝石を砕いたアディーナの身体へと流れ込んでいくと、みるみる腹の傷が塞がっていくだけではない。
アディーナの全身の肌の色が、真っ黒だった左腕と同じ禍々(まがまが)しい黒へと染まっていく。
アディーナが完全に黒く染まりきる様子を、ただ呆然と見ているしか出来なかったアタシ。
神が降り切る前に攻撃してしまえばよかったのは理解していたが、あの宝石から湧き上がった妙な魔力が放つ違和感が気になりすぎて、観察に夢中になる余り攻撃を忘れていたのだ。
『……ふぅぅぅ……ふぅぅぅぅ……い、異端は殺す。異端は殺す。異端はこの手で全て殺す……魔族も、獣人族も、帝国を売り飛ばす輩も、そして貴様も殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す……』
宝石から溢れ出した魔力を全部吸収し終え、全身を真っ黒にしたアディーナがアタシに視線を向けると、アタシだけでなく色々なモノに憎悪を剥き出しにした言葉を吐き出していく。
彼女の雰囲気や、口から出た言葉からは、神を降ろしたという印象はまるで感じられなかった。
思わず、アタシは尋ねてしまう。
「……あ、アンタは一体、何者なんだい?……神様?それとも……まだアンタは『影刃』のアディーナのまま……なのかい?」
すると、そのアディーナだったその存在はニヤリと口角を上げ、いやらしい笑みを浮かべて口を開く。
『……私はアディーナでもあり、また神セドリックの一部でもある。その神が私の頭の中で告げるのだ……帝国をここまで傾けた原因である貴様だけはこの場で殺せ、とな』
何も握っていなかった手に混沌とした魔力が集まっていくと、その魔力は禍々(まがまが)しい形状の短剣へと姿を変えていく。
身体から発せられるのは、祭壇の部屋で戦った「魔眼」のバロールを超える魔力だった。その魔力量もさることながら、魔力から感じる悪寒に思わず脚を一歩後ろへと下がらせてしまうアタシ。
だが。
目の前のアディーナだった存在がどれだけの実力を有しているのかは未知数な上、バロールとの連戦で激しく消耗している今のアタシが何処まで渡り合えるかはわからないが。
たとえ本当にセドリック神が降臨していたとしても、アタシはこんな場所で殺されてやるわけにはいかないのだ。
何故なら。
今のアタシの懐には、人間と魔族や獣人族との無益な争いをようやく停戦出来る書状があるのだから。
これを魔王様に渡すまでは、死ねない。




