130話 アズリア、影刃の左腕を見る
だが、そのアディーナの短剣を構える白い司祭服から見える左腕は、明らかに人間の肉体ではない黒い表面をしていた。
血塗れの修道女は、アタシの左腕への視線に気が付いたのか。
「……ああ、そうだ。貴様と一戦交えた時に斬り落とされた左腕だ。巫女ネレイア様の慈悲で、何とか代用の腕を用意して貰えたがな」
「代用?……それって、斬り落とされた腕の?……まさか」
アタシはそれを聞いて驚いた。
確かに高位の聖職者が使う神聖魔法には、失った四肢や身体の部位を再生して元の状態に戻す治癒魔法があるとは聞いていたが。
肌が黒く変容している以上は、元に戻す効果を受けたとは考えにくい。
それに彼女の腕から発する魔力は、神聖魔法とは真逆の、ホルハイムで吸血鬼らが好んで使用していた「黒の左腕」と同じ雰囲気を感じるのだ。
もしくは、以前に頭に思い描いた疑問点。
セドリックという神が、まともな神様ではなく暗黒神かその類の存在であるというのなら、アディーナの再生された腕が黒く変わっていた事や禍々(まがまが)しい魔力にも説明が付くのだが。
「何を驚いているのかは知らないが……わざわざ左腕の仇がこうしてわざわざ帝都まで足を運んで、私の前に姿を見せたのだ────ちょうど良い」
血塗れの修道女は目を細めて、少し腰を落とし姿勢を低くしたかと思った次の瞬間……アタシの前から姿を消したアディーナ。
その彼女の、殺意に満ちた声だけが響き渡る。
「異端として貴様もこの場で粛清してやるぞ!」
確かにアディーナがアタシを撹乱するために目にも止まらぬ速度で周囲を動き回っているのだが。多分その速度は、森で彼女と一戦交えた時と比較しても、あまり変化はない筈だった。
一瞬、ではあるが彼女の姿を見失った要因は、明らかにバロールとの戦闘での傷や呪縛での影響がまだ残っていたからだ。
「く、くそッ……神経を研ぎ澄まそうとすると、まだ頭が重くなる……ッ……バロールの奴、とんでもない重荷を背負わせやがって……」
血を流し過ぎたのかもしれないが身体が鈍い。
アディーナの速度に対応しようと全身に力を込めると、身体のあちこちが筋肉痛で悲鳴を上げ始める。
「巫女ネレイア様とバロールの仇は取らせてもらうぞ、異端の女戦士!……人間でありながら魔族に味方した、その罪を暗黒に満ちた死後の世界で悔いろ!」
こんな身体の状態だが、アディーナの動きに対応しきれずこれ以上の深傷を負うような真似は避けなければならない。
アタシは、治療のために身体に刻んでいた二つの生命と豊穣の魔術文字への魔力供給を解除し。
再び右眼の筋力増強の魔術文字を発動させていく。
彼女からは左腕をどう再生したのかを詳しく聞き出したいところだが、そのためにもまずは戦意を喪失させないことには話も出来ないだろう。
アタシは目を閉じて、モーゼス爺さんから教わったアディーナの魔力の流れを感じ取っていく。
あの禍々(まがまが)しい魔力に。
剥き出しと言ってもいいアタシへの殺意。
いくら目に止まらぬ速度で動き回り、アタシの身体が万全の体調でなかったとしても、彼女の居場所を察知するのは至極簡単であった。
────仕掛けて、来る。
右側で重点的に動くことで意識を偏らせていたアディーナが左側に身体を入れ替え、しかもさらに反応しづらくするために身体を屈める程の低い体勢を取り、アタシの首筋と胸に二本の短剣を繰り出してくる。
「死ね、神セドリックに叛いた愚か者よ」
だが、その攻撃の逐一は読めていた。
アタシは二本の短剣を、背中から取り出した大剣を盾のように左側に構えて、アディーナが急所目掛けて繰り出してきた必殺の一撃を受け切っていく。
「な⁉︎……ば、馬鹿な……何度も虚動を織り交ぜたこの一撃を軽々と────な、ならばっっ!」
攻撃を止められた一瞬、驚きで足を止めていたことに気付かないアディーナだが。敢えてアタシはその隙を見逃していく。
こういった輩の戦意を「折る」ためには、攻撃の隙を突くのでは駄目なのだ。もっと圧倒的に、自分が自信を持っている戦法を完膚なきまでに破ってやる必要があった。
すると彼女は、もう一度同じような素早い動きで幾つもの虚動……今度は左右だけでなく上下の動きを織り交ぜながら、アタシの意識を撹乱させよう試みる。
だが……残念ながら。アディーナがどこまで速度を上昇させようと、彼女の速度は魔王様どころか、ユーノの脚にすら及んではいなかったのだ。
「……色々と抱えてるから真っ向から相手してやりたいけどねぇ……悪いけど、今のアタシにはアンタに構ってやれる時間はないんだよ」
今度のアディーナは、上下左右に意識を向けさせてから真上へと跳び上がり、アタシの頭上を狙ってくる。
だからアタシは、無造作に握っていた大剣を真上に掲げ、落下してくるアディーナの軌道上へと置いておいた。
「……な、何故こんな場所に剣がっ?……ま、まさか先程の攻撃も私の動きをよ、読み切っていたというのかあっ?」
「────正解だよアディーナ。アンタの動きは残念ながら全部見えてたんだよ、アタシには」
空中に跳び上がった後では、余程のことがない限り体勢を変えたり軌道を変えることは難しい。
アディーナもその例に漏れず、アタシが掲げた大剣に自分から突入していく形となり、絶叫しながら彼女の身体が切先に勢いよく突き刺さっていく。
「う……う、うわあああああああああっっ!」
以前の刃が鈍っていた大剣ならば、そこまで突き刺さることもなかったかもしれないが。残念ながら背後にいる鍛治師ノウムに新調してもらった大剣は、刃も鋭く磨かれていて切れ味も抜群だったのがアディーナの不運だろう。
彼女の胴体を刺し貫いた傷は深い。今のうちに治療すればまだ助かるが、これ以上の戦闘を続行出来る程浅い傷ではなかった。
「……生命までは取らないよ、誰かに治療してもらえばまだ助かるから、早く助けを呼ぶんだね……と、その前に」
大剣に突き刺さったアディーナの身体を石畳に下ろしていき、荒い息遣いで大剣が刺さった腹から血を流す彼女の真っ黒な左腕を握り締めながら、その事を問い詰める。
「この左腕のこと、洗いざらい吐いてもらうよ」




