41話 アズリア、神速の正体を見抜く
「……な、何だいここは……地下室?」
一階で待機していた護衛の連中と戦っていた最中に偶然見つけた床の薄い箇所。連中が全員逃げ出した後そこに大剣を勢い良く突き刺すと石床が抜けて崩れ落ち、地下にあった空間に落ちてしまった。
「うぷ⁉︎な、なんだい……この酷いニオイはッ」
最初は葡萄酒の貯蔵庫かと思ったが、どうも様子がおかしい。葡萄酒の瓶や酒樽の類いは一切見当たらないし、この空間に漂う臭気は……まるで墓場や戦場のような、腐った肉と鉄臭い血の臭いだった。
布切れで口と鼻を覆いながら、上に戻る階段や梯子がないかと地下の空間を探索してると、やっと目が暗闇に慣れてきたのか辺りを見渡せるようになり。
「……酷い有り様だねぇ、こりゃ」
どうやらこの場所は、屋敷の地下に作られた牢獄のようだ。石壁で仕切られ、通路からは鉄格子で丸見えになった牢獄には、壁から伸びる拘束用の手枷に繋がれたまま息絶えていた囚人ら。
しかし、あの囚人の服装は……街の住民が一般的に着ているような服装までは納得出来るが、革鎧など武装している遺体もあるのはどこか、おかしい。
それに、遺体には無抵抗なところを剣で斬られたような大きな傷があったり、壁を爪で引っ掻いたり乱暴された様子もある。
「一体何だってんだ……この十数の遺体は」
すると。
アタシは何者かが近付いてくる気配を察知する。
「────誰だいッ?」
奥からカツン……カツン……と階段があるのか、上から誰かがこの地下へと降りてくる靴音が聞こえてくる。
「望まぬ来訪者……この地下を見てしまいましたね。残念ながらこれであなたを生かしておく理由はなくなりました。大人しく剣の錆になりなさい」
確かに。漂ってくる殺気は上にいた連中なんかより遥かにこの神速とやらが格上な存在だと教えてくれている。
スラリ……と剣を鞘から抜き放つ音が聞こえる。
「……は、アンタが噂の、『神速』って大層な呼名を持つ一等冒険者って奴かい?」
「いかにも。私はベルドフリッツ、人は私のことを神速とも、剣匠卿とも呼ばれることも多いですが、ね」
アタシはその男こそ、屋敷に来る前より何度か耳に挟んでいた、凄まじい剣の腕を持つ冒険者なのだと直感し。
大剣を構え直して、アタシへ殺意を放つ先を見据えると。
「私は楽しみなんですよ……先日、あの冒険者組合で登録を飛び級し、四等冒険者に認められた、という女の噂を耳にして。私でさえ最初は五等から始めたのに、です」
角灯のぼんやりとした明かりに照らされた一人の男が、淡い輝きを放つ刀身の長剣を抜いてアタシを待ち構えていた。
男の容姿は整った銀髪を後ろで束ね、丹精な顔つきに眼鏡を掛けた、黙ってさえいれば街の女連中の歓声と注文を独り占めしそうな程の優男であるが。
アタシを観察する男の瞳の奥からは、何だろう……この言葉に出来ない違和感は。
アタシが一つ息を吐いた、その直後。
剣を抜き放った男が不意に地面を蹴って、アタシの眼前へと迫るや否や。
目で捉えるのが困難な鋭い一撃を打ち込んできたのだ。
だが、肌がヒリつくような殺気を放たれておいて、むざむざと攻撃を待つ程アタシは出来た人間ではない。
握っていた大剣を一度真上へと掲げてみせると、男の頭目掛けて渾身の力を込めて振り下ろしていく。
ガキィィィィィィ────ン!
互いの剣閃は空中で激突し、激しい金属の衝突音が地下空間で反響する。
「へぇ……アタシの一撃を受けてもなお折れないとはねぇ、ただの長剣じゃあないとは踏んでたけどね!」
右眼の魔術文字を発動させないまでも、アタシはそこいらの傭兵や戦士を圧倒する膂力を有している。
そのアタシの渾身の一撃を受けてなお、男の持つ長剣は破損した様子は見られない。
「ベルドフリッツとか言ったね……アンタのその剣、もしかして……聖銀製かい?」
「ほう……見ただけでこの剣の材質を当てるとは、ご名答です。ランベルン伯のツテで購入したものですが、値が張りましたね……魔剣は」
聖銀。
美しい銀色の光沢を持つことから聖銀とも呼ばれ、鉄を遥かに超える硬度と軽さ、そして魔力への融和性に優れ。魔力を通すと加工が容易なことから聖銀製の武具は総じて魔力が付与されていることが多い。
当然ながら、希少な鉱石なため聖銀製の武具は例外なく相当な高値で取引される。
そんな希少な聖銀で出来た武器を持っているというだけでも驚くべきことであり、目の前の剣士の実力を裏付けているようなものなのだが。
どうやらこの男の自信は聖銀の武器だけではなさそうなのだ。
「しかもその刃、特殊に加工してあるねぇ」
「はは、この刃がお気に召しましたか?」
男が剣同士を競り合う体勢を嫌って、一度後方へと飛び退きながら。
自分が握っていた長剣の片側の刃をアタシへと見せる。角灯の朧げな光に照らされた剣の片側は、真っ直ぐにではなく規則的に刃が欠けていたからだ。
「この刃で斬られれば、たとえ治癒魔法でも簡単には塞がらない。ふふ、素敵でしょう?」
「……趣味の悪い武器を使いやがる」
男の持つ武器は、明らかに護身や冒険のためではない。ただ人間を効率的に殺害するための形状だった。
胸糞悪くなったアタシは、侮蔑の意味を込めて。口に溜まった唾液を一度勢いよく吐き捨て、男を睨み据えた。
「見せてあげましょう。その趣味の悪い聖銀の武器を手にしているのは伯爵が後ろ盾にいるから、ではないということを、ね……例えば────はァァァァっ!」
男の歪な剣が一度だけ、空を斬る。
直後、アタシの身体を何かが通り過ぎる感触と同時に、肩当てを装備していない右肩口と頬に赤い線が走る。
痛みを感じるや否や開いた傷口からは鮮血が噴き出し、ポタ……ポタ……と石畳に流れ落ちた。
「へえ……風の刃かい……それも、一振りで二度斬りつけられたとは……いや参ったねぇ、一度しか剣閃が見えなかったってのにさ」
聖銀の軽さから、一度に思えた攻撃で二度の剣閃を繰り出していたのか。
もしくは、武器に魔力を永続付与することで魔法に似た効果を発揮する「魔剣」を生み出すことが出来る。
男が握っているのはただの聖銀の武器ではなく、魔剣なのかもしれない。
或いは、その両方なのかも。
「ふふふ、あなたには勿体ない戦技ですが、それこそ私が『神速』と呼ばれる由縁なのですよ……聖銀製の魔剣に私の腕前が合わされば、このような芸当も可能なのです」
勝ち誇るように男が言い放つ台詞に。
アタシはこの地下区画で立ち並んだ牢獄の内側に視線を移しながら、ベルトブリッツへと反論を返していく。
アタシが奴の瞳に覚えた違和感、その答え合わせを。
「それは……もしかして、牢屋に捕らえてた犠牲者をわざわざ実験台にしてまで会得した……って言うのかい?」
証拠はない、あくまで推測だ。
だが、幾つかの遺体にあった斬撃痕、あれは間違いなくこの男が付けたものだと向き合ってみて確信した。
何故なら、この男の眼は……戦場で見かけた、人を斬る悦びに堕ちた奴らと同じ腐った眼をしていたから。
「は……はははっ!全てお見通し、ということですか?」
さも当然だ、というような笑みを浮かべながら。
「──そうです、その通りですよ。彼らには私の剣の練習台になっていただきました……彼らも私の剣の糧となって生きられるのです、本望でしょう?」
ベルドフリッツの眼の奥に宿っていた狂気の正体にアタシは気付いたのだ。
それは────人を玩び、殺す快楽。




