40話 アズリア、屋敷に殴り込む
王都の中央区、貴族らの邸宅が建ち並ぶ区画にあるランベルン伯爵邸。
「爵位が二つ違うと、ランドルの屋敷よりこんなにも豪勢になるモノなんかねぇ……」
アードグレイ男爵の位を持ち、大商人でもあるランドルの屋敷も、周囲の住居と比較すれば相当に大きく豪華な建物ではあったが。
目の前にあるランベルン伯爵邸は、ランドルの屋敷を二軒……いや三軒ほど合わせた程の規模の建物を誇り。
しかも屋敷と同じ位に広大な庭まで付いている、贅を極めた造りとなっていた。
鉄柵状の大きな扉のある正面口には、夜更けにもかかわらず門番の護衛が立っていた。しかも四人。護衛が辺りをキョロキョロしながら警戒している様子を見ると、一応連中も屋敷へ強襲する可能性は考えているのだろう。
「……まぁ、どうせ全員まとめて叩き潰すんだ。だったら、堂々と正面からお邪魔してやろうじゃないか」
隠密行動を取るなら「dagaz」の魔術文字を発動させ、闇を纏いながら裏口辺りからコソコソと潜入するのが定石なのだが。
今回の目的はただシェーラを救出するだけじゃなく。二度とシェーラとランドル達に手を出せないよう徹底的にやる必要があった。
だからこそ、全ての障害を粉砕しての正面突破。
「おい貴様!……貴様がルドガー様の言っていた女冒険者だな、ここにな──」
既に臨戦態勢を整えていたアタシに対して、悠長に警告を発する護衛の一人に。
アタシは、問答無用で拳を放っていく。
「は、ッ! ぐだぐだと警告してる暇があったら攻撃しろよ……アンタらの前に立ってるアタシは不埒な侵入者なんだッての」
当然ながら、右眼の「筋力増強」の魔術文字は既に発動済みだ。
全力で振るった大剣の一撃は精霊竜の鱗にすら亀裂を入れるほどの膂力、それを手加減無しで拳を繰り出せば相手はどうなるか。
その答えは──殴られた護衛が勢いで背後へ吹き飛び、地面を激しく転がっていく、だ。
起き上がる素振りを見せず、沈黙した状態の時点でお察しだろう。
「お、おいっ⁉︎ な、何なんだコイツは? 武器も持ってないただの拳だってのに、い、一撃だと……!」
拳だろうが。蹴りだろうが。
今のアタシの攻撃をまともに喰らえば、並の護衛程度では立っていることも出来ない。おそらくは骨が砕けているだろう。
「うう……あががが……」
「ば……バケモノぉ……」
「はっ、これでも半分程度で抑えてあるさ。アタシが全力でアンタらを殴ったら問答無用で死んでるよ。それに……こんな奴らでも殺したらシェーラが泣くだろうし」
そんな場に、突如冷ややかな声が聞こえてくる。
次の瞬間。奥から黒装束を纏い、顔を半分以上覆い隠しながら姿を現した人影。
「やはり──並の護衛では相手になりませんか」
その正体とは……エボン。
昼間に馬鹿貴族の従者として姿を見せた時とは格好だけでなく、身に纏う雰囲気までもが違っていた。
「ッ!……うおおッッ⁉︎」
しかも姿を見せたのと同時にこちらの足元と頭目掛けて短剣を投擲してきた。
その投擲速度は、今までアタシの前に立ちはだかった冒険者連中の誰よりも、速かった。
月明かりしかない暗闇では、ナイフが反射する月の光だけを頼りに避けるしかない。
横に飛んで足元に飛んできたナイフを避け、頭狙いのナイフを籠手を装着してある左腕で叩き落としたのだが。
「……殺気ッッ⁉︎」
思わず頭を後ろに逸らすと、何かが頬をかすめてアタシの背後にカラン……と甲高い金属音を立てて地面に落ちる。
それは……刃を黒塗りにした二本目の短剣。
夜の闇と、ちょうど月明かりに照らされ出来た自分の影に紛れるように飛来してきた、本命の一撃。
「……私の『月影』すら避けますか。化け物め」
エボンの言う『月影』が如何なる技かは推測で語るしかないが、恐らくは黒塗りの短剣を影に被せることで知覚されにくくする技法なのだろう。
「あらかたそのナイフにゃ、ヤバイ毒でも塗ってあるんだろ?」
「それは企業秘密ですのでお答え出来ませんな」
「……ならアンタの身体で試してみるとするよ」
「出来ないことを言うものでは…………はぐぅ⁉︎」
間合いを詰めようと動くアタシから、間合いを維持するために遠ざかるように動いていたエボンが突然呻き声をあげて脚を止めた。
アズリアが指を鳴らすとナイフを覆った闇が解除され、そのナイフはエボンの太腿を貫いていたからだ。
そう。アズリアはエボンが投げたナイフを一本拾い、間合いを詰めるフリをしながらそのナイフに『dagaz』の血文字を描いて闇を纏わせ投擲したのだ。
つまり黒塗りのナイフを投擲したエボンと同じ技をエボンに放ったのだった。
「まさか……自分の技を、真似され……ると……は」
エボンは顔色を紫色から土気色に変えてその場に倒れると口から泡を吹いて、しばらくは手足をビクンビクンと痙攣させていたが。
しばらくするとそのまま動かなくなった。
「厄介な毒だねぇ……まったく、これだから暗殺者と戦うのは嫌なんだよ」
邪魔がいなくなったのを確認して、そのまま庭を歩き玄関の木の扉を蹴り破る。
すると、入り口から入ってすぐの一階のホールには完全武装したランベルン家の護衛……に混じって二等や三等冒険者が、およそ三〇人ほど待機していた。
「お、おいっ?エボンさんはどうしたんだよっ!」
「何だ、殴り込みに来たからどれだけ強いのかと思ったら四等冒険者じゃねえか!」
「いくらエボンさんがいなくても……こ、こっちは数で圧倒的にゆ、有利だ。囲め囲め!囲んじまえば楽勝だぁ!」
エボンの事が気になっているようなので。
蹴破って玄関から丸見えになった庭で倒れて動かなくなったエボンを親指で差す。
「用があるのはルドガーとかいう馬鹿息子と神速?とか名乗ってる一等冒険者だけだ。一応アタシにも慈悲の心ってヤツはあるから────
死にたい奴はともかく、逃げたい奴はとっとと消えな」
「……う、うるせぇぇ!このあばずれがぁあ!」
「およ。誰も逃げないとは大した忠誠心だねぇ」
背中の大剣で薙ぎ払えば早く決着は着くのだろうが、それでは確実に連中を殺してしまう。
エボンは生かし損なったが、それは致死毒を使ったエボンの自業自得だ。アタシは悪くない。
反省は後だ。まずは大斧を構え向かってきた男の持ち手を蹴り潰して武器を落とし、装備を解除させた男を抱えて持ち上げると。
背後から斬りかかろうとしていた連中に男の身体を投げつけて全員まとめて転倒させた。
「な、何なんだこの女っ?」
「全員下がれっ!一旦仕切り直しだっ!」
包囲網を維持するために体勢の立て直しを指示しているのは正解だ。問題は、包囲された相手が立て直している時間をただ呆然と待ってくれるわけではない、という点だった。
まずアズリアはその指示を出した男がこの連中の司令塔的役割と確信し、その男を目標に全速力で接敵する。
「アンタを潰せばあとはバラバラ、だろ?」
「こ、コイツ……悪魔か?」
接敵したと同時に腹に膝を叩き込む。苦痛で身体を曲げて頭の位置が低くなったところに、一度軸足で身体を一回転させ遠心力を乗せた蹴りを顔面に喰らわせ、そのまま男の身体は壁に激突し。
吹き飛んだ男はその場から立ち上がってはこなかった。
司令塔が潰された上にそのやられる様を全部見ていた連中の脳裏に浮かんだのは、
こんな凶悪な女に勝てるわけがない。
「うわあああ!」「逃げろ!殺されるぅぅ!」「俺はもうランベルンとは関係ない!」「戦いたいヤツは勝手に死ね!俺は逃げる、逃げるぞ!」「バルガスさんはどこ行ったんだ畜生!」「エボンさんが勝てない相手に勝てるわけねぇ!」「俺たちは敵に回しちゃいけない女を敵に回したんだ……あわわわ」
連中は蜘蛛の子を散らすように一目散に玄関から庭へ、そして敷地外へと逃げ去っていった。
余談だが。
この後しばらく、シルバニア王国を根城にする犯罪組織の間に「赤髪の女を敵に回すな」という不文律が出来たのは、今夜の一件を目撃し逃げ出したきた連中の恐怖体験が元になったという噂だ。
「月影」
短剣を投擲する際に、視覚的な死角を意図的に作り出し、回避を困難にする技法の総称である。
本編では、夜間に黒塗りした短剣を使用して夜闇を保護色代わりにする方法が使われているが。熟練者は囮に投擲した短剣の影を利用したりもする。
その技の名前から、本来は大陸より遥か南に位置するヤマタイ国から伝来した暗殺技術の一つとされる。




