110話 アズリア、銀の瞳に睨まれる
目の前の、バロールと名乗った金銀妖瞳の男はアタシを指差し、質問を問い掛けてきたのだ。
『貴様の言う礼儀に沿って一つ名乗ったのだ、今度はこちらの質問にも答えてもらおう、魔王に与する人間の女』
「……何かそう呼ばれるのは癪だから名乗っておくよ、アタシの名前はアズリア……短い付き合いだろうが憶えておくんだねぇ」
帝国の連中からすれば、自分の側に属さない人間など見たことがないのだろう。
だが、連中と対峙するたびに「人間の女」呼ばわりと、アタシと連中が別の種族であるかのように言い回しをされるのに、いい加減立腹していたアタシは。
バロールへ自分から名乗りを挙げてしまう。
……僅かだが、二人の間の時が停止する。
そんな空気の中、先に言葉を発して時を進めたのは一度顔を伏せるバロールであった。
『────そうか、ではあらためてアズリアよ、貴様に問おう』
一度、バロールの思考が止まったのはもしかして、質問の内容をアタシが先に答えてしまったからなのか。
隣にいるノウムに目線を向けると、先程までバロールの発する殺気に怯えていたにもかかわらず、アタシへと呆れ顔を浮かべていた。
……まあ、不毛なやり取りを一つ飛ばしてやったのだ。感謝されこそすれ、批難される謂れはまったくない。
アタシは胸を張ってバロールに対峙していく。
『何故貴様は人間の身でありながら、人間という種族の宿敵とも言える魔族と、そして魔王と行動を共にしている?……恥ずかしくはないのか?』
「アタシから見りゃ……後から島に住み着いた分際で、神の名をいいように利用した侵略を繰り返してるアンタら神聖帝国のほうが余程恥を知るべきだと思うんだけどねぇ?」
この魔王領に来てから十数日が経過したが、アタシを前にした帝国の連中は皆、さも自分ら神聖帝国が人間のために戦っているような言い草だが。
連中のしているのは、ただの侵略行為だ。
アタシはその事実をバロールへの返答として主張し、「恥知らず」とアタシを侮蔑した言葉には相応の言葉を持って反論していく。
あくまで冷静な態度を装っているバロールではあったが、その金銀妖瞳が鋭い目つきになるのをアタシは見逃さない。
『同じ人間として、貴様のその行いが間違っている行動だとは微塵にも思わないのか?』
────まただ。あの……嫌な言葉。
アタシとお前たちを「同じ」という言葉で勝手に括るんじゃない。
セドリックなんて神を信仰などしてない。
魔族や獣人族は人間の仇敵などではない事を、身を以って知っている。
アタシはお前たちとは「違う」人間なんだ。
「……同じ人間同じ人間って繰り返してるけどねぇ……なら何故アンタらは同じ人間から、大陸から追われる羽目になったんだいッ!」
それに、大陸では今も何処かで国家に限らず、人間同士が血を流しているだろう。
同じ人間という種族だから協力しろ、はアタシでなくても詭弁であることに気がつく。
冷静を装うバロールに対して、アタシは「同じ人間」という言葉に憤慨した自分の気持ちを包み隠すことなく吐き出していく。
あわよくば詭弁によってアタシを懐柔しようとしたのだろうが、その主張を悉く否定されたバロールは、肩をすくめて見せる。
『────やれやれ。貴様は同じ人間だということで、神セドリックより温情をかけろという指示があったが……やはり魔王の側に立つだけあって愚かで救い難い』
言葉を交わしていた時には抑えられていた殺気を、今度は背後にいるノウムを無視し、アタシ一人に向けてくるバロール。
どうやら問答の時間は終わりを迎えたようだ。
此処から先は、実力行使の時間が始まる。
「停戦のための交渉は失敗に終わったから、今度は力づくってワケかい……イイねイイねぇ、荒事は寧ろアタシも大好物だよ……ッッ!」
目の前の金銀妖瞳から凄まじい殺意を向けられたアタシだったが。足が竦むどころか、思わず乾いた唇を濡らすために舌舐めずりをしてしまう。
実を言うと。
森や集落での帝国兵との戦闘や、飛竜相手に剣を振るった時も、魔王様と対決した時のような全力で戦えずに、アタシはすっかり欲求不満が溜まっていたのだ。
……まずは間合いを詰める。
そのためにアタシはいつもと同じように石床を右脚で踏み込み、腰を落としていこうとした……その時にアタシが覚えた身体の違和感。
身体の到る箇所がまるで鉛のように重いのだ。
確かにモーゼス爺さんに装着させられた手枷足枷はあるが、今感じている重量とは全く別物だ。
脚の動き。
腰の動き。
そして腕の振りすらも。
喩えるならば、アタシの周囲にだけ粘液体の中に取り込まれたかのように、動かす速度そのものも鈍く、遅くなっていたのだ。
そんなアタシの違和感に困惑する様を、実に意地の悪い笑顔を浮かべ、楽しそうに見ていたバロールが口を開く。
『────どうしたアズリア?……まさか今ようやく戦いの幕が上がった、などと呑気な事を口にするつもりか?……くっくっく』
……油断していた。
既に対面した時点で、アタシとバロールとの戦いは始まっていたのだ。
懐柔しようとした態度と言葉は、この仕掛けを成功させるための布石であり、アタシはバロールの策に綺麗に嵌まってしまったということか。
「な、何がおかしいんだい……もしかしてコレは、バロール……アンタの仕業だってのかいッ?」
『くっくっく。さぁて、どうだろうな?』
悔し紛れに悪態を吐くアタシへと、バロールの金銀妖瞳の左眼から感じる魔力。
と、同時にアタシの身体がさらに重くなった。
『────だから最初に名乗ったろう?俺が神セドリックから授かりし、その祝福がこの二つの金銀妖瞳だ』




