3話余談 アズリア、恩人との長い夜
3話の最後にランドルとの夜に何があったのか、そのやり取りの詳細を追加する事にしました。
「──ぷ、はぁ、ッ!」
杯に注がれた葡萄酒を一気に喉に流し込み、アタシは息を吐いた。
今、飲んだ葡萄酒の美味さに。
「いやあ……しッかし、こんな美味い酒は何日ぶりになるかねぇ」
葡萄酒は貴族や裕福な商人など上流階級が楽しむ酒、平民は麦酒というのが一般的であり。
街の酒場で提供される葡萄酒は、大概が出来が悪く、渋味や酸味を抑えるために水で薄めるのが一般的な飲み方だ。
アタシもあまり、葡萄酒の味には馴染みがないが。
ランドルが用意したのは、水を混ぜずそのまま飲める上質な葡萄酒であり。一気に流し込むような飲み方をする酒ではなかったのは理解が出来た。
最後に酒を口にしたのが、王都に向かう前に立ち寄った国境沿いの街。そこから王都までのおよそ一五日間、街で補充した酒は二日ほどで尽き。
さらには途中で遭遇し、保存食を切らし困窮していた旅人らに。所持していた食糧や所持金を気前良く譲ってしまったため。
街道沿いの宿場村で、新たに酒を購入する事すら出来なかったのだ。
一〇日以上も酒を一滴たりとも口にしてない今のアタシは、例え目の前にあるのが上質な葡萄酒だろうが。「上品に味わって飲む」などという選択肢は頭に浮かばなかった。
今飲んだ葡萄酒がやたら美味く感じたのは、酒の質の良さだけではなく。そういったアタシの事情も重なって、なのだろう。
「お、おい、飲み過ぎじゃないのか?」
葡萄酒を用意したランドルは、アタシの少々乱暴ともいえる飲み方を諌めなかった代わりに。
あまりの酒を飲む勢いの早さを心配し、口を挟んできた。
何しろ、ランドルが一杯を空にする間に。アタシは二杯、三杯と杯を傾け、用意された葡萄酒を次々と飲み尽くしていき。飲んだ葡萄酒は杯にして、二〇以上。
いつしか、卓上には空となった酒樽──保存や運搬用のではなく、酒場で複数の客に提供する時に使われる小さな酒樽だが──が二つほど転がっていた。
しかし、その懸念は無用であった。
「……ははッ、倒れたばかりのアタシを心配してくれてるのかい?」
言っておくが、アタシは酒に強い。
旅の途中に立ち寄った街では、路銀に余裕があれば注文してしまうくらいに酒が好きなアタシは。
俗に言う「酒豪」と呼ばれる程であり。未だ、酒に酔い潰れた記憶がない事が自慢だったりする。
「それなら大丈夫さ。この程度の酒でダメになるほど、アタシの身体はヤワじゃないさ」
ランドルの心配を払拭するため、アタシは飲んでいた酒杯を卓に置き。座っていた椅子から立ち上がって。
酒に酔っていない事を証明してみせるため、軽く動いてみせる。
「ほら、な」
酒を飲む前に、充分な量の食事を腹に入れていたからか。ふらふらとした足取りで街道を歩いていた時の衰弱した身体ではなく。
既に数個、小さな樽を二つ空にしたとは思えない位の、正常な足取りをランドルの前でなお保っていた。
「わ、わかったわかった。お前が酔ってないってのは充分に理解したからっ」
「分かって貰えたみたいで嬉しいねぇ」
アタシとは違い、酒精ですっかり顔を赤らめていたランドルの言葉を聞き。アタシも一度は立った椅子に再び腰掛け、空になった杯に葡萄酒を注いた。
何しろ、水で薄める必要のない上質な葡萄酒など、旅人のアタシがそう飲める代物ではない。
命の恩人の善意とはいえ、ここは存分に甘えさせて貰う事にする。
アタシは、自ら注いだ酒杯を傾け。一気に喉に流し込むのではなく、適量を口に含んでみせる。
今度は葡萄酒の味を確かめるように。
「うん、あらためて飲んでも、やっぱイイ葡萄酒だねぇ……」
原料となった葡萄の甘さ、爽やかさを残しつつ。樽で歳月を重ねさせた重厚な味。しかも口内に残る果実と酒精が入り混じった複雑な、良い香り。
それは水で薄めた葡萄酒では決して出せない風味だった。
「気に入ってくれたみたいだな。それはうちの商会で扱ってる上物の葡萄酒でな」
「……へぇ、ッ」
ランドルの説明に、アタシは感心したような声を漏らした。
ランドルが商会を持っている、というのは先程の依頼の話で既にアタシも知ってはいたが。今、提供された葡萄酒の質から、商会の規模やどのような商売をしているかが目に浮かんだからだ。
とはいえ、二〇杯以上も水で薄めず葡萄酒を飲み干したのだ。身体に酒精が回っていない筈もなく。
寧ろ今のアタシは、数日ぶりの食事を腹に入れた事で活力が湧き、すっかり力が戻っていたためか。
身体が火照り、熱くなっていたのだ。
そんな状態のアタシは、ふと酒を酌み交わす直前のランドルの言葉が頭に蘇る。
「そういや、ランドルの旦那。聞き間違いなんかじゃなけりゃ……さっき、アタシを美人だなんて言ってたよね」
「ああ、確かに言ったさ。冗談でもないし、頼み事を聞いてくれた世辞……ってわけでもない」
それは、大柄で髪も乱雑、しかも黒い肌を持つアタシを「美人だ」と言ってのけた事だ。
最初こそ、自分の容姿を評価された言葉に嬉しさを感じたものの。
これだけ上質な葡萄酒を客人に振る舞える商人だと示したランドルだ。その財力を持ってすれば、王都にいる美人な女──歌姫や高級娼婦など選び放題ではないか。いや、下手をすれば貴族令嬢すらも。
冷静に考えれば、そのような人物がアタシの外見を高く評価するだろうか。鉱石蜥蜴討伐を引き受けた事への、ランドルなりの感謝代わりなのだろう。
──アタシはそう解釈していたが。
「……ふぅん」
今一度確認したアタシに対し、ランドルは「嘘でも冗談でもない」と。確かにそう口にしてみせたのだ。
だが、言葉だけならば何度でも言える。
酔い潰れはいないものの、葡萄酒の酒精が頭に回り、すっかり気分が高揚していたアタシは。
突然椅子から立ち上がり、ランドルの目前にまで歩み寄っていき。
「なら──抱けるのかい、アタシを」
まずは胸を隠すために巻いていた布地に手を掛け、解いて床へと落としていった。
当然、目の前にいるランドルに対し。アタシは一糸纏わぬ上半身を露わにし。
突然の出来事に、ランドルは持っていた酒杯を手から離し、中身の葡萄酒ごと床に落としてしまう。
「な……っ?」
続けてアタシは、最後に肌を隠していた腰布にも手を伸ばし。結び目を解いて、下半身をも露出させた。
つまりは今、アタシはランドルに完全な全裸を晒してしまっていた訳だが。
アタシは恥じらう様子も見せずに。寧ろ胸や下半身を手で隠す事なく、腰に手を当て堂々とした姿勢でランドルとの距離をさらに縮めた。
「さあ、どうなんだい?」
ランドルの視線が、特に大きな乳房に集まっているのをアタシは即座に理解し。
同時にランドルが唾を飲み込む音が聞こえてくる。
「……ゴクリ」
アタシの問いにこそ答えはしなかったが。反応を見れば、ランドルに拒絶の意思がない事は間違いない。
この世界は、上位の貴族や王族を除くと一般的には一夫一妻制ではあり。
公衆の大浴場では男女の区切りがなく、平気で裸を見せ合ったり。既婚の男性が酒場や色街などで娼婦と一晩過ごす、というのもごく普通に見られる光景だったりする。
一人旅を八年も続けるアタシ自身も、決してそういった肉体経験が過去にないわけではなく。寧ろ開放的、とも言える性格だったりする。
「……いいんだな」
「それはコッチの台詞なんだけとねぇ」
つまりアタシは言葉の通り。
身体を重ねる情事を自分から誘ったという事だ。
いつの間にかランドルも椅子から立ち上がり、どちらから求めるともなく、互いの頭と背中に腕が伸び。
抱きしめ合いながら、互いの口唇が情熱的に重なっていく。
高まる衝動を抑え込む理性は、互いにとっくに酒で浸蝕されて残ってはいなかったからだ。