4話 アズリア、野営する
そして、朝を迎えたアタシは大きな欠伸とともに目を醒ます。
「ふわぁぁぁ……あ、そういや、あのままランドルの寝床に寝ちまってたのか、アタシ……」
横を見ると、部屋の主であるランドルは気持ち良さげに寝息を立てていた。
心なしか横に寝ていた人物の顔は、昨晩より疲弊しているように見えたのは気のせいか。
「……おっと、ランドルの家族に気付かれないうちに部屋を出とかないと、助けてもらった恩を仇で返すコトになっちまうよッ」
アタシはまだ寝ているランドルを起こさぬよう、一足先に屋敷をひっそりと出発する事にした。
どうやらランドルには妻も子供もいるらしい、と昨晩の酒の席で聞いていたので。もし顔を合わせてしまうと、何かと面倒な事態が起きてしまう予感がしたからだが。
路銀がない、と昨晩のうちにランドルには説明をしておいたので。
依頼のために、と話したところ。ランドルは実に気前良く保存食などは事前に用意してくれるとなり、王都を出発する前に。ランドルが商いを行う店舗へと訪れ、受け取る手筈を整えておいてくれていた。
「あ、あったあった、コイツみたいだねぇ」
さすがに朝も早く、店舗もまだ空いていないため、従業員から直接手渡されるのではなく。店舗の入り口に書類と一緒に保存食などが山積みとなっていたのだが。
出発の準備をきっちり揃えたところで。
依頼の内容通りであれば……ランドルが所持しているという鉱山にアタシは一人、街道を歩いて向かっていくことになるわけだが。
「さて、と。向かう鉱山までは道なりに歩けばイイって聞いたけど……問題は、距離だよねぇ」
目的地の鉱山までは、完全に街道が整備されているわけではないらしいが。途中までは整備された街道を歩いていける上、馬車で鉱石を運ぶための道はあるようなので、幸いに道に迷う心配はしなくて良いのはありがたい話だ。
それでも一日二日で到着する距離ではなかったので、道中での野営は必須となる。まあ、野営に必要な道具のうち、アタシが持ち合わせていなかった物はランドルに準備しておいてもらったのだが。
「それにしても……あのランドルって商人、まさか鉄が出る鉱山なんて持ってるとは思わなかったよ」
彼からの話によれば、鉱山では鉱蜥蜴が確認された時点で閉鎖され、鉱夫らに危害が及ぶ懸念はないという事だ。
大都市には必ずあるという冒険者組合への緊急依頼ではなく、まずは自前の護衛やアタシみたいな見ず知らずの冒険者を頼みにしたのだろう。
「まあ……そりゃ、アタシの得物が普通じゃないって気付くよなぁ……少しばかり迂闊だったかねぇ……」
街道を進んでいき、何事もないまま日が暮れ始める。
本格的に夜を迎える前に野営の準備をするために、街道を外れた開けた場所を見つけると。
比較的長い木の枝を幹から頂戴して組み上げ、そこに屋根布を張って今晩の寝床を作っていく。
晩飯の準備にと枯れ木や枝を集めて火口で火を起こし、焚いた火に保存食の干し肉と水袋に入れておいた飲み水を放り込み。
鍋をかけて煮立たせながら、沸いた湯で肉が柔らかくなるのを待つ。
ゆらゆらと揺らぎ燃える焚き火を見つめて、あらためてランドルが自分の大剣の秘密に気付いてるのだろうと確認する。
そう。アタシが背負っている大剣は、この辺りでは使われていない金属であるクロイツ鋼製なのだ。
現在、数種類の金属を一定の割合で混ぜる特殊な製法を持ってしか製造出来ないクロイツ鋼を製造・加工出来るのはここより遥か北に位置するドライゼル帝国だけであり。
故に帝国は、その製法が外に出ないようにクロイツ鋼製の武具や装備の流通を完全に帝国内に限定して製法を秘匿していたのだった。
それほどまでに外に製法が漏れるのを嫌う理由の一つがクロイツ鋼はとにかく「硬くて強い」のだ。
この金属で鍛造された武器は、現在のラグシア大陸で一番防具に使われているだろう鉄製の鎧や盾を容易に貫通、破壊することが出来る程だ。
そんな金属にも、看過できない欠点が存在する。
それはこの卓越した硬度を誇るクロイツ鋼が、金属の硬度に比例するかのように「とてつもなく重い」ことなのだ。
その重さは、同じ程度の鉄の塊で比較すると、鉄が二つ分以上の重量となってしまうのだ。
だから、単純に武器や鎧をクロイツ鋼で製作したとしても、並の兵士ではその武器を碌に振るうことも出来ず、また鎧を着た兵士はその場から一歩も動くことままならないだろう。
もっとも、クロイツ鋼には特殊な紋様を浮かび上がらせるという性質があるために、この特殊な金属の存在を知る人間が見れば簡単に察しはついてしまうのだが。
ならば何故このアタシが、帝国でしか入手出来ない貴重な金属製の武器を所持しているのか。
それは簡単だ。
アタシはその帝国出身でありながら、故郷から逃げ出し、もう七年もの間……この世界を転々と旅しているからだ。
帝国は、このシルバニア王国よりも遥か北に位置する軍事大国なのだが。寒さと雪に覆われ、晴天の少ない環境ではほぼ生まれることのない濃い褐色の肌を持って生まれてしまったアタシは。
隣人からは「悪魔の子」だとか「忌み子」呼ばわりされ、母親からも見限られて幼少期を過ごすこととなった過去がある。
そんな環境から抜け出したくてアタシは16の時に生まれ故郷を捨てて、外の世界へ飛び出したのだ。
ランドルの屋敷で目を覚ます直前に、あの頃の出来事を夢に見た気がしたが。今では幼少の頃にアタシを捨てた母親の名を思い出せなくなっていた。
「はッ……懐かしいことを思い出しちまったねぇ」
まさかシルバニア王国に入って食事に金を浪費し過ぎたあまり、王都の直前で食糧が尽き、行き倒れになるという事態はさすがに想定してはいなかったが。
そんな特殊な金属の、しかも尋常ではない巨大な幅広剣などを所持している一人旅の女戦士を見かけたあのランドルという商人が、鉱石蜥蜴を何とか排除してくれるかも、と期待するだろうことは想像に難くない。
「まあ……行き倒れたアタシを拾ってくれただけじゃなく、あんな美味い食事をご馳走してくれたんだ。何とかしてやりたいのはやまやまなんだけどねぇ……」
晩飯の仕上げに、と最後に岩塩を削って味を調整し完成した干し肉のスープを、保存用の固い黒パンを浸して柔らかくしながら少し遅い晩飯をアタシは食べながら。
この先待ち受ける厄介者……鉱石蜥蜴の最たる特徴を思い出しながら、焚き火に向かって思わず溜息を吐く。
「アタシが知ってる限りだけど……確か、アイツは餌にしていた鉱石の量と種類によって色々と性質が変わっちまう、なんて厄介な能力持ち、だったよなぁ……」
鉱蜥蜴という魔獣は、金属を食糧として口にしているだけでなく、その餌としている金属の種類によって討伐の難易度が大きく変わってくるのだ。
銅や錫程度ならばまだ能力は平凡、ただ表皮が堅いだけ。
餌が鉄だとしても、能力や体長は銅や錫よりは上がるものの、まだアタシが苦戦するほどではない。
……しかし。
奴等が口にしている金属が銀や黄金、そして聖銀をはじめとする希少金属の鉱石ともなると話は深刻になってくる。
噂に聞いただけだが、金の鉱石を餌にした鉱蜥蜴──いや、黄金鱗と呼ぶべき存在ともなると、口から火を吐くという報告例もある。
それはもはや……蜥蜴扱いよりも小型ながら竜属と呼ぶのが妥当なんじゃないかと思う程の変貌ぶりだ。
故に、鉱蜥蜴討伐は冒険者の依頼としては嫌われる部類に入る。出現する奴等の種類によって、難易度の幅があまりに大きくブレるからだ。
「鉄鱗や銅鱗程度でもそれなりの値段は付くだろうけど……それじゃ手応えなさ過ぎるんだよねぇ。出来れば、白銀鱗くらいに遭遇出来たなら嬉しいけどねぇ」
事前にランドルから聞いた話では、これから向かう鉱山は鉄鉱石を採掘していると言っていたので鉄を餌としている以外の鉱蜥蜴が出現する心配はないと思うのだが。
こういった討伐依頼に絶対はない、よもやの事態を想定しておくのもこういった依頼の完遂には必要なのだ。
まあ、もっとも。
アタシにはもう一つ、あての無い旅を続けている理由があるのだけれど。
この世界でのクロイツ鋼の補足説明。
要は現代のダマスカス鋼なんですが。
⬛︎クロイツ鋼
数種類の異なる金属を一定の割合で混ぜて鍛錬される木目状の紋様を持つ合金であり、強力な武具の素材として知られているが、その合金の配合は鍛冶師それぞれの秘伝とされ決まった配合の割合は確定してはいない。ダマスカス鋼を素材とした武器は、柳のようにしなる柔軟さと強度、硬度を併せ持ち、耐腐食性に優れている。
余談だがブリネル硬さで示すと350HB程となる。
北の果てドライゼルのさらに北部で採取出来る砂鉄の精霊を含む鉄と、通常より高い温度で鋼を鍛造することで様々な不純物を溶かし込む鋳造法により、このクロイツ鋼は帝国以外での製造は不可能である。
その紋様が描く美しさから、美術品としての価値も高く、これを求める好事家も少なくない。
何故クロイツという名称なのかは、帝国の由来が関係するという噂だが。現在クロイツという地名はドライゼル帝国の何処にも存在しない。