107話 アズリア、帝都ネビュラスへ
アタシは右眼の筋力増強の魔術文字を発動させ、強化された脚力で真夜中の平原を駆ける。
ノウムはというと、いつの間に土塊から作り出した四足歩行の獣の背中に騎乗し、アタシの走る速度に並走していたのだ。
さすがは大地の精霊といったところか。
しばらく走り続け、アタシが唯一知っている南東の、今は誰も住人のいない集落だった場所を通り過ぎていき。
ようやく、帝国側が勝手に引いたとされる国境沿いが見えて来たところで、アタシはノウムを一旦制止して物陰に隠れ、国境の状況を観察していく。
「おやおや、コレはまた随分とご立派な国境警備ってトコだねぇ」
さすがに大陸で見られたように石壁を建てられてはいなかったが。
アタシの背丈程の高さの木の柵が境目に建てられ、同じく木の小屋の関所に数人の兵士が見える。
白い鎧を装着している時点で、神聖帝国の兵士なのは一目瞭然だ。
「警備の人間は、見回りは無しか。関所にいる兵士の数は、いち、に……と、五人か。強行突破出来ない数じゃないけどねぇ……」
「五人ならアズリアなら楽勝なんじゃないの?」
確かにアタシなら、練度の低い帝国兵五人なら一斉に相手にしても、遅れを取るとは思っていない。
だが今回の目的は、強襲ではなく潜入なのだ。
そのために、帝国領内に足を踏み入れる時点で騒ぎを起こすのは本末転倒だ。
幸いにも、今は真夜中。
柵を見回る兵士はいない。
なら久々に、この魔術文字を発動させるために腰に差していた短剣を取り出し、その先端で指の腹を刺して血を滲ませる。
「?……何でわざわざ指を切ったのよアズリア」
「少々不便だけどねぇ……こうしないと、魔術文字に魔力を与えられないからだよ」
突然アタシが短剣を指に刺し始めた様子を見て少し驚いたノウムが、何をしているのかその意図を尋ねてくる。
アタシとしても、ただ地面に文字を描いたり、柔らかい石で記したり出来ればもう少し手軽に使えるのだけど。
残念ながら今のところは、アタシ自身の血を使わないと魔術文字を発動出来ないのだ。
ノウムへと説明しながら、二重発動を駆使してアタシと彼女へと記していくのは、纏いし夜闇の魔術文字。
そして発動のための力ある言葉を紡ぐ。
「我は月に願う、光遮る夜の闇────dagaz」
最近は「漆黒の魔剣」を発動させる時にしか使ってなかったが、元来はこうして闇を纏って姿を隠蔽するのが本来の効果なのだ。
発動した魔術文字から、空と同じく漆黒の闇が発生し、アタシとノウム、そして彼女が騎乗していた「土塊の騎獣」の身体を包み込んでいく。
「あららー?……貴女の姿が夜闇に溶け込んですっかり見えなくなったわねー」
「……ノウム、あまり声を出すなっての。アタシの魔術文字じゃ姿は隠せても声や音までは隠せないんだからなッ」
「────アズリア、静かに」
ノウムから見た視点で、アタシはすっかり夜の闇に溶け込んでいるのだろう。もちろん、アタシから見ても彼女は騎乗する土人形ごと視界に映らなくなっていたからだ。
その様子がそんなに珍しいのか、黄色い声を出して騒いでいた彼女を静かにするよう諌めていくが。
彼女は悪びれる様子もなく、諌めるアタシの言葉を遮るように口にする。
「…………ぐッ、そ、それじゃ行くよ」
その言葉に半分呆気に取られながら、こんな場所で言い争う事が無意味だと思い、反論したい気持ちをグッと堪えて、国境を抜ける合図を掛ける。
見回りがいない以上、姿さえ隠して兵士に見つからないようにすれば、後は柵を飛び越えて帝国側へと進むのは簡単な事だ。
こうして国境の検問を無事騒ぎを起こす事なく突破したアタシらは、以前魔王様と対決した後に丘陵から見た帝国唯一の都市へと向けて一直線に走る。
その道中、少しずつ夜が明け始めて空が群青から朱く染まり、徐々に空が白んできた。
先程使った纏いし夜闇の魔術文字は、闇を纏うというその効果上、夜にしか意味を成さないという欠点がある。
筋力増強で速度を上げて帝国側へ向かっていなかったら、多分に先程の手段は取れなかっただろう。
アタシは自分の幸運に感謝することにした。
それにしても、だ。
帝国の都市に向かう道中だが、ちらほらと見受けられる畑には穀物が実に貧相に実っていた。
アタシは並走する大地の精霊に視線を移す。
「ん?……なぁにーアズリア?」
「……いや、何でもないよ」
大地の宝珠の魔力が魔術文字で阻害されてた弊害は、魔王陣営側だけでなく、神聖帝国にもやはり悪影響を及ぼしていたのだ。
もしかして思ったより兵士が弱かったのは、最初は練度の差とばかり思っていたが。
……この貧相な畑の穀物の育ち具合。
帝国の人間も慢性的な食糧不足によって、そもそもマトモな訓練が受けれる程の身体が出来ていないのかもしれない。
こんな連中を、信仰という名の鎖で縛り付けて魔族と戦わせているセドリックという神に、アタシは悪態の一つでも言ってやろうと思った。
そんな事を考えながら、ようやく見えてきた帝国唯一である都市へと到着したのだったが。
……どうも都市の様子が遠目で見てもおかしい。
まだ夜が明けきってもいないのに、住人らが慌ただしく都市の内部を走り回っているし、都市のあちらこちらから絶叫や泣き声が聞こえてくる。
控えめに判断しても、異常な事態だった。
アタシはまだ帝都には足を踏み入れずに、住人らが何をそんなに騒いでいるのか、言葉にならない叫び声や泣き声から何とか事情が分からないか、耳を澄ませて様子を探っていると。
「ネレイア様が!……巫女様が魔王に殺された!」
「やはり魔王は人間の、我らセドリック信者を敵対視してるんだ!」
「……許せねえ……聖戦だ!巫女様の仇を討つんだ!」
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼︎‼︎』
怒声に混じり、かろうじて聞き取れたのは。
どうやら、帝国の重鎮らしいネレイアというなの巫女が夜の内に暗殺された、ということらしい。
問題なのは……その犯人が魔王様だという事になっている事なのだ。
「土塊の騎獣」
土に魔力を送り込み、術者の望む形状を取らせて使役する土人形を作成する地属性魔法の亜種。
使役している間の形状の維持には膨大な魔力を必要とするため、難易度としては超級魔法に匹敵する。
人間社会で普及している同じ効果の魔法が人型にしか対応していないのは、創造魔法には術者の想像力と芸術的な才能が必要になってくるためである。




