106話 アズリア、これからの方針は
工房のあった洞窟を出ると、太陽はとうに沈み空は群青に染まり、辺りはすっかり真っ暗な夜闇に包まれていた。
先程まで洞窟の内部とはいえ、真っ赤に焼ける鍛造炉を見ていたアタシは、夜の暗さに目を慣らすのに少しばかり時間を要した。
「でアズリア?……これからどうするつもりかしらー、魔王城に戻って私を紹介する?」
アタシの隣に並ぶ、金髪に華美な装飾を身に付けた褐色の美女ノウム。
その正体は、どうやらこの魔王領を領域とした大地の精霊だったりするのだが。果たして彼女の言うように、魔王様に一度紹介したほうがよいものか迷っていた。
「さて、これからどうするかねぇ……?」
何せ、精霊である。
アタシがシルバニア王国で師匠と出会ってからというもの、立て続けに精霊と遭遇していたりするが。
大陸を7年間、一人で旅して回っていた時には一度たりとも精霊の姿を見たことはなかったのだ。
元来「精霊と遭遇する」というのは、人間がその一生に一度出会えたら幸運、という頻度であり。アタシのこの数ヶ月こと異常な事なのだ。
「あ、城に連れて行ってくれるなら、バルムートにもあらためて私を紹介して欲しいわねー……何しろあいつ、老婆の姿の私しか知らないんだしー」
幸運にもアタシは宝珠の魔力を解放した事でノウムに気に入られているし、そもそもこの場所を教えてくれたのはバルムートだ。
デモニカ鉄を使って専用の戦斧を鍛造したのだ、彼との関係は問題ないだろう。
問題なのは、魔王様含め他の連中がもし、大地の精霊の機嫌を損ねるような態度を見せた時だ。
「……うん、どう解釈しても悪い結果にしかならないよねぇ……こりゃ」
魔王陣営の食糧事情は、魚を食糧とした事でだいぶ改善したとは言え、やはり中心になるのは栽培した農作物や自生する植物なのだ。そしてその成長に欠かせないのは、土だ。
機嫌を損ねでもしたら、その成長に。引いては食糧事情に大きな悪影響が出るのは間違いないのだ。
一番の懸念材料とは。
魔王様と、アステロペであった。
思い出して欲しい、そもそもアタシがこの魔王領にいる理由というのが、あの魔王様に花嫁候補として見初められたからなのだ。
そして、ノウムの容姿はアタシなんかより全然魅力的であり、しかも無駄に艶っぽい。
加えて、魔王様の婚約者であるアステロペの嫉妬深さは、アタシが一番良く理解している。
魔王様のノウムへの反応次第では、城に……そして魔王領にどんな影響が出るか、あまりにも危ういのだ。
「よし、城に帰るのはやめよう……うん、多分それが一番いい」
元々アタシには、食糧事情を改善するために何か役割を担当していたわけではない。
しかも、アステロペの入れ知恵でお目付け役として同行していたユーノとも、今は離れて別行動をしていたりする。
つまり今のアタシには、無理に城へ帰還する必要がない、という事に気が付くと。
「……あれ?コレって……もしかしたら、絶好の機会なんじゃないか?」
討議の間でアタシが一度口にし、後回しにしていた提案。
それはアタシが、人間の国家である神聖帝国内部へ潜入するという話だった。
あの時は、まず食糧事情を解決するのが先決だと諭され、討議の間で揉めるのを嫌ったアタシが意見を一旦取り下げる形で終わったのだが。
食糧事情も、アタシらやバルムートが持ち帰った飛竜や海竜の肉によって若干の余裕が出るだろう。
それに……帝国は、魔王の本拠地へ魔法の杖などを持たせた連中に強襲させるくらいだ。
果たしてあれが最大戦力で、帝国側には余力が残っていないのか。それとも魔法の杖級の装備が、まだゴロゴロと出てくるくらいの余裕が残っているのか。
今後のためにも、帝国側が保持する戦力は把握しておきたい。
よし、行こう────グランネリア帝国へ。
「ねぇアズリア……そろそろ真夜中に洞窟の前でただ立ってるだけなのも飽きてきたんだけどー、何処に行くのか決まったかしらー?」
「ああっ……魔王城には、戻らない」
アタシの返答を聞いて驚いてくれるかと思ったのだが、ノウムは目を細めて口端を横に広げて、あの意地悪そうな笑みを浮かべると。
「……ふーん。何か面白そうな事を思い付いたみたいじゃないアズリアー?」
「面白いかは分からないけどね。ノウムもこの魔王領で起きてる戦争は大体理解してんだろ?」
「まあ……元からいた魔族と流れ着いた獣人族たちは仲良く出来たのに、一番後から来た人間がこの島で長い間戦い続ける、ってくらいはねー……あ、何で戦ってるかは知らないわよ」
アタシが知る限りでは、魔王陣営から手を出してはおらず。人間側である神聖帝国が一方的に、セドリックという神への信仰を前面に押し出し魔族、そして獣人族をこの地から排除しようとしているというのが、この争いの構図なのだが。
「だからさ、アタシはこれから人間側の国へ行ってみようと思ってるのさ。アタシも人間だし、別に疑われるモノでもないだろうからねぇ」
「ふーん……アズリアが人間……ねえー……?」
行き先を告げるアタシの言葉に、意地悪な表情のままで口を挟んでくるノウム。
まるで、アタシが人間でないかのような口ぶりで揶揄ってくる。
「……何だいその目は。言っておくけど、アタシはリッパな人間だよッ……に・ん・げ・んッ!」
「あふひあ、ひはひひはひひはやひへえ(アズリア、痛い痛いー離してー)」
そんな悪ふざけをするノウムの左右の頬をそれぞれ両手で摘んで横に伸ばしていくと、何を言ってるか分からない声を出しながら講義してくる。
……確かに幼少期は、生まれ持った魔術文字の力で、大人の男以上の腕力を見せたアタシは「バケモノ」呼ばわりされたりと、人間として扱われなかった時期もあったが。
「……痛たたたた……もうアズリアったら冗談じゃないー……もっとも、あんな重さの剣を平然と振り回す時点で本当に貴女が人間なのかは怪しいけどね、うふふふっ」
頬を摘んでいた指を離すと、摘まれていた箇所をさすりながら悪態を吐くノウムだったが。
「これ以上言うなら置いてくよ、ノウム?」
「あーん……嘘、嘘、冗談よおアズリアー……そんな面白い場所着いて行かないわけないじゃないー」
周囲に生い繁る木々の隙間から漏れる月の光で何とか見える道を、ノウムをその場に置いて先へと歩いて行くアタシ。
その背後から足早に追いかけてくるノウムがアタシの腕へとしがみついてくる。
向かうのは帝国唯一の都市、帝都ネビュラスだ。




