105話 アズリア、忘れられない笑顔
冷却用の油に大剣を浸し。
それから地下より湧き出た冷たい水に大剣を移し変えて、濡れた刀身を布地で丹念に磨き上げていく。
ようやく、大地の精霊の手が止まり。
額にびっしりと浮いた汗の滴を拭き取ると。
「…………出来たわ、完成よ」
そう呟いてから彼女が持ち上げて見せた修繕を終えた大剣を見たアタシは、思わず驚愕の声を上げる。
「こ、コレが……同じ大剣だってのか……おい、まったくの別モノだろ、コレ……ッ」
「うふふ、気に入って貰えたみたいで何よりよー」
大鎚で叩いていた時には違いを見つける事が出来なかったアタシでも、こうして完成した大剣を見せつけられれば、その違いは一目瞭然だった。
今までは、無骨な鋼の塊にとりあえず刃が付いている印象だったが。
今、アタシの目の前にあるのは、人を、魔物を、目の前に立ち塞がる障害を斬るために洗練され、完成された、まさに剣という雰囲気を兼ね備えていた。
その姿に、アタシは背筋に緊張が奔る。
この工房は汗ばむ程に暑いというのに、寒気すら憶えるほどの。
「私としても会心の仕上がりだったし、元々この剣の出来が良かったから、というのもあるわねー」
修繕を終えた大剣を受け取ったアタシがその出来にすっかり満足している様子を、腕を組みながら満面の笑みを浮かべ、何度も頷いている大地の精霊。
そんな彼女にアタシは、鍛治師ノウムとしてではなく、大地の精霊として尋ねたい事があった。
「……なあノウム。アンタがアタシの名前を知ってたのは宝珠の事があったからだとして……じゃあ何故、アタシが師匠たちと出会った事まで知ってたんだい?」
最初は不思議に思わなかったが、よく考えてみればおかしな話なのだ。
もし、師匠を含め他の精霊たちと大地の精霊が意思を疎通出来る手段があるのであれば、老婆から本来の美女の姿に戻れてあれだけ狂喜乱舞していたのだ。何とか他の精霊に「元に戻して」と頼み込んでるだろう。
何故かアタシと師匠たちの関係を知ってるくせに、自らの窮状に無関心なことが、あまりに不自然だったのだ。
ここまで見事に剣の修繕をしてくれた恩人へ、訝しげな視線を送るのは少々気が引けるが。
場合によっては、アタシは師匠ら精霊たちに「試練だ」という名目で盛大に担がれた可能性だってある。
もしそうなら、アタシは「師匠」という呼び名を返上するかもしれない。
「それはね……大樹の精霊たちが必死になってアズリア、貴女という一人の人間の行方を今なお、探してるからなのよ」
アタシの発想と、事実はまるで逆であった。突然魔王様に召喚され姿を消してしまったアタシを、師匠たちは探してくれていたのか。
「他の精霊たちへ強い呼び掛けがあったわ……それも、三回」
三回、その回数が意味するのは。
水の精霊。氷の精霊。そして、師匠。
アタシが旅の最中に知り合い、世話になった精霊の全てが今も自分の居場所を探してくれているという事になる。
逆の発想をしたアタシ自身が、あまりにも浅ましい人間であることに自己嫌悪に陥りそうになる。
だが、彼女の話にはまだ続きがあった。
「……老婆になって力を失ってた私は、大樹の精霊たちの声を拾うのが限界で、私から声を返すことが出来なかったのよ。それが貴女と精霊たちの関係を知っていた理由よ」
「納得したよノウム、その……疑って悪かったねぇ」
もちろん今の話だって、大地の精霊が嘘を吐いていないという前提が必須なのだが。
世話になった師匠らを疑った自分自身を許せなかったアタシは、何も代償を求めずに大剣を修繕してくれた大地の精霊を、これ以上疑う真似はしたくなかったのだ。
「うふふ、別に悪いだなんて思わないでいいのよ?……そう疑われるよう振る舞った私も悪いんだし、大樹の精霊たちだって好きでアズリア、貴女を探し回ってるんだからー」
真剣な話をしている中、片目の目蓋を閉じて、自分の唇へ一本立てた指を置いて、その指を今度はアタシの唇へと押し付けてくる大地の精霊。
「それで?……魔力を取り戻した私に、大樹の精霊たちに貴女の居場所を伝えて欲しいのかし────」
「……逆だよ、ノウム」
意地悪な笑みを浮かべながら、大地の宝珠からの魔力供給で本来の姿を取り戻した今なら、声を聞くだけでなくこちら側から問い掛ける事も可能だと大地の精霊は告げるが。
その提案を、アタシは即座に断った。
「え?……ええ、ぎゃ、逆?……それってアズリア、貴女がここにいる事を……私に黙ってろと言ってるのかしら?」
まさか、断られるなどと微塵も思わなんだ彼女。
その問い掛けにアタシは無言で頷く。
確かに今、師匠らと連絡が取れて、あわよくば精霊の力を借りられれば、アタシたちは神聖帝国相手に優勢に戦う事が出来るだろう。
大樹の精霊や水の精霊の魔力があれば、今すぐにでも食糧問題を解決に導く事が出来るかもしれないし。
氷の精霊との「精霊憑依」があれば、単騎もしくは魔王様と一緒に神聖帝国へ降伏勧告をする事だって不可能ではない。
だがアタシは一度、師匠らを疑った。
なのに、どの顔を下げて助力を頼むことが出来るのだろうか……少なくとも、アタシにはそんな恥知らずな真似は出来ない。
だから、師匠らに胸を張って顔を合わせられるように。
せめて助力を頼むのは、神聖帝国との決着を付けてからにしたい。
そんなアタシを見て、軽く溜め息を吐きながら両手を広げて、呆れたように肩をすくめてみせると。
「……わかったわ、アズリア。でも、まさか大地の精霊である私が手助けをするのまで断るつもりじゃ……ないわよねぇ?」
と言いながら、アタシの腕に手を絡めてくる大地の精霊。
いつの間にやら、ほぼ全裸だった先程までの格好から、華美な装飾品をこれでもかと髪やら首ならに身につけて、露出の高い布地の服を身に纏っていた。
「いやいやいや?……ちょっと待てノウムっ、アンタまさかその格好……工房を放置してアタシに着いてくるってのかいッ?」
「そうよー悪い?……あれ?もしかして断るって言うのなら……貴女のこと、大樹の精霊に言ってもいいのよぅー?」
全く悪びれる様子も見せずにアタシへと同行しようとする大地の精霊。
絡めた腕を振り払おうと動いた途端に、彼女は再び意地悪な笑みを浮かべ、その笑みを手で半分隠すような仕草を見せながら、師匠の名前を出して脅してくる。
「…………ぐぅぅ……き、汚ねぇッ……」
その名前を出されたらアタシはもう断られない。
その脅しの手腕に、ただ悔しさを噛み締めながら振り払おうとした腕を、彼女が為すがままに許してしまう他なかった。
「うふふー。よろしくね、ア・ズ・リ・アっ」
大地の精霊が浮かべた、その意地悪な笑顔を。
アタシは当分忘れることはないだろう。




