104話 アズリア、汗に塗れ鎚を振るう
大地の精霊の工房は、洞窟の最奥部。
外を眺めるための窓もなく、工房に篭る熱気は天井に開けられた穴からしか出ていかないため、鍛冶場は実に暑い。
砂漠の国のメルーナ砂漠ですら、これ程の熱気を経験したことは稀だ。
大鎚を叩き続けていたアタシは、額だけでなく全身から玉のような汗を噴き出して、纏っていた下着代わりの布が、汗に濡れて肌に張り付き気持ち悪い。
二人で叩いて熱く焼けた金属を鍛えているうちに、空気に触れて冷えて徐々に黒く変わっていく。
すると大地の精霊は、冷えて黒くなった金属の塊を再び燃え盛る炉へと投入し。足元にある「ふいご」と呼ぶ器具で炉に空気を送り込んでいく。
アタシも野営をする際に、焚き火を維持したり大きくするために炎に息を吹き込むことがあるが。このふいごは足で踏むことで、わざわざ息を吹かなくてもそれ以上に空気を炉へと送り込むことが出来る器具なのだ。
こうして再び真っ赤に焼かれた金属を鍛えるために、アタシと大地の精霊が渾身の力を込めて握る鎚を振るう。
────そして。
いったい、どれ程の時が経ったのだろうか。
百を超えた辺りで、焼き入れる回数を数えるのを止めてしまったが。アタシと大地の精霊は、それでもなお焼けた大剣に鎚を振るい続けた。
鍛治の素人であるアタシには、修繕される前と、鎚を打たれた今の大剣に何の違いがあるのか、見た目で判断することは難しかったが。
それでもアタシは「この大剣を蘇らせる」という彼女の言葉を信じて、想いを込めて大鎚を振るう。
────そして、その時はようやく訪れた。
「……ふう。お疲れ様ねーアズリア。これで打ち直しの工程は完了よ」
「ふいぃぃぃッ……よ、ようやく終わったああッ!」
大地の精霊から今の作業が終えた合図の声が掛けられた途端、張っていた気が抜けて、工房の床へと尻を突いて座り込んでしまった。
そう考えると、丸三日も碌な休憩も無しに鎚を振り続けていた7年前の自分の頑健さを単純に尊敬してしまう。
だが、目の前の大地の精霊はまだ何か作業を続ける準備のような仕草を見せていたので、アタシは思わず声を掛けた。
「……ん?なあ、作業は終わったんじゃ」
「うふふ、終わったのは打ち直しの工程までよー。でもここからは私一人で出来る工程だから、アズリアは休んでくれて構わないわー」
今のアタシの身体は、確かに疲労困憊だ。
大鎚を力加減を毎度微妙に変化させながら握っていたため、モーゼス爺さんの鍛錬よりもキツい……おまけに、手首足首にはその爺さんから重石となる枷が装着させられたままなのだ。
それでも。
相棒である剣を蘇らせてくれている大地の精霊の前で、呑気に休んで剣が修繕されるのを待ってなどいられるわけがなかった。
アタシは重い腰を上げて立ち上がり、作業の準備を続ける彼女へともう一度気を張り直してから声を掛ける。
「なあ大地の精霊、アタシも最後まで手伝うよ……いや、手伝わせてくれないかい?」
そんなアタシを見て、大地の精霊は驚いた顔を浮かべながら。
「え?でも……これから先は貴女に手伝える事は……ううん、じゃあもう一頑張りお願いしちゃうわよ、アズリア」
「ああ、任せておくれよッ!」
「それじゃ、いくつかの木桶に水を張っておいて欲しいわねー」
少し考える仕草を見せてから、これから行おうとしていた工程、剣が冷えてから刀身を研磨するための作業の準備をする指示を受ける。
研磨には、鍛治師が用意した砥石を用いて武器の表面や刃を研いでいくのだが。
鍛治師によって使う砥石の種類がまるで違っていて、通常使われている石では飽き足らず、自分が使う砥石を収集する依頼を行商人や冒険者に出す鍛治師も多かったりする。
もちろん、アタシも一、二度ほどそのような内容の依頼を受けた事があるので、砥石の事だけは知識があった。
だから、研磨の作業が始まってからアタシは、刀身を砥石で研磨するのに集中していた大地の精霊を凝視してしまっていた。
彼女がどんな砥石を使うのか、興味があったからだ。
そんなアタシの熱を帯びた視線に気がついたのか、作業と作業の合間にいつもの意地の悪い口調で尋ねてくる。
「あらー?……アズリアは私がどんな砥石を使ってるのか、ものすごーく気になるみたいねー?」
見ている事を隠すつもりはなかったが。
視線を送っていた事を作業に集中している彼女にまさか気付かれるとは思ってなかったので、指摘されてしまったことに大いに動揺し。
「う⁉︎……い、いや、そんなことは……」
正直に「そうだ」と肯定してしまえばいいものを、突然の出来事に困惑してしまい、肯定も否定もせず誤魔化してしまう。
というのも、どんな砥石を使っているのかは鍛治師にとって鍛造の手順と同じくらい重要な秘密であり。
本来なら鍛治師は、自分がどんな砥石を使っているのかを絶対に隠しておきたいのだ。だから先に説明した依頼でも、絶対に「砥石」とは依頼書に明記せず、「珍しい石」などと書かれたりするのだ。
だが、そんな鍛治師にとって重大な秘密とも言える砥石を盗み見るような行為をしたアタシに。
「うふふ、いいのよー?……それじゃ、ここまで手伝ってくれた貴女にだけ、鍛治師ノウムの秘密を教えてあ・げ・る・わねぇー」
手招きをしてアタシを作業場へと呼び寄せると、彼女は使っている真っ黒な砥石を指差しながら、その詳細を自分の口で説明してくれた。
「この砥石はねぇー……ラグシア大陸とは違うここコーデリア島特有の地層から採掘出来る黒柘榴石という石で作られているの」
「……ね、ねろ、がーねっと?」
黒柘榴石。
アタシが聞いたことも、書籍や文献に載ってもいない鉱石だった。
柘榴石という名称が付いているという事は関連のある鉱石なのかもしれないが、少なくともアタシの知っている柘榴石は、血のように暗さを帯びているとはいえ基本は赤色であり。
この砥石のように光沢のない黒ではない。
「うふふ、だから別に知られても構わないのよ?……まあ、貴女なら鍛治師の秘密を悪戯に吹聴しないって信じてるのは本当よ?」
何故か、煙に撒かれたような気分だが。
そんなアタシのモヤモヤとした表情を見て、一通り楽しんだ様子の大地の精霊は、再び大剣を研磨する作業へと戻っていった。
「アズリアの困り顔が見れて私も元気が出たわあー、さて……完成まであともう少しよー」
余談ですが。
クロイツ鋼は、砂鉄の精霊との契約で複数の金属の黄金比を割り出している以外は、元来のダマスカス鋼と同様の鍛造方法です。
大地の精霊ノウムが作成したデモニカ鉄は見た目こそ同じでも、鍛造方法が大きく違います。
燃える石=石炭を溶岩で熱した鍛造炉で、何度も金属を折り返し叩いて同一の金属で層を作る、どちらかと言えば日本の玉鋼のような方法です。
本来ならば硬度は「デモニカ鉄>クロイツ鋼」なのですが、デモニカ鉄にはノウムの精霊としての能力は一切反映されていない、純粋な技術なのですが。
対してクロイツ鋼は精霊の魔力を利用したトンデモ技術なので、この世界では同じ硬度にしてあります。




