38話 アズリア、子供らに手紙を託す
「だからよう!……ここに、四等冒険者で俺様と同じくらいデカい肌の黒い女が登録してるか聞いてるんだよ!……さっさと名前と住処を答えろってんだ!」
「も……申し訳……ありま、せんが……冒険者、の……情ほ、うはっ……」
若い受付の女性は胸ぐらを掴まれながら、男の乱暴な態度にも怯むことなく抵抗を続けていたが。
「何遍も言わせるなよぉ!──俺様はランベルン家の使いで来てるんだ!……それとも、冒険者組合は伯爵家に楯突こうってのかあ!──それが組合の総意って報告するぞ!」
「……か……はっ」
胸元を掴まれて息が苦しくなっていたのか、受付の女性の顔色が真っ赤から白くなっていた。そろそろ限界だろう。
アタシは湧き上がる怒りを何とか理性で抑え込み、その男の肩に手を置いた。
「──アンタが探してるのはアタシだろ?……だったら手を離せよ、クソ貴族の飼い犬風情が」
アタシの顔を見るなり、興味を失ったかのように受付の女性を解放し、女性は床にペタンと尻もちをつくと荒く呼吸をし始める。
「……はぁぁぁ……はぁぁぁ、げほっ、はぁ、はぁ……」
「よう……探したぜぇ」
禿げた男はというと、こちらをまじまじと確認するとニタリと気味悪く笑いながら。
拳に格闘用の……昼間の拳当てとは違い、あまり他では見たことのない武具を装着すると、握り込んだ拳からは禍々しい刃が飛び出していく。
「……テメェにやられたおかげでルドガー様には叱られるし、給料は下がるし、まったく酷ェ有様だ」
醜い顔に気色悪い笑みをニヤニヤと浮かべながら、禿げた男・バルガスは。両の拳をガシガシと打ち鳴らしながら、アタシへと迫ってくる。
カイトが床に落とした甘露草をぐしゃぐしゃと踏み躙りながら。
「自業自得だろうが……この負け犬」
「ぬかせェ! ありゃ俺様が女なんぞに本気を出すまでもない思いやりだったんだあ! それを、それを……テメェは台無しにした挙句に仇で返しやがった!」
「……はぁ。それで?」
男の言ってることには無茶がありすぎる。
大体、女だから本気を出せずに負けました、なんて理屈を認めて欲しいのならば。冒険者や貴族の護衛なんぞせずに、騎士団に入隊して正々堂々と挑んできてからにして欲しいものである。
話を聞いているうちに、何故こんな雑魚に憤慨していたのかがだんだんと馬鹿らしくなってきたが。
「へへっ……これを見て、まだその澄ました態度でいれるかよ?」
そう言って男がアタシの足元に転がしてきたのは。
アタシも見覚えのある、鳥を模倣った銀の髪飾りだった。
「……おい……これを、何処で手に入れた?」
ところどころ傷が付いたり、曲がっていたりして損傷が激しいが。確かに男が見せる髪飾りは、アタシがシェーラに買ってあげた物に間違いがなかった。
「おいおい、その前に言うことがあるだろ?……このバルガス様に拳を振るって申し訳ありませんでした、ってな」
アタシの怒りが限界に達するのを理解出来ずに。
目の前の馬鹿は、この後に及んでまだアタシへと謝罪を強要していたのだ。
こいつがネリを泣かせたのか。
この野郎がカイトを殴ったのか。
この負け犬風情が……シェーラを攫ったんだな。
「肌の黒い女、テメェも……あの商人の娘もそうだ。女ってのはもっと可愛げがなくちゃならねえ……だから俺様が少しばかり拳で教えてやったのよ、へへ」
アタシばかりか、シェーラをも侮辱した男の発言に。
もう自分の怒りを抑えられなかったし、抑えるつもりも微塵も無かった。
「後悔するなよ────wunjo」
「……ああん?小さすぎて聞こえねえぞ! それに突っ立ってねぇで膝をついて額を床にこすりつけて謝るんだよ! 謝り方も知らねぇのかテメェはあっ!」
この豚になら──本気を出しても許される。
アタシの右眼にある魔術文字が赤く輝き。
「……額を床につけるのはテメェだ。小鬼以下のゴミ野郎がッ──」
瞬間、男の腹にアタシの渾身の拳がめり込む。
しかも右眼の魔術文字を発動させた状態で。
アタシの拳に伝わるのはあばら骨が何本か折れた感触。
「がっっ⁉︎……はあああぁぁぁあああっっっ⁉︎」
「言いたいことは幾つもあるが……まずはその花から足を退けろ、この野郎……ッ」
拳の衝撃で身体をくの字に折れ曲げながら、口からは声にならない呻き声と一緒に吐き出す真っ赤な血。
バルガスは苦痛に顔を歪めながら、こちらを憎しみに満ち満ちた視線で睨んでくる。
「……おい豚。死にたくなかったら本気でこいよ。でないと、ホントに殺すよ」
「ごふぅ……ッ……て、てっ、テメェ……っ」
一撃で倒れるなんて、誰が許すものか。
「まあ……本気だろうがなんだろうがアタシにゃ関係ない。アンタは今ここで死ぬんだ……何故なら、アタシが殺してやるから」
「ぐ……へぇぇぇっ⁉︎」
男が拳に装着した凶器を使う前に、アタシの膝蹴りが腹に深々と突き刺さり。
大きく目を見開いて、意識を失い崩れ落ちそうになるバルガス。
「──まだだ。まだ足りねぇよ」
崩れ落ちそうになる男の頭を鷲掴みにすると、片手で男の身体を無理やり起き上がらせる。
男を掴んだまま、膝を男の股間へと叩き込みその激痛で悶絶し口から血の泡を吹くが、頭を掴んでいるので倒れることは出来ない。股間から血と何らかの液体が漏れ出しているが。
アタシはそんな状態でも構わずに、怒りに任せて男の顔面へと何度も何度も拳を振るう。
「……て下さい!この人が死んじゃいます!」
アタシの拳が止まったのはその声だった。
いや、気がつけばアタシの身体には拳や脚を止めようとカイトやネリ、クレストにリアナが必死の表情でしがみついていた。
男の顔に巻かれた包帯は真っ赤に染まっていたが、どうやらまだなんとか息はある。
「ふぅ……大丈夫。みんな、ありがとな」
「……いえ、アズリアさんが俺たちのために怒ってくれたのは分かってますから」
「こんな男のせいでお姉さんが人殺しになっちゃうなんて絶対ダメです!」
泣きそうになりながらアタシに怒ってくるネリの頭を撫でながら、少しだけ反省する。
子供たちに心配されてしまうなんて、まだまだアタシも心は子供のままなんだと。
でも、さすがに昼間に乱闘騒ぎを起こして衛兵長に注意されたばかりだ。今度は罰金を払い即釈放とはいかないだろう。
アタシはまだやらなきゃいけないことがある。捕まるなり衛兵に出頭するにしても、まずはシェーラを救出してからだ。
一つだけ心残りがあるとすれば……
ふとその心残りに気がつき、組合のカウンターにあった羊皮紙とペンを借りて簡単な手紙を書くと、その手紙をカイトに手渡し。
「お願いがあるんだ。この手紙を、南地区にある精霊様を祀っている大きな樹に今すぐに届けてくれないか?──依頼料は前金で金貨一枚」
「……え?こ、こんな大金、受け取れないよ!」
「夜も遅いから特別料金だ。夜道にゃ気をつけて配達してくれよなッ」
「あ、アズリアさんは……これからどうするの?」
「アタシ?んー……ちょいとそこの馬鹿息子に挨拶がてら野暮用を済ませておこうと思ってね」
組合の建物の中が騒めきだす。この粗暴な男は受付を脅す時にランベルン家の名前を出したことで、悪名高いランベルン家がこの一件に関与しているのは周知の事実となった。
すると冒険者らの一人が、ランベルン邸に向かうアタシに後ろから声を上げる。
「い、いくらアンタがどんなに強くてもランベルン家にゃあの一等冒険者の"神速の"ベルドフリッツがついてるんだ!……勝てるわけない」
「へぇ……一等冒険者、ねぇ」
「……ランベルン家の連中は、一部の冒険者を囲って他の冒険者を喰い物にして殺人、密売、奴隷の売買など違法行為で荒稼ぎしてる」
何故、あの貴族の子息が街中で横暴な態度を見せたり。シェーラを誘拐するような暴挙に出たのか、その理由がようやく理解出来た。
一等冒険者があの貴族の後ろ盾にいるとしたら合点がいったからだ。
「現にオレの親友もあそこの依頼を受けて行方知れずだ。だけど証拠がなけりゃ貴族様相手にいくら平民が訴えても聞いてもらえない」
「……アンタとアンタの親友の名前は?」
「オレはアラン。あいつはウェスタ、いい女だった」
「ならアラン。ウェスタの仇はアタシ、アズリアの名前に誓って取ってやるよ……絶対にね」
「……ありがとう。死ぬなよ、アズリア」
「ははッ。アタシはまだ美味いものを食べ足りないからね……こんなところで死んじゃいられないよ」
まあ、もう王都じゃ落ち着いて食事は出来なくなるかもしれないが。
──ランベルン伯爵家。
あの貴族はもう冗談や謝罪じゃ許されないレベルにまで手を出してくれた。馬鹿息子とその部下、そして伯爵自身がやった代償はキッチリと払って貰うつもりだった。
アタシはシェーラの髪飾りを握りしめながら、馬鹿息子とシェーラが待つ伯爵邸へ、夜の街を駆け出していた。




