95話 バルムート、旧友の悩みを聞く
「────なるほどのう。まさか、この魔王領に帝国に縁のない人間が訪れたばかりか、その人間がコピオスを止めてくれた相手、とはのう……」
頭を下げて協力を要請するバルムートとのやり取りの後にその彼から事情を聞いて、腕を組みながらうんうんと何度も頷く海の女王。
その話の中に出てきたのは、アズリアの事。
あの勇ましい女戦士がこの魔王領に現れてから、バルムートが知り得る限りのアズリアの成果を洗いざらい話していったのだった。
その成果の中の一つ、大陸に侵攻した二人の親友コピオスを、噂の女戦士が討ち倒したという話題で二人の会話は一度止まる。
「だがバルムートよ、お主の言葉を疑うわけではないが……一介の人間が果たしてあのコピオスを止められるものかのう?」
「そこはな、俺も耳を疑ったが。アズリア殿は魔王とも互角に渡り合う実力の持ち主よ。しかも魔王はあの必勝の戦法まで披露した上で……とユーノから聞いている」
「なんと!……むう、確かにかような実力の持ち主ならばコピオスを打倒するのも可能なのかもしれぬ。実際に、大陸でコピオスが討たれたという噂は妾も耳にしていたからのぅ……」
と、いうのも。
海の女王に代表される海魔族の中には、時折りこの近辺を航海する人間らの帆船を襲撃する個体がいたりするのだが。
そういった経緯で、大陸に住む人間と接触する機会が、領内で暮らす魔族らに比べると多くなる。その結果として大陸で起きた大きな話題を知る機会もまた、多くなるという理屈だ。
余談だが、大陸の船乗りらが「見た」と噂になる人魚の女性も、その大半は下半身が魚である海魔族というのが真実なのだ。
「……それで、陸地での実りではこれ以上食糧を確保出来なくなったので、食糧となる魚を取りに来た……というわけじゃな。それもわざわざ四天将たるお主が、のう」
「いや、まさかアズリア殿から魚を食べるという話が出てくるとは思わなんだ」
誤解を招くかもしれないので説明を補足すると。
魔王領で生活する魔族や獣人族の全員が、魚を食べる習慣がないという話ではない。
海を棲み処としている海魔族は、日常的に魚を食しているし。
ネイリージュと親友であるバルムートもまた、魚を何度か口にしたことがあった。だからこそ、アズリアが討議の間で「魚を食糧とする」提案をした時に驚きを見せなかったのだ。
もちろん海辺に近い集落のごく僅かの住民や、海魔族との交流がある者は魚を食べる習慣はあるが。
釣りという安全な方法を知らない陸で暮らす住民らは魚を獲るのに、直接海に潜るか小さな木舟を漕いで海に出るかしかない。
だが、この魔王領の周囲の海流は頻繁に変わり、しかも強い海流のために。いくら身体能力の高い魔族ですら素潜りは危険であり、舟も制御が出来なくなり沈む危険が付き纏う。
以上の理由から、魔族は魚を食糧とすることを諦めざるを得なくなったのだった。
「魚を確保するには、ネイの協力が是が非でも必要なのだ。頼む!……城には帝国との戦闘で焼け出された領民らが腹を空かせて待っているのだ……」
話は、本題である海での魚の確保に戻る。
配下らに作らせた舟を漕いで、海流の激しい海で安全に魚を確保するには、ネイリージュら海魔族の海流を操る能力が必須になってくるのだ。
再びバルムートが頭を下げようとするのを、彼の胸に手を当てて制していく。
彼女としても、親友に何度も頭を下げられるのはあまり気分の良いものではないからだ。
「事情は分かったのじゃ、バルムート。妾としてもすぐに協力してやりたいのだが、のう……一つ困ったことが起きていてのう……」
そんな海の女王だったが、いざ協力を約束してくれる快い返答をするかと思いきや。
憂いを秘めた表情でバルムートから視線を逸らしながら、首を縦に振るには障害があることを示唆していく。
「何だと?……ネイよ、一体何に困っていると言うのか、俺に出来ることなら何でもするぞっ……さあ、何に困ってるのか教えてくれっ!」
「……ま、待て待てえバルムートよ、わ、妾の話を聞けえ馬鹿モノおっ?」
すると、バルムートは心配のあまりネイリージュの両肩を掴んで、彼女を悩ませる原因を聞き出そうと思わず感情的になり、掴んだ身体をゆさゆさと揺らしていく。
そんなバルムートに大声で抗議の声を上げる海の女王だった。
「はぁ、はぁ……まったくお主ときたら……その話を聞かない癖を直せと言うておるに……うぷ、気持ち悪っ……」
「おう、悪かったぞネイよ。して……その今すぐ俺らに協力出来ない理由とは何だ?」
何とか止まってくれたバルムートだったが、巨躯を誇る彼のその怪力で身体を揺らされたことで、ネイリージュはすっかり顔色を青くして口元を押さえながら。
自分の悩みの種を告白するために言葉を続ける。
「……バルムートよ。海竜は知っているな」
「うむ、人間らがニンブルグ海と呼ぶ東の海を根城にしている魔獣だな。だが、今まではネイよ、お主ら海魔族だけで対処出来ていたはずだが…………あ!」
バルムートは思い出す。
つい先日、島の南側に根を下ろした神聖帝国の連中に無様に襲撃を許したその理由を。
もちろん四天将レオニールの裏切りもあるが、大元の理由はコピオスが率いた三万もの大軍勢によって魔王陣営が深刻な人手不足、それも領内の防衛人員の不足による穴を突かれた、ということを。
「……そういうことだ。妾たち海魔族もその例に漏れぬという理屈だ」
つまりは、今までも海竜が支配海域を拡大する目的で、ネイたち海魔族の縄張りに侵入することは何度もあった。
その度に海魔族の中でも戦闘が得意な種が団結し、海竜を退治もしくは追い払っていたのだが。
言わば、海竜と海魔族とは宿敵とも言える関係なのだ。
コピオスの軍勢に海魔族の中にも大勢の賛同者が現われ、結果として海竜に敗北し、自分たちの縄張りに未だ居座り続けられている状態だというのだ。
「……今では戦えるのはほぼ妾のみ。海の女王とはいえ、さすがに妾一人では海竜を打ち負かすことは叶わなんだ……美貌ばかりで力を持たぬこの身が口惜しや」
このような冗談を口に出来るのだ。海竜に挑んで敗北したとはいえ、ネイリージュが無事だったことには安堵するバルムートだが。
海で魚を獲るためにも、海魔族の宿敵である海竜は邪魔な存在となってくる。
ならば、バルムートが選択する答えは一つ。
「ふむ。ならば俺がこの海岸に来たのは僥倖かもしれんな。よし、ネイよ……その海竜退治を俺が請け負うというのはどうだ?」
「お主が……本当か?」
「おお、任せておけ。この四天将バルムートが必ず海竜を仕留めてみせると約束しよう!……がっはっは!」
ネイリージュの前で、その分厚い自分の胸板を拳でドンと叩いてみせ、海竜をこの海域から排除することを約束してみせるバルムート。
もちろんこれは、魚を確保するために必要な事だが。
それ以上に、バルムートは自分の親友である海の女王を傷つけた相手に対して、無性に腹が立っていたのだ。
そんな親友の頼もしい態度に、ネイリージュが触手を動かしてバルムートにさらに接近していくと。
その分厚い胸板へと自分の頭を埋めて、太い腰に腕を回してくる彼女。
「お、おい、何の真似だ……ね、ネイよ……」
「……感謝するぞバルムートよ……ありがとう……」
突然の親友の対応に、顔を真っ赤にして慌てふためくバルムートだったが。
彼の胸に額を当てているため表情こそ見えないものの、微かに震えている彼女の身体から、「海の女王」と呼ばれ海魔族を統べる存在だとはいえ……心細かったのかもしれない。
バルムートは彼女が落ち着くまで、自分の胸板を彼女へ貸してやることにしたのだった。
 




