92話 アズリア、最後の慈悲
よく見ると、飛び立てない飛竜の後ろ脚に、黒い鎖が巻き付いていたのだ。
その鎖が何処から出ているのかを目で辿っていくユーノの視線に映ったのは……アタシだった。
「……アズリアお姉ちゃんっ⁉︎」
そう、この黒い鎖はアタシが魔術文字で作り出したモノなのだ。
「……いやぁ、まさか……あれだけ城の地下で祭壇を鎖で囲ってたんだ、あの魔術文字を使えば鎖で縛れないかと考えて使ってみたんだけど……的中したみたいだねぇ……」
実は城の地下で、なし崩し的に入手することとなった「tir 」の魔術文字だったが。
試しに発動して、この魔術文字にどのような効果を現わすのかを確認する機会が訪れなかったため、今回がアタシとしても初めての使用例となった。
右腕から伸びた、その「tir 」の魔術文字で作成された黒い鎖で飛竜の後ろ脚を拘束していた。
今は、何とか鎖を振り解き大空へ逃げようとする飛竜とアタシとの力比べの最中だ。
「いい加減に、大人しく、しろってえ……のッ!」
一般的な大きさとは言え、なにせ飛竜は馬を含めた馬車ほどの大きさを誇る竜属だが。
二重発動を駆使して鎖を維持しながら、右眼の筋力増強の魔術文字の効果で飛竜を力で完全に押さえ込み、地面へと引きずり倒す。
「すっごぉぉぃ……お姉ちゃん、飛竜に力くらべで勝っちゃうなんてすごいすごい!」
飛竜を五頭倒して、アタシを応援していたユーノの腕には巨大な籠手はなく。
どうやら既に「鉄拳戦態」を解除しているようだった。
……出来たらユーノには、この地面に倒れた飛竜を仕留めるよう頼みたかったのだが。
アタシは溜め息を吐きながら、右腕で発動させた魔術文字を解除し、片手に持っていた大剣を両手で握り直し、倒れた飛竜が体勢を立て直す前に仕留めにかかる。
倒れた飛竜の首に向けて、地面を蹴り上げて素早く距離を詰め、真上に大剣を振り上げると、そのまま真下にある首へと斬り掛かる。
────そして。
この場に動いている飛竜はいなくなった。
飛竜の返り血に塗れたアタシへ駆け寄り、背中へと抱き着いてくるユーノ。
「やったねお姉ちゃんっ、これだけのおにくがあればみんなもおなかいっぱいだよっ!」
「さぁて……それじゃケルヌンノス。ユーノの言う通りにするために、もうひと働きしてもらうよ────浄化の雫」
アタシの頭から生えた鹿角から注がれる一雫の水が、飛竜の肉にある毒……大剣で斬った箇所から覗く紫色の毒々しい斑点を浄化していき、斑点が消えていくのが見える。
この一手間がないと、飛竜の肉は美味いどころか、口にすると良くて腹痛で数日寝込む程度だが、悪ければ血を吐き生命にかかわる毒となるのだ。
そんな解毒魔法を、アタシは計10頭すべての飛竜へと発動して回る。
「……ふぅ。よし、これで終わりだね」
『──むぅ……まさか魔術の王たるこの私の魔力で飛竜を召喚したのが、食糧を得るためだったとは……魔王を打倒するための布石だと読んだのは見当違いだったか。だが私は何としても魔王を倒さねばならぬのだ。そのために私は神セドリックの力でこの地に顕現したのだから…………ま、待てっ何をしている所有者よ!』
アタシは、自分の頭に生えていた鹿角に手を伸ばすと、ケルヌンノスの所有者である権利を破棄する力ある言葉を口にし。
「汝、魔術の王ケルヌンノスと我は今この時より別離の道を征く」
言葉の後に、掴んだ鹿角を頭から引き抜いていくと、痛みなどはなく角が頭から離れていき。
その鹿角を起点としてアタシの身体から出てくるのは、城の廊下に落ちていた真っ黒な杖、という不思議な光景。
『──な、何故だ、所有者よ!……何故今この状況で私との契約を破棄するのだああああ!』
地面に転がった真っ黒の杖は、アタシが所有者であることを放棄したその理由に、皆目見当が付かず、先程から喧しく言葉を発していた。
「いや……さぁ。魔法が使えないアタシが、アンタのおかげで魔法が使えたのは魅力的な話なんだけどねぇ……」
『──その通りだ!……私の魔力を以ってすれば、歴史に名を残す大魔術師にも劣らない様々な魔法を行使出来る力を得るのだ……それを何故?』
確かに召喚魔法はともかくとして。つい先程使用した「浄化の雫」のような手軽な一般魔法が行使出来れば、一人旅を続ける上で色々な助けになるのは間違いない。
……ないのだが。
それでも、ケルヌンノスを放棄する理由。
「まず一つ。アンタを取り込んだ時に生えたあの角、あんなモノが生えてたら人間じゃないって思われちまうだろ」
『──そ、それは、確かにそうだが……』
アタシも疑問があった。
この杖の言葉の端々から、城を強襲した帝国の刺客に持たせたのはセドリックとかいう人間の神なのは間違いない。
ならば何故、その恩恵を得るのに人間ではない姿を取らせるような真似をするのか、だった。
第一、こんな角を生やした状態で城に帰ればまた説明するのが面倒だし、敵の装備していた杖を使ったことで悪評を買うかもしれないし。
何より、帝国の都市に潜入する案が台無しだ。
「そして二つめ。ケルヌンノス、アンタは言葉は発せても自分から魔法を使えない。だからわざわざ所有者を定めて自分の力を使わせてるんだろうけど……」
そう、この杖は自発的に魔法を発動させることが出来ないのだ。
あくまで自らの蓄えた魔法の知識を所有者に分け与え、所有者に負担をかけず自前で魔力を消耗するとは言え。
だからこそ、杖は常に所有者を必要としていたのだ。
「アンタとアタシとは圧倒的に相性が悪いんだ」
もし、一般人や魔術師がこの杖を手にすれば、杖がもたらす恩恵と魔力はもう心強いこと間違いがないのだろうが。
アタシのような常に前線で身体を張る戦士としては寧ろその膨大な魔法の知識が、一瞬一瞬の判断の邪魔になる、という事もあるのだ。
現に今回アタシは、ユーノと同じく飛竜を五頭ずつ倒しはしたが。その討伐速度でアタシは僅かだがユーノに遅れを取った。
もちろんその戦果は、ユーノがアタシよりも武勇に優れていたのも事実だろう。だが、ケルヌンノスと同化した事で慣れない知識量が、判断を阻害したというのもまた確かなのだ。
『──そ、それは困る!……な、ならば短い時間だが私を所有者として手にしたのだ、せめて人間がいる場所まで連れて行ってくれないだろうか?』
「そいつは無理な相談だよ、ケルヌンノス」
力を放棄した理由を聞いて、これ以上アタシを所有者として引き留めるのを諦めたケルヌンノスは、途端に弱々しい声で嘆願してくるが。
その最後の願いをアタシは即座に却下する。
「アンタは今なお魔王に害をなそうと考えてる。なら、魔王陣営の四天将になったアタシとしては、アンタをこれ以上連れていけないねぇ」
『──な⁉︎……に、人間の分際で、魔王に与した、だと……馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿な……』
どうやら人間であるアタシが、魔王様の味方をしている事実がよほど堪えたのだろう。
地面に転がりながら、何か小声で呟いていた漆黒の鹿杖を、飛竜との戦闘で出来た地面の穴に入れて、上から土を被せていった。
『──ま、待て?何故、このまま置いておかずに土に埋めるのだ!……や、やめろ、やめてくれ……お、お願いだ……』
残念だがこのまま放置しておいたら、この杖は妥協し、手に取った魔族や獣人族にその力を貸し与え、魔王様に危害が及ぶ可能性がある。
ただでさえこの場所には、飛竜の肉を城まで運搬するために、魔族らを呼ばなくてはならない。
そんな場所に杖を野晒しには出来ないし、さりとて海に捨てたり杖を破壊するのは偲びない。
「……ありがとね。お別れだよ、ケルヌンノス」
これが、アタシなりの最後の慈悲でもあった。
「浄化の雫」
水の魔力を活性化させる触媒を、対象へと注ぎ込むことで自発的に水から不純物を取り除き、純水へと変える水属性の初級魔法。
余談だが、この魔法によって本文ではアズリアは意図していなかったが血抜きも完了している。
身体に有害な毒を限定し、神の威光を以って消し去る神聖魔法の「解毒の指」とは魔法の仕組みがまるで違い。
この魔法は、固形の毒には効果がない。




