84話 アズリア、海の活用方法
だが、アタシの提案というか魔族陣営の食生活の改善はまだ終わったわけではない。
「でね、まだ……これだけじゃないんだよ」
この魔王領に圧倒的に不足しているものがある。それは……塩だ。
確かにこの魔王領には、今までアタシが見てきた範囲内には、剥き出しになった塩の層を見かけた記憶がない。
だから、城で出された穀物粥もただ穀物を水で煮ただけだし。たまに出される焼かれた肉も、ただ火に焚べただけのモノで、とても料理と呼べるモノではなかった。
「この魔王城を北側にずっと歩いていけば、砂地の海岸があっただろ……実は、アレを使って塩作りが出来るんだって、知ってたかい?」
「……な、なんじゃとっ⁉︎……お、お主、本気で言っておるのか?この島で、この不毛の土地で、塩が作れるなど……」
「いや、爺さん。塩そのものは海の水を煮詰めれば作れるんだよ。でもそれじゃこの魔王領全体で使う量は作れっこないだろ?」
確かに、大陸でも使われてる塩の大半は、地表や鉱山の内部に稀に見ることが出来る、剥き出しになった塩の層を削り出して使われている岩塩の塊がほとんどだ。
だが、今アタシが言ったように海水を火にかけて放置すると、塩が作れるのだ。鍋一杯の海水を火にかけても出来るのは指の先程度の量ではあるが。
アタシは偶然、野営中に塩っぱい海の水でパン粥を作ろうと火にかけていた最中に野盗に襲われたことで鍋の海の水が塩になるのを知ったのだ。
旅の途中に立ち寄った、港のない海岸沿いの小さな村では、金を稼ぐために細々と塩を作っている場所もある。
その方法は旅をするアタシには不用の知識だったのだが、何がどう役に立つのかは分からないものだ。
「まずは、海に接したあの砂地を平らにするんだ。それから────」
アタシは、覚えている限りで全員に口で説明していく。
平らに慣らした砂地に、塩っぱい海水を目一杯撒いていくのだ。それを何日も何日も繰り返していくと塩っぱい砂が出来上がり、その砂を集めて水を通す布に詰めて上から海の水を注ぐと、濃い塩水が出来上がる。
最後にその濃い塩水をカラカラに煮詰めると、ただ海の水を煮詰めるよりも大量の塩が作れる、という寸法だ。
「そんな方法で、本当に塩が……作れるのか」
説明を最後まで聞き終えた魔王様はまだ半信半疑なのだろう、口から漏れる言葉からも戸惑いの色が伺える。
だが、こればかりは実行してもらわない事には、アタシも断言出来ないのが正直な気持ちなのだ。
「人間がこの方法で塩を作ろうとすると、塩っぱい砂になるまでに何日もかかるけど。そこはまあ、魔族なんだし、違う方法が試せるんじゃないかねぇ」
人間と魔族とでは、身体能力や魔力に圧倒的な開きがあり、その能力を駆使すれば時間の短縮が出来たりするのかもしれない。
たとえば、バルムート配下のゴードンとかいう魔族の「魔炎」なら、最後の塩水を煮詰める工程が意外と早く済むのではないか?
もちろん、上手くいかない可能性だってあるが。
試してみる価値はある、と思う。
もし魔王陣営で塩を作ることが出来たのなら。そして、神聖帝国側で塩が不足しているのなら、塩を使った交渉だって出来るかもしれないのだ。
「……以上が、アタシがこの魔王領での食糧不足を解消するための提案だよ」
そして、立っていたアタシは自分の席へ座る。
その後、しばしの沈黙が続いた。
食糧事情を改善する他の案も、アタシが説明した魚を食糧とするため難民を動員し、この島で塩を作る案への反論もないのだろう。
沈黙を破ったのは、魔王様の言葉だった。
その声は先程までの軽薄な感じではなく、魔王としての威厳を兼ね備えた声であった。
「アズリアが説明した案……出来るか、アステロペ」
「は、はいっ!……釣りに必要な材料の手配、そして難民たちへ実際に釣りの方法を説明する役割はお任せ下さいませ」
「ああ、頼りにしてるぜ」
そんな声で突然に名指しされたアステロペは、身体をビクッと硬直させ、驚きのあまり裏返った声で返事をしてしまう。
だが、威厳があったのはその一瞬だけだ。すぐに背後の彼女に振り向いて声を掛けた時にはもういつもの軽薄な魔王様だった。
「バルムート。簡易的な舟ならばお前たちでも作れるだろう、海から食糧となる魚の捕獲はお前に任せるぜ」
「がっはっは!任せておけ魔王。海から魚とやらが消えるくらい獲って獲って獲りまくってやるわ」
そんな魔王様は今度はバルムートに海での魚の捕獲と、そのための舟の製作を命令する。
バルムートは威勢良く返事をするが、上手く出来るかどうか非常に心配なので……後で様子を見に行ってやろうと思う。
「さて、残るは塩作りだけどなぁ……さて」
「魔王様……それはワシにやらせて貰いたいのだがのぅ」
そして最後の塩作りを誰に任せるか、この討議の間を見渡してみる魔王様だが。
そこに手を挙げて立候補したのは、何とモーゼスの爺さんだった。
「弟子がこれだけ魔王領を良くするための提案をしたのじゃ、ワシとしてもこれくらいは出来ると示せねば、師として面目が立たんでのぅ」
弟子……とは、アタシの事なのだろうか?
まあ、確かに爺さんから色々と剣技の鍛錬を受けている以上、爺さんの頭の中で弟子だと認定されていたとしても、それは仕方のないことかもしれない。
……多少の異議は申し立てたくはなるが。
「ねえ、ボクはボクはっ?」
その中で一人だけ役割を与えられてなかったユーノが手を挙げて、自分は何をやればよいのかを魔王様へ聞いてきたのだ。
その魔王様と目が合うと、彼は何かを思い付いたように両手を合わせて打ち鳴らす。
……背後に控えていたアステロペが、何か口をモゾモゾと動かしているのが見えたのが気になったが。
「ならユーノはアズリアに同行して、あいつの行動を手伝ってやってくれないか?まだ仲間になりたてでこの魔王領の地理にも詳しくないだろうし、な?」
「わかったっ!ボクお姉ちゃんをいっしょうけんめいお手伝いするからね、任せてよっ!」
魔王様にアタシと同行するよう命じられたユーノは、自分の席を離れてアタシの腕にぎゅっと抱きついてくる。
そんなこちらの様子を見ていた魔王様が、片目を瞑ってみせた。
「……やってくれたねぇ、魔王サマ……」
「さて、何の事やらさっぱりだな。それじゃユーノ、アズリアの事は頼んだぞ」
きっとユーノをアタシに同行させるのは、魔王様なりの足枷であり、重石なのだろう。
裏切るとか、忠義の問題ではなく。
昨晩勝手に城から姿を消したように、また何の連絡も無しに姿を消したり、帝国に勝手に潜入されたりしたら困るからなのだろう。
そうか。
先程、アステロペが不可解な行動を取ってたのは、小声でこの提案を魔王様にこっそりと助言していたということか。
「ねえねえアズリアお姉ちゃんっ。お手伝いできるコトは何でもボクに言ってねっ、えっへんっ!」
魔王様やアステロペには、文句の一つも言ってやりたかった気分だったが。
腕に抱きついたユーノの、爛漫な笑顔を見てしまうと、そういった毒気がすっかり抜かれてしまうのだった。




