83話 アズリア、魔族に釣りを教える
アステロペが新しく問題を提起したことで、先程まで席を立っていたアタシとユーノ、バルムートが自分の椅子へと戻り。
魔王様も自分専用の椅子へと腰を降ろしていく。
全員が着席して、あらためてアステロペがその深刻な食糧事情を説明してくれた。
「元よりこの城はあまり使われていなかったという事情があって、城の貯蔵庫にはほとんど食糧の備蓄が残っていないのだ」
その説明を聞き、全員が腕を組んで目を瞑り、考え込んで下を向いてしまう。
アタシを除き。
「むぅ……確かに、アズリア殿が地下の宝珠を開放してくれたおかげで、じきにこの近辺の土地にも大地の魔力が満ちてくれるであろうが……」
「ねえバルちゃん。それってどれくらいまてばいいのっ?」
「ユーノ様。結果が出るのは早くても次の収穫の時期ですから、今から三月後ほどかと……」
「そんなにまてないよおおおおお!」
……ユーノが騒ぐのはもっともだ。
先程、アステロペは「明日には食糧が尽きる」と言った以上。
この魔王城の地下に配置されていた大地の宝珠の魔力が魔王領の土壌に浸透し、三月が経過……つまり九〇日後に穀物が豊か実ったとしてもだ。
その頃には、アタシたちはとっくに飢え死にしているだろう。
だから、アタシは手を挙げた。
旅で蓄積したアタシの食の知識を、魔族陣営に勿体振らず提供するために。
「ほう?……今度は帝国に食糧を分けてもらう交渉をする、だなどと言うつもりではないだろうなアズリア」
「残念だったねアステロペ。今回ばかりはさすがに見当違いもイイとこだよ」
今まで自分たちが解決出来なかった問題をアタシに解決されるのが余程悔しいのか、早速噛み付いてくるアステロペだが。
それを軽くあしらっておき、本題へと入る。
何故なら……食糧事情は、食いしん坊のアタシにとって、士気に繋がる深刻な問題だからだ。
「モーゼスの爺さんに散々剣の鍛錬させられた時に、あの上から下に大量の水が落ちてきて、アタシがその落ちる水に打たれた場所があったじゃないか」
数日前に、アタシは爺さんに命じられるままに装着していた部分鎧を脱いでから、上から降り注ぐ大量の水を浴びて。
危うく溺れかけた苦い記憶が脳裏に蘇ってくる。
「おお、滝のことじゃな」
「滝?……滝ってのは、あの上から大量に降り注ぐ水の現象を指してる名前なのかい?」
「うむ……川が崖などで高低差がついて途切れると、崖上の川と崖下の川が互いに繋がろうとしてな、上の川から下へと川の水が丸々と流れ落ちるんじゃ。それをヤマタイでは『滝』と呼ぶらしいの」
そう、滝があるということは川がある。
つまり、この付近には川が流れているのだ。
「じゃが……いきなり滝に打たれた話を持ち出して、何か意味があるとは到底思えんのじゃがのぅ」
「──川だよっ、川ッ!」
一つ、ここで説明をしておかないといけない。
アタシがこの魔王領に来てから、魔族や獣人族の生活習慣で気付いた事。
食糧難に陥っている筈の彼らが、何故か魚を食す場面を見たことがないのだ。
島のあちこちには川が流れ、水が枯れているという深刻な事態にはなっていない。にもかかわらず、である。
最初は「魚を食す事」が種族の禁忌なのかと思ったが。
大陸を旅していた際に「変装」の魔法を使って人間の姿に化けていた魔族が、魚を食していたのを目撃したことがあった。
なので、種族として魚を避けている事情では、おそらくはない。
そう。答えはもっと単純に。
「魚の獲り方を知らない」という可能性が高い。
だから、これから教えるのは、その方法。
「説明すると、川や海には魚っていう食糧になる生き物が棲んでるんだ」
「う、うん、それはしってるけど。おねえちゃん、しってる? かわをおよぐさかなってすばしっこくて、ボクでもつかまえるのたいへんなんだよっ」
「だから。それを捕獲するには、真っ直ぐな木の枝に糸、針と小さな虫があればいい」
いわゆる、釣りという手法だ。
「木の枝につけた糸の先に針と、魚の餌になる虫を付けたら、その糸と針を川や海の水中に沈めて、魚が餌に食い付いたら枝を引っ張って針を飲んだ魚を引き上げる……とまあ、これが魚を捕獲する方法だよ」
もちろんあの川に、魚が棲んでいるかは調べていないし、川の魚だけではさすがに200人もの食糧は供給出来ないだろう。
だが、釣りにはそれにも増して利点がある。
「そして……一番大切な事だが。川の釣りには腕力や魔法の力なんて必要ない。何なら女子供や老人でも出来る、っていう点なんだ」
魔王領内に生息する野生の動物、確かに女子供らでも立派な魔族や獣人族である。何人か集まれば互角に張り合うことも出来るだろうが。
それはあくまで動物側に敵意があれば、の話である。
狩り、というのは動物を仕留める以上に、戦意を失い戦況を不利だと悟った動物を如何にその場から逃走させないか、の技術が必要となる。
優れた身体能力や魔力があっても、そればかりは場数を踏まなければ身に付くモノでもない。
「──ほほう」
ここまで説明を一気にしてみて、あらためて卓の全員の反応を見ると。
ユーノが何故か、大きな眼をキラキラと興味津々とばかりに輝かせながらアタシを見る。
「つまり。おねえちゃんのいうとおりにすれば、あのすばしっこいさかなをみんなでつかまえられるんだねっ?」
「……魚か、確かに付近を流れる川の水には魚が泳いでいたのは何度か私も見かけたことはあったが……アレは食糧となり得たのか。いや、人間の食にかける執念は恐るべき、と言ったところか」
どうやらユーノは、アタシの提案した「釣り」に強い興味を持ってくれたようだが。
魔王の横に控えていたアステロペもまた。
腕を組んだ体勢を崩してはいないが、アタシの釣りの話に耳を傾けて、実に興味深く聞いていてくれた。
「だが、大丈夫か?その……魚には、毒が含まれていると、我らの中ではまことしやかに噂されているのだが」
「ん?……えーと、魚に、毒が、だって?」
何でもアステロペの話では、魚が川を泳いでいることは魔族や獣人族の住人も知ってはいたが。
食糧に出来るか、と何人かが魚を手掴みで何匹か捕獲して口にしたところ、全員が腹の痛みや熱を出して数日間寝込んでしまったという話が広がっていき。
魔王領では魚を食す者がいなくなってしまったらしいのだ。
「……確かにねぇ、魚ってのは獣肉と違って痛むのが早いし、料理の仕方を間違えるととんでもないことになるのも、アタシ自身身に染みてるよ」
アステロペの懸念にアタシも同意してみせた。獣肉よりも魚は保存が利かず、痛むのも早い。しかも悪くなった生の魚を食した場合、下手をすると死を覚悟する程に腹を下し、口からは吐瀉物を撒き散らす羽目になるからだ。
それに、アタシは口をつぐんだが。
城で出てきた料理、と呼んで良いのか怪しい食事を口にした際に思ったのだが、魔族は料理の味や匂いに無頓着過ぎる。
本当に川魚に毒が含まれてる可能性だってないとは言いきれないが。多分その魚を口にした連中が腹を壊したのは、捕ってしばらく時間が経過し痛んだ魚を食べたのが原因だとアタシは思っている。
「まあ、そこは任せておきなよ。アタシがちゃんとした魚の食い方を教えてやるからさ」
だが、当然ながら。
アステロペの懸念にもアタシは一定の回答を返すことが可能だ。
そして、一連のやり取りを黙って聞いていた魔王様が席から立ち上がると、卓に両手を突いて身体を前のめりにした体勢でアタシに問い掛けてくる。
「なあアズリア、つまりお前が言いたい事は……」
「そうだね。自分らが食べる分の食糧を、今保護している難民全員で確保する。アタシはそんな方法を提供してみせたんだよ」
ちなみに。
この魔王領が島である以上、少し距離を歩けば海の見える海岸がある事も把握している。
川だけでなく、海にも釣り要員を割けばもう少し食糧事情は改善するのではないだろうか。
ただし、海で釣りをするのは身体の弱い女子供や老人には少し条件が厳しくなるので、海で魚を確保するのは体力に余裕のある者や、バルムートの部下たちにお願いしてみようか。
と、ここでアタシはチラッとアステロペに視線を移し彼女の様子を観察すると、眉間に皺を寄せこちらを睨み。
あからさまに悔しそうな表情を浮かべていた。
いや、さすがに食糧不足に悩む魔族が「魚を知らない」のはやり過ぎかなと思い、知らないのではなく過去に食中毒を起こして以来口にしなくなった、に変更させてもらいました。




