64話 魔王、挑戦者を殲滅する
竜王の戦意は今や崩壊寸前だった。
その理由は、目の前に。そして自分の背後に雷撃を纏って髪を逆立てた魔王リュカオーン……その身体から感じる力の重厚さに、だった。
「……ま────」
竜王が言葉を発しようとした、まさにその瞬間に目の前の魔王の姿が揺れ、視界から消えた。
それと同時に腹に響く、重い衝撃。
その腹部から全身へと奔る、激痛。
「……が…………はあッ……な、何が……起きた?」
その衝撃の正体が、自分の巨躯の懐深くに潜り込んだ魔王が放った五本の爪撃、その全てが腹の竜鱗を貫通、破壊していたことによるモノだと理解する前に。
今度は背中に奔る、同じ威力の衝撃と激痛。
前後を二体の魔王に挟まれる体勢で、次々と矢継ぎ早に繰り出される爪撃の速度は、もはや目で捉え切れるという話ではなく。
「ぐ……ぐうう……せ、せめて頭と胸だけでも……っ」
何とか前面の攻撃だけでも防御しようと、両腕で頭部と胸を守るように防御姿勢を堅めるが、まるで雷撃を思わせる連続爪撃は、両腕の表面の竜鱗、そして防御に使った両腕をも瞬時に破壊していく。
「ぐおおおおお⁉︎……う、腕がっ、腕がああああ!」
なおも容赦無く繰り出される魔王リュカオーンの一撃ごとに、竜王の全身の表面に張った竜鱗は、もう半分以上が砕け散り。
そこに立っているのは、竜属の防御能力と、剛毅の魔剣が宿った両腕を喪失した、ただの大男でしかなかった。
だが。
無数の爪撃で鱗に守られていた素肌を斬り裂かれ、噴き出す鮮血で血塗れになった竜王ベオーグの。
その鋭い眼光は、まだ死んではいなかったのだ。
「……ま、魔王よ……調子に乗るな────があああああああ!」
竜王が持つ最後の武器。
それは頭部に生えている鹿角の元となった、賢聖の鹿杖の祝福……だが、攻撃が止まないこの戦況では、呑気に詠唱をする隙など与えてくれる魔王ではない。
ならば……と、鹿杖から生み出した膨大な量の魔力を口から吐き出す準備を終える。
先程は何故か、魔王が得意としている雷属性の対抗属性である地の魔力を込めた石竜の吐息を打ち消される不可解な状況だったが。
そこは魔王のことだ。
対抗属性への対応策も当然、用意していたのだろう。
だから今度は魔王の脚を止める氷竜の吐息を撃つ。
しかも、前後の魔王。そして遠巻きに控えた二体の魔族を巻き込むために、放ったら首を大きく回して吐息を広範囲に撒き散らす。
────喰らうがいい、魔族どもよ。
「残念だったな────冬を喰らう魔口」
絶望を告げる魔法は、魔王からではなく。
遠巻きに立っていた魔族から紡がれた。
再び、竜王の眼前の空間が大きく開くと、あらかじめの思惑通りに首を大きく回して広範囲に放たれた氷竜の吐息を、残らず喰らい尽くす。
「……は、はは……な、何なんだ……この穴は……二度も我の竜の吐息を……」
一度ならず二度までも、残る唯一の武器を完全に封殺され、魔法を三度封殺した賢聖ロアスとまるっきり同じ顔をしていた竜王へ言葉を掛ける。
「悪いな人間……私の使い魔の『魔素喰らい』はな、底無しの腹を持つ魔力好きなのでな」
魔術師は時に、使い魔と呼ばれる手の平ほどの小型の魔族を召喚し、契約により従属させている場合がある。
人間社会においては、さすがに魔族の姿のままでは抹殺されてしまうので、鳥や猫などの姿に変えて傍に置いておくことが多いのだが。
小型といえども魔族。召喚された魔族には大概何らかの特殊な能力を有しており、その能力を目当てとして魔術師は優秀な使い魔を常に求めているのだが。
アステロペが契約している「魔素喰らい」という名の使い魔は。少々特殊すぎる能力を有していたのだ。
そう。
……賢聖ロアスの魔法を喰ったのも。
……竜王の竜の吐息を喰ったのも。
全部が魔喰の能力である「魔力を底無しに吸収する事が出来る」というものだった。
もちろんそんな危険な能力を野放しにはしておけず、アステロペは従属の契約に際して。
『発動させる魔法以外でその能力を使用しない』
という誓約を課しているのだ。
アステロペの汎用とも言える対抗魔法は、彼女の使い魔に餌を与える合言葉だったのだ。
「……とはいえ、人間よ。お前があの坊やを殺してわざわざあの鹿杖を吸収さえしなければ、魔素喰らいに吐息を喰われることもなかったのだがな」
対して、竜の吐息とは先述のように発動に魔力を要するとはいえ、決して魔法ではなく、吐き出されるのは一切の魔力を含まない「現象」そのものなのだ。
よって、魔素喰らいでは魔力を有していない吐息を打ち消すことは不可能なのだ。
「きっとあの坊やも、自分を殺した貴様が死ぬのを願っていたのだろうよ」
アステロペの最後の言葉を聞いて。
完全に戦意を喪失し絶望した竜王ベオーグは、膝を突いて「馬鹿な」を繰り返し呟いていた。
そんな竜王へと無造作に歩いて近寄っていく魔王だが、もう髭面の大男は何の反応も示さない。
竜王のすぐ隣に立った魔王は、四本の爪を揃えると、無言でその爪を竜王だった男の首筋へと振り下ろし。
石畳に飛び散る大量の鮮血。
竜王の口から断末魔を漏らすことはなく。
その血溜まりに髭面の首が、転がった。




