62話 魔王、アステロペを頼る
単に頭から角が生えたから、だけではない。
明らかに最初に見た時よりも、身体の大きさ、そして筋肉の厚みを増した竜王。
無防備に接近してくる魔王へと、嘲りにも似た笑みを浮かべながら、黒く鋭く変貌した爪同士を擦り合わせて爪を磨ぎながら。
「我が仲間殺しをしたのがそこまで憎いとは、魔王の名を冠する者が甘い事を言う。ならば魔王よ、その甘い理想を抱いたまま……死ねえっ!」
今までは竜鱗による防御に徹していた竜王が先に動く。
両の腕を振り上げて、鋭い三本の黒爪による斬撃を左右双方から身体の前方に位置する魔王リュカオーンに照準を合わせ……激しく、振り抜く。
しかもこの黒い爪には、剛毅の所有していた魔剣ティガ・スパーダの「一つの斬撃につき二つの斬撃を追加する」特殊効果が付与されているのだ。
左右より六本の爪、合計18もの斬撃が魔王の身体を八つ裂きにするために襲い掛かる。
……だが。
その斬撃のことごとくが、無造作に歩いてくる魔王の身体をすり抜けていく。
それは、まるで斬撃自体が魔王を避けているかと錯覚してしまうかのようにも、見えた。
「……は?な、何故だっ、何故これだけの網目のような斬撃が、掠りもしないだ、と……ば、馬鹿なっ……」
もちろん、斬撃が意志を持って魔王を避けている筈がない。
魔王リュカオーンは、竜王の目に捉えられない程の速度で、斬撃を避ける最小限の回避行動をとっているだけなのだが。
その動きが視えない竜王は、あたかも魔王が歩く以外の行動を取っていないようにしか見えなかったのだ。
しかし、さすがに18もの数が重なる爪撃、しかも魔剣の効果で増えた斬撃は、目視することが困難なのだ。
斬撃を完全に躱すことが出来ずに、一撃、二撃ほどは身体を掠めていき、その爪撃は表皮を裂き、その場に鮮血を散らせていった。
「は!……はっはは、そうだ、魔剣を喰らったこの我の爪、躱し切れるはずが──」
「……満足か。この程度の掠り傷を与える……それだけのために仲間を殺して、それで……この程度かよ」
斬撃を受けた腕の傷から流れる血を、ペロリと舌を出して舐め取る魔王。その裂傷はそこまで深くなく、舐め取った時点で血が止まっていた。
大言を吐いておいて、薄皮一枚程度しか傷付けられていない事実を見せつけられ、激昂する竜王ベオーグ。
「な……何だと、き、貴様……だ、だが貴様の攻撃では我の竜鱗を貫くことは出来んのは先の攻防で既に証明されたはず!ならば……我の敗北はない!あり得んのだあああ!」
自分は魔王を傷つける爪を有しているが。
魔王は竜鱗を貫通する術を持たない、と考えてここが好機と考え、一気に攻勢に出る竜王。
魔王は、傍に控えていた女魔族へと指を鳴らしてから、声を掛けていく。
「……アステロペ。少しでいい、隙を作ってくれねえか……その、頼む」
普段ならば、決して他人を頼ろうとしない魔王様が。しかもアステロペにとっては、これはただの要望ではなかった。
そう、これは。
彼女が密かに想い続けている男からのお願い。
なればこそ、全力でその想いに応えるべく彼女は、もちろん承諾する。
「は、はいっ!もちろんですっ、お任せ下さい魔王様……必ずやっ!」
アステロペには、魔王様が何を考えて時間稼ぎを頼んだのか、その目的も。
そして、竜王相手にどうやって時間を稼ぐのか、その方法すらも既に頭に浮かんでいた。
その返事を聞いて安心した魔王は、腕を振り上げて突進してくる竜王を捉え、真っ向から魔王自身も踏み出していった。
「我はもう後戻りは出来ん!……魔王っ、貴様を討ち倒すために揃えた祝福、その身に刻めっっ!」
「テメェらみたいに狂った連中に、この魔王領は渡せねぇんだ……よおおおおお!」
互いに込めた想いを吐き出すように、吠え。
二人は激突する。
竜王が振り抜いて発生する、先程と同じ18本の斬撃と。
「雷撃」の魔力を纏った右腕から繰り出される五本の、バチバチと火花を散らした爪撃とが激突し。
周囲には、衝突時に発生した衝撃波により石畳や石壁が破壊されていく。
どちらの爪も打ち負けることなく、相手に届かなかった爪を擦り合わせながら。互いに顔を突き付けて、無言で殺意を込めた視線を空中で衝突させる。
竜王の身体には二本ほど、雷撃で鱗の表面が黒く焦げつき。
魔王リュカオーンの身体にも、五本ほど防ぎ切れなかった斬撃による真新しい傷によって、再び鮮血を流していた。
「この状況ならほぼ互角、なら……俺様がもう一人増えたとしたら、どうなると思う?」
「貴様、何を世迷言を────何っっ?」
最初は、魔王がこの後に及んで出来もしない冗談を口にしたのかと思っていた竜王だったが。
それが冗談や、世迷言などではなかったのは、目の前で互いの爪を重ね、競り合っていたはずの魔王と。
同じ姿格好の魔王が、もう一人。
もう一人の魔王が、竜王の横から突然視界に入ったかと思うと、無防備であったわき腹へと加速をつけた爪撃が放たれたからだ。
まともに直撃するものの、堅い竜鱗に阻まれ有効打とはならなかったが。爪撃による衝撃までは鱗では打ち消すことは出来ず、その巨躯が宙に浮き、横にある石壁へと吹き飛ばされ。
竜王の身体は石壁にめり込み、崩れ落ちる石壁の破片に埋もれていく。
瓦礫に埋もれた竜王を見下ろしながら、上向きに広げた片手の揃えた指をくいくいと動かして「早く立って来い」という挑発。
「立てよ……これから死ぬテメェに見せてやるよ。魔王と呼ばれた俺様の、その力の片鱗ってヤツをな」




