61話 竜王、鹿杖と魔剣を握る
「……う……うわぁぁああああああ……っっ‼︎」
賢聖の名を冠した少年は、手に持つ漆黒の鹿杖を捨てて、この場から背中を見せ、泣きながら逃げ出していく。
その様子を魔王も老執事も、先程まで戦っていたアステロペも黙って見逃していたが。
竜王ベオーグが、床に落ちていた賢聖の杖を拾い上げると。
「……敵を前にして背中を見せ逃亡するとは、神セドリックの名において……賢聖ロアス、貴様を我は断罪する」
自分らが開けた壁の大穴から身を乗り出し、魔王城の外へと走り去る少年ロアスを、仲間ではなく倒すべき敵だと認識したのか厳しい視線を向けると。
左手に握った漆黒の鹿杖を掲げ。
「天空に遍く光の粒よ、我が掌に集いて、闇を撃ち抜く一条の閃光となれ……」
口から紡ぎ始めたのは……魔法の詠唱だった。
やがて詠唱を終え、鹿杖の先端に魔力が集中し。
「……貫け────極光槍」
その掛け声と共に放たれた、一筋の光の線が。
少年ロアスの背中から身体を貫通し、少年の足元へと着弾して爆発し、地面を胴体に穴が空き力を無くした少年ロアスの身体ごと吹き飛ばしていく。
そして竜王の視線は、吹き飛んだ少年ロアスに、ではなく……城外すぐ傍で血溜まりに沈む女戦士、その手にあった漆黒の魔剣に移っていた。
「────来い。漆黒の魔剣よ、我が掌に」
そう口にした途端、血溜まりの中から魔剣が浮かび上がり、まるで竜王の手に吸い寄せられるかのように魔剣が握られていた。
……因縁ある敵側の人間とはいえ、逃げる仲間を背中から撃つという行為に、思わず目をしかめるアステロペに老執事、そして魔王リュカオーン。
「……さても罪深きは人間の業とでも言おうか、まさか戦意を失い逃げる仲間を背後から狙い撃ちとはのう……」
「信じられない……仲間殺しなど、我ら魔族とて忌み嫌われる行為だというのに。よく平然とした顔をしてられるな、外道が」
……いや、アステロペやモーゼスはあからさまに軽蔑の言葉を、竜王へと吐き捨てるように言い放つ。
そして、魔王リュカオーンも口を開く。
竜王への怒りの表情を浮かべながら。
「てめぇ……さっき自分で言っていた『一人じゃ勝てない』とか『祝福を受けた仲間』って言葉は何だったんだ、あぁ!」
だが、敵である魔王や女魔族、老執事からの冷たい視線や怒りの声など意に介した様子も、悪怯れる様子もなく、無表情だった髭面の大男が初めて満面の笑みを見せた。そして、
「それは認識の違いというものだ。我らが神セドリックより祝福を授かりしは、魔王リュカオーンを倒すという使命を果たすためだ。その使命を放棄したということは神に逆らった罪……そして罪は生命を以って償われなければならない」
その手前勝手な主張に、魔王と呼ばれながらこの不毛の大地で自分を慕う魔族と獣人族のために、常に頭を回してきたリュカオーンは唾を吐き捨て、目の前に立つ仲間殺しの竜王に短い言葉を言い放つ。
「────狂ってるぜ、テメぇらの神は」
「その不遜な発言も魔王、貴様が神に逆らった罪だ」
竜王は左手に掲げた賢聖の鹿杖と、右手に握る剛毅の魔剣を、自分の身体の前で魔王に見せびらかすよう交差させ。
「それに……賢聖と剛毅の祝福の大半はこの漆黒の鹿杖と漆黒の魔剣に秘められていると言っても過言ではない。これが、何を意味するか分かるか……魔王よ」
「知るか、まさかそれが『一人じゃ勝てない』結論の答えってワケじゃねえだろうな……」
「は。これが『答え』だ……魔王よ」
竜王のその両腕に、手に握られていた魔剣と鹿杖が徐々に同化し、肉体に吸収されていくのを目の当たりにする。
「あ、あの鹿杖は……確か、複数の属性を支配し、操る能力を有していたはず。ま、まさか奴は、その力を得るためだけに仲間の、しかも子供を……?」
「……いやはや、いくら力に劣る人間が我ら魔族に勝つためとはいえ……悍ましい所業じゃわい」
何故「逃げた」という名目で仲間を背後から撃ち抜き、生命を奪わなければならなかったのか。
その理由……賢聖と剛毅の祝福を自分の手中に収める、という目的を竜王に見せつけられ。
ようやく意図の全容を理解し、アステロペと老執事は、腕に鹿杖と魔剣が同化し吸収されていく様子に顔を背ける。
「これよりの我は、元より神セドリックより授かりし竜王の祝福に加え、賢聖の魔力に剛毅の膂力を使うことが可能だ……この祝福を以って魔王、貴様を────討つ」
そして、ようやく腕と二つの武具との融合を終えた竜王の姿が明らかに変化する。
髭面の頭部からは鹿杖の装飾であった立派な鹿角が生え、両腕が一回り膨れ上がり、両手の爪が真っ黒に染まり鋭く伸びていた。
身体のあちこちからは複数の属性の魔力が激しく漏れ出しているのを、アステロペの魔眼からは見えていたのだ。
「……あの少年の時よりも魔力が溢れている、だと?……そうか、魔力が竜の力に反応して膨れ上がってるのか……」
「は。要は俺様を倒す力が欲しかったから仲間を殺したってワケか……テメェだけじゃねえ。テメェの信じるセドリックって神は、アステロペが言う通りの────外道だ」
噴き出す魔力量に驚きの声をあげるアステロペだったが。
逆に魔王リュカオーンは、胸の前で両の拳を交互にコキコキと音を鳴らして解しながら、無造作に融合を終えた竜王ベオーグへと歩み寄
り、間合いを詰めていく。
「……悪りぃなモーゼス。もしかしたら……いや確実に城を壊しちまうかもしれねぇ……」
老執事の目を見ないまま、魔王は城を壊してしまうかもと宣言する。
それはつまり……最初に手加減して発動した、魔王リュカオーンの得意技「雷獣戦態」を本気で放つ、という宣言でもあった。
それを聞いた老執事は、諦めた表情を浮かべながら、軽く溜め息を吐くと。
「ふぅ……仕方ないのぅ。まあ、魔王様がやらんと言うのなら、ワシが代わりに殺っていたのじゃがな」
老執事も、軽くあしらった程度とはいえ、自分が剣を交えた女戦士の得物を強奪した竜王の所業は、女戦士と勝負した自分をも踏み躙った行為に他ならない。
態度こそ冷静ながら、その身体からは抑え切れていない殺意が漏れ出し、既に木の棒に擬装している仕込み杖の鞘を抜きかけていたのだから。




