50話 アズリア、治癒の優先順位
抵抗する相手ではなく、怯える相手に大剣を振るうのは、正直に言えば後味が悪いが。
「集落を襲撃したら全滅する」という前例を、帝国の連中に教訓として叩き込むのが目的なのだから、仕方ない。
「……だとするなら、森の外で突然遭遇したあの帝国兵らも、多分何処かの集落を襲った後だったのかもねぇ……ちッ、逃したのは迂闊だったね」
と、アタシは大剣に付着した敵兵の血と脂を布で拭いながら。逃した弓兵隊や、白い修道女が逃げ果せたであろうグランネリア帝国の方角を向き。
あの時は事情を知らなかったし、早く調理した肉を食べたい食欲に負けたとはいえ、アタシは自分の選択に少しだけ後悔するのだった。
「あっ、いたいた!もう、こんなとこにいたんだアズリアお姉ちゃ──んっ!」
そんなアタシの背後へと飛びついて来たのは、つい先程まで纏っていた黒鉄の籠手を解除したユーノだった。
「もう、敵は全部やっつけちゃったのにお姉ちゃんがどこにもいなかったからさっ……ねえお姉ちゃん、ボクの活躍、見て……くれてた?」
背中から離れたユーノが、アタシに上目遣いで頭を突き出し、何かを要求しているようだった。
もしかして……頭を撫でて欲しいのだろうか?
最初、ユーノの頭を撫でた時には「子供じゃない」と頬を膨らませて叱られた記憶があるが。
それでも、要求しているのだからとアタシは無防備に差し出してるユーノの頭に手を乗っけると、その時点で嬉しそうに微笑んでいた。
喜んでくれている様子なので、アタシはそのまま手を動かしてユーノの頭を優しく撫でていくと。
「……うにゃーん。気持ちいいよお、アズリアお姉ちゃぁんっ……♡」
「ユーノの実力、しっかりと見せてもらったよ。それにしても凄い術式だよねぇ……鉄拳戦態」
目を閉じたまま、気持ち良さそうな表情を浮かべて、もうこれでもかと頭を撫でられるのが好きなのだという態度を見せていた。
出会ってまだ間もないユーノだが、ここまで素直に懐かれるとアタシもイヤな気は全然しない。
「んふふ─、鉄拳戦態も魔王サマの雷獣戦態もボクたち獣人族にしか使えない術式なんだって……魔王サマがいってたの」
そんな上機嫌なユーノが、割と重要なことをサラッと口にした、そんな気がする。
しかし……ユーノの発言が本当だとしたら、もしかしたら獣人族という種族がこんな僻地に追いやられたのも、この術式が原因なのかもしれない。
そんな考え事をしていると、今度は地面を揺らすかと思えるような喧しい足音がこちらに近付いてきた。
その足音の正体とは、予想通りバルムートだった。
「おお!……ユーノに貴殿を呼びに行かせたのに、全然戻ってこないので心配になって来てしまいましたぞ、アズリア殿っ」
「そんなに慌ててどうしたいバルムート。帝国の連中はもう全滅させたんだろ?……それとも、何か困った事でも起きたのかい」
「ぶーぶー、そうだよバルちゃん。今、アズリアお姉ちゃんに頭なでられてほめられてたのにぃ……むぅ」
至福の時間を邪魔されたユーノの冷たい視線からはともかく、アタシの視線からも明らかに顔を逸らすバルムート。
どうやら困った事態なのは図星だったようだが。
……だが、ここは魔王領内だ。
大概の困った事態ならば、寧ろ四天将という地位のあるバルムートのほうが対処しやすいのではないか。
と、そう思った時。この集落に襲撃があった事を報告した重傷兵を、アタシが生命と豊穣の魔術文字で傷を塞いだことを思い出す。
「もしかして困った事ってのは……怪我人かい?」
「おお、実はな……アズリア殿よ、この剣を覚えているだろうか」
そう言って、バルムートが腰に下げていた魔剣を取り出して見せる。
あの魔剣は、彼の配下でありながら帝国軍との戦いで戦死したアドニスという魔族の形見、の筈だが。
「この剣の持ち主、アドニスの部隊の生き残りがこの集落で見つかったのだ……そこで、アズリア殿には申し訳ないが、その者に治癒魔法を使ってやって欲しいのだ、お願いする……どうか」
バルムートが頭を下げる前に、アタシは彼の隣に
並ぶと、申し訳なさげにしていたその肩を叩いてやった。
「それじゃ、早速その怪我人のところに案内してくれよ、バルムート」
「……感謝するぞ、アズリア殿」
「なぁに、アンタとはもう一緒に戦った仲じゃないか。だから頭下げるんじゃないよ、ほら」
アタシがそんなバルムートに案内されたのは、所々焼けてはいたが、集落の他の住居に比べ比較的に破損の少ない建物であった。
一目で重傷だと判断出来るアドニス配下の魔族が、部屋の中央に敷いた布地の上に寝かされていたが、この場にはそれだけではなかった。
どうやら集落の生き残りは全員この屋内に集まっているようで、よく見ればこの場にいる住人や兵士は、ほぼどこかの部位を負傷していた。
住人の中には、放置すれば生命の危機になりそうな負傷の者も見受けられた。
「……すまん、村長。傷を治せる魔法を使えるとしたら、城に一度帰還しアステロペ殿を連れてくる必要があるのだ、わかってくれ」
「はい、それはわかっております。まずはバルムート様の配下を治療をして────え、な、何を⁉︎」
「お、おい……アズリア殿?」
アタシはこの中で一番危なかったように見えた、腹を矢が貫通していた女性に対して、魔術文字による治癒を勝手に始めていた。
「……大丈夫だってバルムート。約束は守るからさ、ただ治療する順番が後になるだけだからグダグダ言うんじゃないよ……はぁぁぁぁぁ」
アタシは指で生命と豊穣の魔術文字を女性の腹に描き、魔力を魔術文字に注ぎ込む。
「はぁ……はぁ……うあぁぁぁぁっ⁉︎」
「身体の力を抜いて楽にしてな。今、アンタの傷を治療してるからさ」
すると傷口から矢が抜け落ちていき、その矢傷が徐々に塞がっていく。先程まで荒々しい呼吸をしていた女性の息遣いが緩やかなものへ変わっていった。
「だ、だが、アズリア殿……それでは貴殿の魔力が、身体が保つまい。この場だけでも一体何人の負傷した村人らがいると思ってるのだ?」
だが、今の女性の傷はかなり深かったようで、アタシの額には玉のような汗がびっしりと浮かんでいた。
その様子に心配そうに声を掛けてこようとするバルムートに、アタシは今この場で勝手に自分へと課した決意を口にしていく。
「アタシの魔力が空っぽになってもいい……怪我人放置して一人だけ治すなんてアタシには出来ないよ。まずはこの場にいる全員、片っ端から治癒していくから……ほら次ッ!」
「し、しかしっ……」
すると、治療が終わって疲れているアタシの身体を支えるように横にピッタリと張り付いてくるのはユーノだった。
そのユーノはアタシとバルムートとの間に割り込むと、バルムートの鼻先に指を突きつけてこう言い放つ。
「ごめんバルちゃん。ボク、今回はお姉ちゃんの味方だからっ」




