36話 白い修道女、その正体とは
今話は「◇」を境に、アズリア→白い修道女→アズリアと視点が変わります。
読みにくかったらごめんなさい。
アタシが放った一撃は、間違いなく襲撃してきた白の修道女の、その胴体を上下に両断する剣筋だったが。
咄嗟に背後へと飛び退き、それでも避けきれないと知るや、左腕一本を盾にアタシの大剣で致命的な傷を負うのを何とか回避していた。
だが……その代償は大きかった。
白の修道女の左腕は、切断されずに何とか繋がっていたが、もはや腕として使用するのは不可能な損傷を受けていた。
見れば先程から浮かべていた、こちらの首筋や心の臓を短剣で的確に狙う時すら崩さなかった、穏やかそうな笑顔の代わりに。
「なんだ……笑い顔以外忘れちまってるのかと思ったら、そんな顔も出来るんじゃないか」
アタシを呪い殺さんばかりの憎悪を込めた視線と、苦痛に歪んだ表情を浮かべていたのだ。
◇
────何だ。
────何なのだ、この人間は。
何故、ただの人間が私の速度についてこれる?
私は、アディーナ。
神聖グランネリア帝国で信奉されている、人間の神セドリック様に仕える修道女を表の顔として。
裏では、セドリック教会の浄罪部隊「セクリタテア」に所属し、存在そのものが教義の異端者である魔族や獣人族といった異種族を、粛正しているのだ。
そんな私に、神セドリックが授けてくれた力。
それが……「影刃」という祝福だったのだ。
帝国に所属する熟練の騎士にも劣らない短剣の扱いと、足音を殺し目標に悟られず接近する歩法。
そして、殺人という罪深き行為に対して、忌避感を覚えなくなり、寧ろ快楽を感じるようになったのだ。
私はこの能力を使って、神セドリックに仇なす魔王の配下どもを一匹、また一匹と次々に血の海に沈め、その生命を神セドリックに捧げたもうたのだ。
人間の神を信ずる私にとって、魔族や獣人族がいくら人の真似をして生きていたとしても、情状で刃を鈍らせる要素とはならない。
寧ろ私に言わせれば、人間ならざる下等な生物が人間の生活を模倣する。
その行為そのものが、奴らの許し難き「罪」なのだ。
ならば「罪」は清算されねばならない。だから私の行為は、神セドリックの名の元で行う聖なる行為に他ならない。
「影刃」として祝福を受けた私は。
ある時は、魔族の指揮官の首を掻き切り。
ある時は、得意の水魔法で獣人族らを氷漬けにし。
またある時は、魔族らの集落を焼き討ちにしたこともあった。火に包まれた魔族らの苦悶の表情を見るのは、とても胸のすく思いだった。
その全てにおいて、神セドリックからの祝福によって、私の速度や短剣を見切れる者など今まで一度たりとも遭遇した記憶がない。
当然だ。これは神の祝福なのだぞ。
なのに────何故、私の眼前に立ち塞がるこの人間は、素直に私の短剣で首を掻き切られないばかりか。
祝福を受けた私の速度を超えて、私の生命を絶とうとしてきたのだ……幸いにも祝福により痛みを感じはしない私だったが、あの女の剣を受け止めた左腕は、もう使い物にはならない。
嘘だ。
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。
信じられない。これは、神の祝福の明確な否定だ。
私は今まで神セドリックの良き使徒であることを常に心掛け、穏やかな笑顔を絶やさぬよう、自分に制約を課していた。
だが左腕を失った動揺で、神よりの祝福に初めて疑問を抱いてしまった私は、自分で課した制約である笑顔を作るのを忘れ、いつの間にか素の自分の顔を目の前の女へと晒してしまっていたのだ。
「殺す……絶対に、お前だけは私が殺す」
残った右手に構えた短剣を構えて、私は神セドリックの祝福を否定する危険な存在である、目の前の女戦士の息の根を、絶対に此処で止めるために、祝福の真の能力を発動させようとするが。
それを止めたのは、頭に響く麗しい声だった。
『────戻りなさい、我が使徒アディーナ』
憎悪の炎が心を満たしていた私の頭に突如響いてきたのは、間違いない。神セドリックの巫女たるネレイア様の御声。
その声は、直ちに戦闘を停止し、帝都ネビュラスへと帰還する事を私へと命じてきたのだ。
だが、左腕を奪った女戦士への憎しみに満ちた私は、その神託を許容出来なかった。
あくまで神託とは一方的な思念の伝達手段であり、受け手側から意思を伝えられるわけではなく、私もそんな事は当然承知していた。
にもかかわらず、口に出して叫んでしまう。
「いえネレイア様っ!この者は、この女だけは私が此処でこの手で必ずっ────」
だが、神託はもう一度繰り返す。
『────戻りなさい影刃。これより我らは神セドリックの意思で、魔王リュカオーンを完全にこの地上から消滅させるための聖戦を開始します。その聖戦にはアディーナ、貴女の祝福が必要なのです』
「お、おお……それでは、今度こそ、本格的に異端の者をこのコーデリアから駆逐するのですね……」
聖戦。
その言葉の響きに、私個人の憎しみの炎などたちまちに消沈していき、私は心の平静と、制約である穏やかな笑顔を取り戻す。
◇
「おいおい……一体どうしたってんだい。いつ迄もそうやって固まってても困るんだけどねぇ……」
……目の前の白の修道女の様子がどうにも不可解だった。
腕を一本使いモノにならなくなった影響からなのだろうか。
短剣を構えたり、好戦的な言葉を吐き出して最初はすぐさま攻撃してくるかと思えば。
今度は、夜空を仰いで何かぶつぶつと言葉を呟いてしまったのだ。
最初はまた魔法の詠唱ではないかと警戒もしたが、耳に入ってくる単語が詠唱に使われるものとは程遠かったので、アタシは少し距離を取り様子を見ていた。
すると白の修道女は、何とアタシに背を向けて戦場から離脱していったのだ。
「お……おいッ! 逃げるのかよッ?」
確かに面倒そうな相手ではあるので、本音を言えば……向こう側が勝手に戦闘を放棄してくれるのは、正直ありがたいのだが。
アタシはまだ、あの白い修道女の名前すら知らないのだ。せめて名前だけは聞き出したくて、思わずアタシは引き留めるような言葉を投げ掛けると。
アタシの言葉が届いたのか。立ち去ろうとしていた白の修道女が、こちらへと振り向いて。
「私は影刃のアディーナ。いいですか……あなたは必ず私が殺しに行きます。それまで、他の誰にも殺されては、駄目ですよ……ふふふっ」
再びあの穏やかな笑顔を浮かべながら、残る右腕で自らの首を掻き切る仕草を取ると。
最後に、目をカッ!と見開いてアタシへ殺意を放つと、今度こそ白い修道女は夜の闇に消え去っていった。
「……くそっ、何だったんだよ一体あの連中は。おかげで楽しみにしてた食事が遅れに遅れちまったよ……」
最後に負け惜しみの言葉と、再戦の予告を残した修道女だったが。
今のアタシはそんなコトより重要な事があった……それは。
──猪豚の肉を美味しく喰らうことだった。
ちなみに今回登場した浄罪部隊の名前ですが。
あれは、旧ルーマニアに実際に存在したKGBのような秘密保持部隊の名前をそのまま使わせてもらいました。
 




