33話 アズリア、猪豚の肉を調理する
早速アタシは、調理のためにこの場に土を盛り、即席の土竈門を作り上げる。
まあ、竈門と言っても、ただ焚き火を囲い、調理の鍋を置けるようにしただけの不恰好なものだが。
今回は、その土竈門を2個作成し、それぞれに火を起こしていく。
幸いにも薪となる乾いた木の枝は地面に落ちているし、火種はアタシの魔術文字で済む。
火を付けるためだけに一々指を切るのは面倒だが、先程「tir 」の魔術文字を発動するために指を切ったばかりだ、問題はない。
「さて、と。火の準備は出来たね……うん、イイ感じだ。それじゃ、先に煮込みからちゃちゃっと作りますかねッ」
わざわざ火を二箇所で起こしたのは、せっかく一匹丸ごとの猪豚を、二種類の異なる調理をしようと思いついたからだった。
まずは、あまり焼いて食すのに適していない筋の多い脚の腿から先の脛の部分や、先に塩や香辛料を振り下処理をしておいた内臓の部分を、一口大より大きめに切り分け。
持っていた鍋に砕いた塩に持っていた香辛料に、腰からぶら下げる鉄筒に入れておいた赤葡萄酒を注ぎ入れる。
少々勿体ないが、新鮮な肉の塊を赤葡萄酒で煮込むと、段違いに柔らかくなるのだ。
そして、ダンデライオン亭の主人から貰っていた月桂樹の葉を数枚投入し、火にかけていく。
鍋が煮立ち、肉の色が変わり火が通った頃を見計らい、中身に指を入れて味見をしてみる。
「……うんっ!さすが捌きたての新鮮な猪豚だ、イイ感じに味が出てるねぇ。しかもまだ煮込み始めなのにこの濃厚さ……こりゃ仕上がりが楽しみだよ」
口に広がる適度な塩味や辛味、そして葡萄酒の渋味、さらに汁に溶け出した猪豚の脂の甘味が加わって、思わず幸せに浸ってしまう。
実は内臓や脛を葡萄酒で長時間弱い火で煮込めば煮込むほど美味しくなる、と教えてくれたのも。アタシに月桂樹の葉を譲ってくれた主人ミスティその人なのだ。
煮込み用の鍋を火にかけながら、その中身を覗き込むと、あまりに肉々しい色合いに、少しばかり緑色が欲しくなってしまった。
「うーん……肉だけ煮込むのも何だねぇ。この森に、一緒に煮込んで美味しくなりそうな木の実か葉っぱとか、生えてないかねぇ?」
何しろ、今アタシがいるのは森の真ん中だ。探せば食べられる葉や実が見つかるかもしれない。
もちろん散策に大した時間を掛けるつもりはない。
何しろ、焼かれるのを待っている肩や尻の肉がアタシを待ってくれているし。アタシの腹がさっきから「待てない」と鳴りっぱなしだったからだ。
────カチャリ、ガサッ……パキッ、ザッ、ザッ。
空腹に鞭打ちながら、森の中を散策していたアタシの耳に聞こえてきた異物音。
間違いなく、動物の類いではない。枝を折る音に混じって微かに混ざっていたのは金属音、そして人間の話し声だった。
「……魔族の狩人かねぇ?……いや、だったら金属音なんか鳴らさないハズだ。なら、アタシを追っかけてきた城の連中か……」
先ずはこちらの存在を悟られないうちに、相手の正体を見極めるのが定石なのだが。何しろ、この場所で二箇所も火を焚いている時点で、相手に居場所を特定されるのが先だろう。
何よりも……ここで騒ぎになったら、煮込んでいる鍋がひっくり返されて台無しにされる危険がある。
もしそんな事にでもなったら。
たとえそれが魔王様でも、老執事でも、いや女魔族だろうが、アタシは無事で済ませる自信は……ない。
それは断言する。
だから、敢えてわざと音を立てながらアタシは、音がした方向へと、大剣は背中に背負って足を進めていった。
「おい、この中に誰かいるというのは本当なのか?」
「は、はい。先程先行隊が木々の隙間から明かりを見たと報告がっ」
「村の連中が隠れてるのかもしれん。中を調べろ。場合によっては火を放っても構わん」
すると、徐々にハッキリと聞こえてくる人間の話し声、それも複数人。さらに森の外に、それ以上の人数が待機している気配を感じる。
地元の魔族らなのか、城からの追手なのか、まだ相手の正体がわからないが、とりあえず森に火を放たれるのは困る。
アタシは自分から森を出て、まずは相手の正体と出方を見ることに決めた。
「待て待て待て、火を放つとはおだやかな話じゃないねぇ。まずは話し合いから……え?」
「は?……こ、こんな場所に、に、人間だとお?」
森の外でアタシが見たのは、白い塗装をした鎧に身を固めた、人間の集団だったのだ。
この魔王領にアタシが来てから、人間を見たのはこれが初めての事だ。
それはどうやら向こう側の集団も同じような反応を見せていたことから、人間を探していた様子ではなさそうだ。
もしかしたら、この連中が神聖帝国とかいう人間の国の兵士なのかもしれない。
「だがこの女、肌が黒い……きっと魔族に染まってしまったのだ。可哀想だが、これは聖戦……撃てえ!」
だが、この兵士は突然アタシを魔族扱いした挙げ句に、後ろに待機していた同じような格好の兵士らに、あろう事かアタシを攻撃するよう合図を出す。
その合図に合わせて、兵士らが一斉に小型の弓を構え、アタシへと矢を放ってきたのだ。
「何だよコイツら、話も聞かずいきなり殺す気とか……はぁ、腹が減ってるのに面倒はしたくなかったんだけど」
アタシは、右眼の魔術文字を発動し。
背中に背負っていた大剣に手を伸ばし、両手で握り締めたまま、アタシ目掛けて風を斬る音を立てて向かってきた無数の矢へと。
渾身の力を込めて、刃を立てず幅広く平たい刀身を向けて、振り抜いていく。
「な、何だとお?……な、何が、起きた?」
驚いていたのは、合図を出した隊長格の兵士だけではなく。矢を放った後ろの30人の兵士らも動揺を露わにしていた。
アタシは、先程振り抜いた剣撃で、降り注ぐ30本の矢を一本残らず叩き落としたのだ。直接に剣に弾かれた矢もあったが、そのほとんどは剣撃による衝撃で吹き飛ばされていた。
「向こうから喧嘩を売ってきたんだ、しかも殺る気で。なら……覚悟は出来てるんだろうねぇ」
アタシは、矢を弾いた大剣を構え直すと。
動揺した白い兵士らとの間合いを詰めるため、一歩、また一歩とゆっくりと歩み寄っていく。手加減などするつもりはない、何しろあちら側は問答無用でアタシを殺しに来たのだから。
アタシは別に正義の冒険者などではない。
敵対する連中には容赦など、しない。
しかも今、アタシは空腹で気が立っているのだ。




