32話 アズリア、自分の剣に驚愕する
アタシが放った殺気に反応し、前脚の蹄で地面を何度も蹴り上げ、こちらへの臨戦態勢を取る猪豚。
「……アタシを前にして、逃げなかったコトは褒めてやる。せめて一撃で屠って……やるよッッ!」
一直線にアタシ目掛けて突進してくる猪豚。
既に右眼の魔術文字は発動してある。アタシは突進してくる猪豚の真っ正面に立ち、横や後ろに一歩も退くことなく大剣を真上へと大きく振り上げ。
猪豚の頭蓋目掛けて渾身の一撃を放つ。
「────け、剣が……軽いッ?」
違和感は、大剣を振り上げた時からだった。
筋力増強の魔術文字の効果を受けて膂力が増しているのはいつもの通りなのに。
それなのに、振り下ろす大剣が軽く感じたのだ。
まるで、そうするのが自然なことのように、息を吐くような要領で、無駄な力を込めることなく。
今までとは明らかに振り抜いた感覚の違うその一撃を、馬鹿正直に突進してきた猪豚が回避出来るわけもなく、大剣は額に直撃し。
……いつもならば頭蓋の骨を砕き、猪豚の頭を血で赤く染めていたはずが。
振り下した大剣の刃は、突進してきた猪豚の頭部を綺麗に左右に両断していた。
もちろん、その一撃で完全に絶命し動きを止めた猪豚は、ドシャリ……とその巨体が崩れ落ち、ゆっくりた地に伏していった。
「う、嘘……だろ。何だよ、この斬れ味は……?」
アタシは今、目の前で起こした事に驚いてしまっていた。今までと違う条件と言えば、老執事に教えられた事だけだ。
剣の握り方、握り手の持ち方、放つ剣撃の軌道や剣を振る際にどこで力を込めるか、など……挙げればキリがない。
最初の一日こそ、まだ静かだった老執事だったが、次の日からアタシの剣の振り方一つに数々の修正点を指摘してきたのだ。
正直言ってアタシは、剣の握り方を変えたくらいで何が変わるというのか、と老執事の指摘を軽く見ていた。だが、それが間違いだったと今の一撃を放ってみて、体感した。
その手応えは……あまりにも軽く、そして重かった。
「コレが……アタシが今まで知るコトもなかった、正当な剣の使い方で、本当の相棒の威力だってワケかい……いや、凄まじいねぇ」
このような結果を見せつけられたら、確かに老執事の言う通りだ。アタシの今までの剣は「力任せ」だと罵られるのは当然だろう。
無理やり付き合わされた鍛錬だったが、今となっては老執事に感謝するしかない。
「明日から、もう少し真面目にあの爺さんに付き合っても……イイかもしれないねぇ」
と、猪豚の頭部を両断した大剣をジッと見つめていたアタシから聞こえてきたのは。
────ぐうぅぅぅ、ぎゅるるるるぅぅ
……アタシの腹の鳴る音だった。
空腹だったところに、この森まで走ってきた上に、魔術文字まで発動させ剣を振るったことでさらに腹が減ったのだろう。
そうだ。明日からの鍛錬のことはまた明日になったら考えることにしよう。
今はまず、仕留めた猪豚を美味しくいただくためには、迅速な処理をしないといけないのだ。
アタシは腰に挿している短剣を取り出すと、猪豚の首筋付近にある太い血管に刃を入れて血を抜いていく。血抜きをしないと肉は臭くて固いモノになってしまうからだ。
「よし、上手く血は抜けてるみたいだね。それじゃ、次は……」
尻のほうから腹を裂いていき、内臓を取り出していく。穴を掘って取り出した内臓は全部ここに捨てていくのが普通なのだが。
実はあまり知られてない事なのだが。内臓の何箇所かだけは捌きたての新鮮なモノならば食す事が可能なのだ。
心の臓とプルプルとした茶色の部分に、砕いた岩塩と香辛料をまぶしておく。こうすれば少しは保存が効くからだ。
「最後に、猪豚の皮を剥いでいかないとね」
獲物の解体が簡単に出来るようになる魔法があればよいと思うのだが、アタシの知る限り現在の魔法には解体を便利にするような種類の魔法はない。
もちろん、今アタシが所持している魔術文字にも、そんな効果はなかった筈だ。
と、そう思った矢先。アタシは魔王城の地下で、祭壇を守るように張り巡らせてあった鎖に刻まれていた「tir 」の魔術文字の事を思い出す。
「……そう言えば、鎖を取り込んだまではよかったけど、一回も使ったコトなかったねぇ、アレ」
試しにアタシは、解体に使用していた短剣に「tir 」の魔術文字を描いてみる事にした。
何しろこの魔術文字とは既に誓約を結んでしまっているのに、まだ一度もその効果を試したことがなかったのだから。
「よし────さて、斬れ味が増してくれれば少しは楽に捌けるんだけどねぇ……さぁて、どんなモンかねぇ」
魔術文字を刻んだ短剣で、皮を剥ごうとその肉に刃を差し込んだ瞬間に。
「おおおおおッ?何だよこの切れ味はっ?」
猪豚の肉の強い弾力を微塵も感じることなく、ススゥ……と刃が抵抗なく肉と皮の間を走るその感触に楽しささえ覚えてしまい、瞬く間に皮剥ぎを終えてしまう。
いや、それだけでなく。
続けて行った部位ごとに肉を切り分ける作業も、この短剣の脅威の斬れ味に簡単に終わってしまう。
斬れ味に驚いてしまうのは、今夜これで二度目となるが。本音を言わせてもらえば、最初に猪豚の頭を真っ二つにした時よりもこちらの斬れ味のほうが衝撃を受けたのは事実だ。
そんな風に感じてしまったアタシは頭の中で、剣の使い方を教えてくれた老執事に「悪い」と謝っておいた。
ともあれ、これで肉として切り分けは出来たのだから。
ようやくアタシは、自分で討ち倒した猪豚にありつけるわけだ。




