30話 アズリア、最大の敵は空腹感
魔王様に召喚されてから数日が経ち。
アタシはまだ、ここ西の魔王領にいた。
あの後、本当に日が落ちるまで剣を振るハメとなり、老執事から解放された後に建造物の中に戻り。
見つけた魔王様に数発拳を叩き込んだ後に、対決に引き分けたのだから元いた場所へアタシを戻すように丁寧にお願いしたのだが。
魔王様はあっけらかんと、こう言い放った。
「いや?帰る手段なんか考えてないぞ。まさかなぁ……俺様が勝てないとは微塵にも思ってなかったしなぁ……アズリアには悪いけど」
それは、アタシにとって衝撃的な言葉だった。
……事実を認識するより先に、アタシの右腕が勝手に動いて、魔王様へと拳をめり込ませていたが。
──という事情によって、アタシは全く見識のないこの土地に、望まぬまま滞在する事となっているわけだが。
まさか、最初に魔法で意識が朦朧としていたアタシが連れて来られた場所が「魔王城」だとは思わなかった。
どうやら正式な名称はもっと長い名前らしいが。
「まあ……アステロペとモーゼスの爺さんが説明してくれてるお陰で、人間だからって無闇に突っ掛かられなくて済んでるのは助かるんだけどねぇ」
アタシは今、その魔王城の一室をアステロペに用意されて、そこで寝泊まりをしている。
最初にこの城郭の内部を歩き回った際に、やたら人気が無かったのは、女魔族曰くこの城は普段は使われていないからだそうだ。
以前に読んだ文献では、魔族から発せられる「瘴気」とやらが人間には害となる、と記されていたが。
この数日間、モーゼスの爺さんやアステロペ、その他城を訪れる魔族らと数え切れない程、会話もしたし握手程度の接触をしたにもかかわらず。
アタシの健康面には、何ら変化はなかった。
確かに人間社会において、住人らに害を及ぼすコピオスらの軍勢やマフリートのような、まさに人間が思い込んでいる魔族としての振る舞いをされるのなら、戦うのも仕方ない事だとは思うが。
魔族は人間にとって存在自体が悪、という考え方にこの数日間でアタシはかなり疑念を抱いたのは間違いない。
さて、問題は食生活だ。
食事は朝と夜の2回、この部屋で一人で取るように手筈されているのだが。
どうアステロペや老執事に説明を受けたのは知らないが、部屋に入ってくる給仕役が、一々怯えた視線でアタシを見るのは勘弁して欲しい。
「……しっかし、魔王サマともなればさぞや豪勢な食事をしてるのかと思えば、意外と質素な食事なんだねぇ……」
食事として提供されたのは、少量の薄味の穀物粥に、複数個の果物や木の実がそのまま。
そして、塩や香辛料などで味が付いていない動物の肉を焼いたものだった。噛むと筋張っている上に火を通しすぎて固い、そして口いっぱいに広がるのは肉汁よりも鉄臭さだった。
率直に言えば……不味い。
しかも、提供される食事量が少なすぎるのだ。
最初はアタシが人間だから、嫌がらせを受けているのかと疑ったが、どうもアステロペやモーゼス、そして魔王様すらこの食事をしているらしいのだ。
というのは、食事を運んできた給仕役の魔族から聞いた話だ。
アタシはあの後も老執事からの鍛錬に足を運んで、馬鹿正直に剣を振り続けていた。
理由の一つに、あの老執事から、魔力の流れを視ることが出来る「魔視」を学べたというのもあるが。
アタシは今まで、誰かに剣を学んだ事がない。
鍛錬の時に老執事に言われた通り、これまでは魔術文字に頼り、力任せに頑丈な大剣を振り回してきたにすぎない。
これまでも幾度となく強敵と対峙した記憶。
砂漠の国に侵攻してきた魔族コピオス。
帝国軍の女将軍ロゼリア。
確かにアタシは勝利を拾う事が出来た。だがそれはアタシ一人の力ではなく、一緒に戦ってくれた仲間らの尽力があったからだ。
そして、何より……師匠ら精霊の助力無しでは、アタシは今生きてさえいないだろう。
そういった理由もあり、アタシは老執事からの厳しい鍛錬を繰り返していたのだが。
「──コレじゃ全然足りないんだよぉぉぉぉッッ!」
厳しい鍛錬で筋肉痛が走る両腕よりも先に、アタシの腹と喉が限界を迎え、部屋の窓を開けて夜空へと空腹を叫ぶ。
まさか、魔族たちの食事環境がここまで酷いとは予想していなかった。そりゃ、魔族が人間の居住地を奪おうとするのも納得だ。
外はもう日が落ちて、城の外は既に真っ暗だ。
魔王城とは言うものの、普段使われていないというのは本当らしく、今まで旅で立ち寄った国では城の周囲には城下街が広がっているものだが。
この魔王城の周囲には、住居や集落らしきものは一切見ることがない。
だから────これからアタシが窓から城郭を抜け出したとしても、目撃されて騒ぎになるようなことはないだろう。
幸いにも、西の魔王領に転移させられても、塩や旅で集めた香辛料が入った小袋は腰にぶら下げたまま肌身離さず持ち歩いていた。
それに、アタシには一人旅で鍛えた調理の腕がある。もちろん、砂漠の国で出会ったアウロラや、ホルハイムの王都の料理店「ダンデライオン亭」の料理人のような本職には叶う筈もないが。
少なくとも、魔王城で提供される食事よりはまともな料理が作れるという自負は、ある。
「誰かが来る気配は……うん、ないね」
アタシは廊下に続く部屋の扉を、音を立てずに静かに開けた隙間から、廊下から部屋に近づく者がいないかを確認していくと。
再び扉を閉めると、早速窓から抜け出すための準備を整えていく。
正確には、窓から抜け出した後の準備を、だが。
何しろこの部屋は二階に位置しているため、窓から地面までの距離は大したものではない。筋力増強の魔術文字を発動していれば、問題なく着地出来る。
問題は、夜の闇を照らす照明だが。
さすがに城の地下を探索する時と同じ過ちを二度繰り返すほど馬鹿ではない。アタシは、城の照明となっていた松明を数本、事前にくすねておいたのだ。
「それじゃ、空腹を満たしに────行くよっッッ!」
それを腰に下げて、アタシは窓を飛び出したのだ。
口中から湧き出るヨダレを腕で拭いながら。




