29話 神聖グランネリア帝国、暗躍す
ここは、神聖グランネリア帝国との国境地帯。
もっとも、国境とは勝手に魔王領に足を踏み入れ、勝手に国を建てた人間どもが呼んでいるだけだが。
50騎以上の魔族や、兵士級の食人鬼や小鬼を多数率いているのは、四天将バルムート配下の高位魔族。
漆黒の鎧甲冑を着込んだ高位の魔族に、部下であろう周囲の魔族らが話しかけている。
「しかし……数年ぶりですね、神聖帝国の人間どもが我々にちょっかいを掛けてくるのは」
「はっはっは、人間どもは数年経てばあれだけ手酷い敗北すら無かったことになるのでしょうな」
だが、そんな軽口を叩く部下らを諌める高位魔族。
「──あまり無駄口を叩くな。バルムート様に良き報告が出来るよう、我々の同胞を傷つけ住処を荒らした人間どもを迅速に始末するだけだ」
「はっはっは、さすがはアドニス様。かのバルムート様が一番に信頼を置くだけはありますな」
そう。アドニスと呼ばれた高位魔族が向かっているのは、神聖帝国の兵士らに襲撃を受けたと救援を求めてきた集落だ。
報告では、向こうの人数はこちらと同数かそれ以上だと聞いているが。
人間と我ら魔族とでは元々持っている基本的な身体能力の違いがある。正直、人間が10人いても魔族1人で簡単に勝ててしまうだろう。
だから最初は、軽口を叩く部下数名で救援に向かわせるつもりだったが。人間どもに二度とこちらに下手な真似をさせないためにも。
ここは圧倒的な戦力で不届きな人間どもを殱滅するつもりで、詰所には防衛のための最低限の人数を置いて、全軍を率いて出撃したのだ。
────それが、どうしてこうなったのだ。
「おい!生存しているのなら返事をしろ!ハインリヒ!ノーマ!……それに、ゴードン!」
今、この場所に立っているのはアドニスのみ。
彼は必死に声を張り上げて、つい先程まで軽口を叩いていた配下の魔族らの名前を呼んではみるが、返答はなかった。
事の発端は。
集落へと救援に向かっていた道の途中で、突然こちらに放たれた氷魔法の上級魔法「時を停止する雨」だった。
不意を突かれ直撃したその攻撃魔法が合図となり、周囲から一斉に現れた神聖帝国の兵士らによって、為す術なく倒されていく部下の食人鬼や小鬼。
『我らが神っっ!セドリック様に勝利をおおお!』
最初に撃ち込まれた攻撃魔法は、こちらに打撃を与えるよりも、足元や身体を凍結させ、まともな行動をさせないのが目的だったようだ。
しかも今の「時を停止する雨」で、炎の悪魔族であるゴードンが完全に沈黙してしまったのは完全な誤算だった。
人間どもは我らの進軍に合わせ、伏兵を配置していたのだ。
その計略に見事に嵌り、いたずらに部下を失ってしまい、不甲斐なさに歯軋りを噛むアドニス。
だが、まだだ。
不意打ちを受けて、兵隊である食人鬼や小鬼の大半は失ったが、まだ主力である
魔族らはほぼ健在であり、ここから人間どもを屠ればよい、逆襲すればよい……と考えていた。
その魔族らが一人、また一人と。
首から血を噴き出して地に倒れていくのが見えた。
そして、血を噴き倒れる魔族の背後には、必ず白衣の司祭服と女性用頭巾で身を包んだ、修道女が立っていたのだ。
返り血を顔に浴びてなお、笑顔を浮かべながら。
そして、気が付けば。
この戦場に魔族側で立っているのはアドニスただ一人となっていたのだ。
アドニスは何故こうなったのか、頭を働かせていた。
考えてみると、この不意打ちは合点のいかない事ばかりなのだ。
伏兵の配置はまだ納得出来る。集落を襲撃し救援を呼ばれたのだから、魔王軍側から増援が来る事は簡単に予想出来るからだ。
だが、問題はあの「時を停止する雨」だ。
偶然と言えばそれまでなのだが、あの魔法でゴードンが無力化された……いや、それだけではない。
ハインリヒは自慢の魔眼を発動する前に、その眼を潰されて魔眼を無力化されてしまっていた。
素早さが自慢の猫人族のノーマも、最初に放たれた氷魔法で足が地面に凍りつき、その速度を活かせないまま帝国の兵士らの手に掛かった。
伏兵の配置を含め、どれも魔族側の戦力を知っていなければ取れない戦術ではないか。
「まさか!……我が陣営の情報が完全に漏れている、というのか?」
すると、アドニスの背後から優しい女性の声が聞こえてくる。
「────ふふ、正解ですよ」
と同時に、鎧に守られている筈の首筋に感じる、冷たい金属の感触。
アドニスが身体を翻し、バルムートから貰った魔剣を握り締め、背後の人物を刺し貫こうとするが。
「正解の褒賞として我らが神、セドリック様に代わり私が差し上げましょう────死、を」
それが、アドニスが聞いた最後の言葉となった。
首筋に当てられた冷たいものが、アドニスの肉に深く喰い込む感触。首筋から熱いモノが体外へと抜け出していく感覚と共に、アドニスの視界は真っ暗に閉さされていくのだった。
最後にアドニスが見たもの、それは。
魔族の首を斬り裂いた時と同じく優しく微笑んでいた、白衣を紅に染めた修道女だった。
「時を停止する雨」
触れると氷結するように氷の魔力を帯びた極小の水の粒を広範囲に降らせることで、複数の対象へ極低温による凍傷と、身体の表面を氷結させる事による運動能力の低下、行動阻害を引き起こす水魔法の上級魔法。
部位を凍結させる程ではないので、厳密には攻撃という目的よりも、行動阻害の効果に重点がある魔法だと言える。
また、魔力を対象を直接傷つける要素に割かない分、同じ等級の魔法よりも範囲を拡大しやすく、実際に大規模戦闘でも好んで使用される。
そういった魔法は「軍勢魔法」と呼ばれたりもする。




