28話 アズリア、魔視を会得する
右眼に魔力を集中したアタシの目の前で、老執事が左右に軽く飛び跳ねているのを不思議に思っていた、その矢先。
不意に、視界から老執事が消えた。
右や左、果ては背後からと周囲の至る方向から聞こえてくる地面を蹴る足音。
だが、アタシは慌てずに無言で左側へ向き直る。
右眼にはその直前にモーゼスの両脚に魔力が流れ、そしてその魔力が最後に大きく左側へと移動しているのがハッキリと映っていたのだ。
「ほっほ、織り交ぜた虚動に惑わされずにワシの動きをしっかり捉えるとはな……見事」
この感覚……アタシは思い出す。
魔王様との戦闘中に、残像が出来る程の速度に翻弄され、あの時もアタシの攻撃が全く当たらなかった。
だから筋力増強の魔術文字の効果を、全部右眼に集中させて魔王様の動きを見極めた……あの時の感覚と同じなのだ。
「え……コレって、アタシは右眼の魔術文字の効果だとばかり思ってたけど……」
「ワシはお主の魔術文字とやらを知らんので一概には言えんが、魔視という技法ならば……今試した通り、魔術文字とやらは全く関係なく使える代物じゃよ」
もし、老執事の言っている内容が事実だとするならば。
アタシはあの時、圧倒的な実力差の魔王様を目の前にして、防壁も筋力増加の効果すら解除した全くの無防備な状態で立ち向かっていた、という事になる。
それを思うと、身体が震え出してくる。
「うおぅぅ……一歩間違ってたら、アタシはあの時死んでたかもしれなかったんだねぇ……怖ッ」
「……お主が何を言ってるのかわからんぞ」
「いや、実はさ────」
突然身体を震わせていたアタシを心配してくれたのか、それとも単に興味を惹かれただけなのかは知らないが。
声を掛けてくれた老執事に、九死に一生を得た魔王様との対決の場面を、
事細かに説明していった。
最初は、アタシの説明を普通に聞いていた老執事だったが。
魔王様が雷を身体に纏わせた内容になると、あからさまに顔色を変えて動揺していた。
アタシが説明を終えると、額をしかめながら何かを考えこむように腕を組み。
「……娘から魔王様と互角に競り合ったことまでは聞いていたが、まさか雷獣戦態まで見せていたとはのぅ、戯れなどではなかったというのか……むぅぅ」
「おい、爺さん?……アタシの話で何か変なトコでもあったのかい?……爺さん?」
アタシが数度呼び掛けをしてみるが、耳に入っていない様子だったので。
少々語気を強めて、老執事の身体を揺さぶってみた。
「────おいッ、爺さんッ!」
「うおっ⁉︎な、何じゃあ?……あ、いや。う、うむ……コホン。た、確かに魔視を知らぬのに、それを戦闘の最中にやってのけるアズリアよ、お主の才能は認めてやってもよいが……」
……ん?
最初は聞き間違えたのか、と思ったが。
「爺さん……今、アタシを名前で呼んだ、よな?」
無理やり付き合わされた鍛錬の最中、アタシの事を「小娘」か「お主」としか呼んだことのなかった老執事が。
初めて「アズリア」と名前で呼んだのだ。
「……人間は嫌いじゃ。だがワシとて武人としての矜持はあるわ。雷獣戦態まで凌いだ人間をいつまでも認めないのは、寧ろワシの誇りにかかわるわい」
それを聞いて、少しだけ嬉しく思えてしまった。
思えば、ここ魔王領に召喚されてしまうという不測の事態の筈なのに。
魔王様やアステロペ、そしてこの老執事との関係に少しだけ心地良さを感じてしまっている自分がいるのだ。
彼ら、彼女らは確かに魔族だが。今まで大陸を旅して出会ってきた人間や妖精族たちと何ら変わる事のない、そんな印象を受けた。
だからなのかもしれない。最初はとにかく魔王に勝利して元いた大陸に帰りたい、と思っていたが。
今の気持ちを正直に言えば。
別にすぐに帰れなくても構わないかな、というのがアタシの本音だったりする。
だが、認めて貰ったのを嬉しくなった事や。
この場所に居心地の良さを感じている事と。
これ以上鍛錬を続けたいかという気持ちは全く別の問題だ。
せっかく老執事がこちらへ好感触を持って貰っている内に、無理やり付き合わされた鍛錬を切り上げようとするが。
「爺さん程の武人に認めて貰えたのは嬉しいねぇ……それじゃ、今日の鍛錬はコレで終わりってことで────」
「たわけ。確かに認めるとは言ったが、鍛錬が終わりなどと言った覚えはないぞ」
どうやら、許しては貰えなかったようだ。
というより、老執事のアタシを見る眼が先程よりも熱を帯びているのは気のせい……には見えなかったりする。
「魔視が使えるようになったくらいで調子に乗られては困るぞ。次はアズリア……お主の剣筋の無駄を一つずつ削ぎ落としていくぞ。大体お主の剣は無駄がありすぎる、例えば上段じゃが……」
「いやいやいや!ちょ、ちょっと待てってばッ……アタシはまだ手に力が入らないんだってばッ」
「何を言うか、嘆かわしい……ワシが若い頃はのう、剣を握れなくなった時も、手にこうして……布を巻いて無理やり剣を持ったものじゃ」
しかも、アタシの話には耳も貸さずに、大剣の握りと手のひらを固定するように、何処からか取り出した布地を巻いていき、鍛錬を再開させようとする老執事。
「それでは鍛錬の再開じゃ。今日はまだ初日じゃからのう……まあ、日が暮れる程度で勘弁しておこうかのう」
「────ひぃぃぃッ?」
アタシは何故、魔王様がアタシを生け贄にして老執事から逃げ出したのか、その深刻さをようやく理解し。
次に魔王に会った時に、顔面に叩き込むと決めていた拳の回数を、二発分勝手に追加しておくのだった。
ちなみに。
第一章でアズリアが大樹の精霊に精霊界で受けた鍛錬は、主に魔力容量の拡大でしたが。
対して、老執事から受けた鍛錬は、剣の効果的、最適化された動きの会得となっております。




