23話 アズリア、魔法の鎖に触れる
アタシの問いに、魔王様は難しい顔をしたまま横に首を振って、否定する態度を取るが。
「……この事実を知っているのは魔王である俺様を除いて、ここにいるモーゼスや先程のアステロペを含むごく僅かな身内の者だけだ。ましてや外から来た帝国の人間らが知っている筈はないが」
魔王様が言いたい事はわかる。だからその言葉を先にアタシが口にする。
「今は、知られている可能性があるってワケね」
「否定はしないな。さすがに連中も20年以上もの長きに渡り、敵視している我らの事を野放しにしてはいないだろう」
しかし、意外だった。
まさかあの女魔族までこの事実を教えられているとは。いや、さすがは魔王の婚約相手と言うべきだろうか。
「いや、さ。そこにいる執事はまあ理解出来るとして……こんな重大すぎる事実を、あのアステロペがねぇ」
「そりゃそうだ。あの石壁を張ったのはアステロペだからな」
さらに意外な返答に、あんぐりと口を開けてしまう。
……いくら魔王に執着していたとはいえ彼女、アステロペと最初に顔を合わせた時の印象は、口喧しい魔族だとくらいにしか思ってなかったからだ。
アタシはこれでも魔術文字を扱う以上、一般的な魔術師よりは魔法の知識を研究しているという自負があるが。
あの石壁は、並の魔法では作成など出来ない。
つまりは、それだけの強力な石壁を作成する魔法……上級魔法、いやおそらくは超級魔法並の、を行使出来る実力を、あの女魔族は持っているのだ。
「いやいやいや。何を人間の常識で測ってたんだアタシ……アレは魔族で、此処は魔王領なんだぞ」
7年間、大陸を旅して積み重ねてきた経験や知識が少しだけ、アタシの頭の中で音を立てて崩れていく気がした。
あ、頭の中と言えば。
そう言えば魔王様から「鎖に触れろ」と急かされていたのを思い出す。
結晶の正体を始め、色々と衝撃的な事実を突き付けられて、思わず忘れてしまいそうになっていたが。
結局はあの頭の中に聞こえてきた声の正体は何だったのかは、未だ分からず終いなのだ。
まずは、それを確かめるためにも。
結晶への行く手を幾重にも阻む魔法の鎖へと触れるために、アタシは魔王様と老執事に背を向けて祭壇へと進む。
祭壇に張り巡らされている鎖は、見たところ鉄でも鋼でも、聖銀などの希少な魔法金属でもなく、金属特有の光沢がない真っ黒な材質で構成されていた。
喩えるなら炭を固めたかのような、漆黒の鎖。
その表面には不規則に赤い線状に魔力が走り、その様子がまるで生き物のような印象を与える。
「うおう……見れば見るほど不気味な鎖だねぇ。魔王サマは大丈夫だって言ってたけど、本当に触れても大丈夫なのか心配になってきたよ……」
一瞬、触れるのを躊躇ってしまうが。
唾をごくりと喉を鳴らして飲み込み、覚悟を決めてアタシは赤黒い鎖を握り締めていく。
「う……うおう⁉︎」
「どうしたアズリア?……おかしい、俺様が鎖に触れた時には何もなかったのに」
アタシが鎖に触れた途端に妙な声を出してしまい、そのままの体勢で固まってしまう。
目の前で起きた異変に、目の色を変えて飛び込もうとする魔王様を、鞘に納めたままの腰の剣で制していく。
「待ちなされ、何かが起きるやもしれませぬ。どうかリュカオーン様はご自重下さいませ!」
「アズリアにその何かが起きては遅いのだ!……離せモーゼス、これは命令だぞ!」
自分の前に出された鞘を振り払おうとする魔王様だったが。
何度も悲しげな表情で首を横に振る老執事を見て、言葉を一つ吐き捨て、祭壇へと踏み込もうとするのを思い止まる。
「……くそっ、無事でいろよアズリアっ……」
確かにアタシは鎖を握り締めたその体勢のまま、時間が停止したように固まってしまっていた。
だが、それは────鎖から魔術文字を継承するための会話の時間。
赤い魔力の線からアタシが握った手の平を通じて、身体の中に流れ込んでくる魔力。その魔力が教えてくれた、この鎖は魔術文字で出来ているモノなのだと。
だから、アタシはそれを全部受け入れた。
すると、握っていた部分からアタシの手の平へと魔法の鎖が飲み込まれていく。
幾重にも張っていた鎖が、一本。また一本とアタシの体内に吸い込まれていき、最後の一本を吸収し終えたその手の平には。
新しい魔術文字が刻まれていたのだ。
「……ふう。アタシを呼んでたのは、宝珠のほうじゃなく、魔法の鎖だったんだね」
そりゃ、魔王様やモーゼスに鎖の声が聞こえる筈がない。
この世界広しとはいえ、魔術文字を扱える人間は、もうアタシ以外残っていないのだから。魔術文字を扱える人間の気配や魔力を感じ取り、この地下の部屋へと呼び寄せたのだ。
自分を継承させる、そのために。
しかもこの魔術文字、自分を継承する条件としてとんでもない事を要求してきたのだ。
射撃武器を金輪際、使用してはいけない。
……確かにアタシはあまり弓矢みたいな射撃に使う武器を用いた記憶はない。ないが、今後いずれかの場面で射撃武器が必要となる可能性だってなくはないのだ。
だけど、アタシにはその条件を断る事が出来ない。それは、魔術文字とアタシが交わす事の出来る唯一の『誓約』だからだ。
「ははっ……これからもよろしくな、『tir 』
軍神の加護。
それが、この第10番目となる魔術文字の名前なのだ。




