19話 アズリア、呼ぶ声に導かれて
頭に響く声なのだが。どうやら、ご親切にもアタシが声の主から遠ざかるように移動すると、声を出して警告してくれるのだ。
「そういや、ふと思い出したけど。トールの奴、傭兵稼業長いくせに、幽霊とかこういった話が全然駄目なんだよねぇ」
今思い出したトールとは、ドライゼル帝国と争ったホルハイム戦役でアタシと一緒に戦った、エッケザックス傭兵団の団長なのだが。
実は、夜に一人で見張りが出来ない程に幽霊などを怖がるといった、実に困った短所があるのだ。
人によってはトールのように、不可視で発生する現象をやたらと怖がり怯える、といった話を聞いたりするのだが。アタシはそういった出来事に、あまり恐怖を感じたりはしなかったりする。
一人旅を経験していると、そんな不可解な状況に遭遇することも稀ではない。そんな時に一々怖がっていたら対処出来ず、今頃は屍を晒していただろう。
少し話が脱線してしまったが。
そんな頭の中の声に導かれるまま、謎の建物の内部をアタシは歩いていく。
玄関ホールは光源となっている窓も多く、黒を基調とした装飾ながらも、まだ明るい印象だったが。
歩を進めていくうちに徐々に窓がなく、光源の少ない物置や倉庫のような区画へと到着すると。
「あれ?……この部屋、先に進む扉も通路もないし、他の部屋にも繋がってみたいだけど?」
そこは、全くの行き止まりとなった部屋。
にもかかわらず。見渡してみても、目的となる声の主になりそうなものは何一つ見当たらない。
だが、頭の中に声は聞こえ続けている。
────コチラ、ヘ、クルノダ。
ふと、気になる事があったので。
アタシはその場で屈むと、部屋の床を拳でコツコツと叩いていくと、床に指を這わせて調べていく。
すると。
「……やっぱり、地下室の入り口があったよ。さすがはオービットの教え、だねぇ」
床に出来た僅かな隙間から指を突っ込んで、入り口を隠している床を持ち上げていくと。
この1階にある部屋から、灯りのない地下へと降っていく階段が見つかったのだ。
壁や床に仕掛けがあって、向こう側に入り口が隠されている場合がある。それを確かめる時に拳や鎚で叩くと、壁や床の厚さが違うので感触や音が違っているのだ。
というのは、凄腕の斥候だった傭兵仲間のオービットから聞いた方法なのだが。どうやら今回はその方法で上手く発見出来た。
さて、ここで一つ問題が発生する。
それは、ここより続く地下に灯りが見えなかったので、ここから先の照明をどうするか、だ。
もちろん、これが普通に旅の途中の出来事だったのたら、アタシだって角灯くらいは持ち合わせてはいる。
ところが困った事に、召喚された際にちょうどホルサ村を旅立つ準備をしていたのに。魔王領へ召喚れた時には、旅に必要な荷物……角灯や屋根布、鍋や皿などが入った袋が無くなっていたのだ。
「こういう時に、普通の魔法が使えないってのは意外に不便なんだよねぇ……」
そう。
普通の魔法が使える人間ならば、こんな時に「灯り」とでも唱えるのだろうが。
アタシはあれだけ様々な魔術文字を魔力を使い発動してはいるものの。世間一般で「魔法」と呼ばれている通常の術式で魔力を具現化する事が出来ない……不可能なのだ。
その理由は、右眼に魔術文字が宿っていることが大きく関与しているのだろうが、未だ詳細は分からず終いだ。
アタシは何か、照明として使える物がないかどうか、辺りを見回してみる。幸いにもこの部屋は倉庫となっているようで色々な物資が置いてあったので。
何とか見つけたのは、暖炉の火かき棒にボロ布、油の入った壺。
まずはボロ布を壺に入った油に浸していき、それを火かき棒に巻き付けていく。
仕上げに、アタシは自分の指に短剣で傷を付けて滲んだ血で「ken」の魔術文字を油が染みた布に描くと、勢いよく燃え上がる。
これで即席の照明器具は完成だ。
……本当に即席で作ったので、地下に降りてどれだけ火が保つのかはわからないが、少なくとも照明を持たずに地下に降りるよりは遥かにマシだろう。
────コイ、ワガモト、ヘ。
準備か出来たところで、地下に続く階段に足を一歩踏み入れた途端に、頭の中に響く声の様子が変わったのだ。
やはり、声の主はこの階段の先、地下の何処かにいるのだろう。
「言われなくても行ってやるよ。果たして、アタシを待ってるのは何なんだろうねぇ……ちょっとワクワクしてきたよ」
アタシがこれだけ楽観的なのは、そもそも魔王領と呼ばれる場所で既にその魔王様と一戦交えた以上、魔王よりも危険な存在なんてないだろう……という勝手な思い込みから、だったのだが。
地下に続く階段を一歩、また一歩進んでいくたびに、次第にワクワクした好奇心がちょっとずつ、言い様のない不安に変わっていく。
何故なら、階段の先……地下の区画から感じられる魔力の異様さを感じてしまったからだ。
それは、とても「重厚な」魔力だった。
────アズリア以外の人間がこの魔力から感じる空気を喩えるなら。
強い、弱いという魔力の強大さや質の話ではなく。まるで父親の腕に抱かれるような、何とも心地良い父性的な感覚なのだが。
残念ながらアズリアの中には、母親からも父親からも、そのような扱いを受けた記憶など無い。そのために、今感じているモノの見当がつかずに、ただ不安を増大させてしまっているのだ。
だが、足を止める事なく彼女は歩を進めた。
そして、階段を降り切ったその先にあったものは……
「灯り」
指に小さな、小さな火を発生させて照明や、火種として使用する火属性の一般魔法であり。
一般人でも魔術師に習えば、才能があるか、少し鍛錬すれば無詠唱で使えるとあって。魔法を行使する人間として基本中の基本として扱われている。




