7話 アズリア、雷神の声を聞く
アタシは魔王に敗れた……見事なまでに。
気がつけばこの身体は地面に倒れ伏していた。すぐに立ち上がろうとするが、手足に全くと言っていい程力が入らない。
「やっぱり……アタシが、魔王に勝つなんて……」
貫通された腹部から熱いモノが流れ出しているのが何とか感じ取れるが、その感覚も徐々に薄れていく。
魔王に敗北したことで、アタシはきっと魔王の花嫁として、このまま連れ去られてしまうのだろう。
魔王様からの一方的な提案だったとはいえ、納得しての戦いである以上、受け入れるのは当然の結果だし、そこに不満はないのだが。
「ごめん……ごめんよ、ハティ……」
唯一の心残りである、ハティの気持ちに応えることが出来なかった事だけを後悔し、自然と彼への謝罪の言葉を漏らしながら。
そして────アタシの視界は真っ黒に染まる。
手元すら見通すことの出来ない闇夜のように。
「……ああ……死ぬってのは、こんな感じなのか……」
アタシは、死を覚悟していた。
それから、どのくらいの時間が経ったかは見当も付かないが。
再び視界が戻っていき、身体の自由が戻ったのはよいが。そこは地面も何もない黒い空間……以前に吸血鬼の魔法で見せられた幻覚のような、そんな場所にアタシは立っていた。
「……な、何だい、この大きな魔力は?」
だが、あの時と違うのはアタシの背後からピリピリと感じる魔力の奔流。
それは、このコーデリアで魔王様と相対した時と比較しても、魔力の大きさではこちらが上なのだ。
アタシは恐る恐る、背後に振り向くと。
そこには、アタシよりも遥かに巨大な人の型をした黒い影、その頭部の眼と思われる箇所にある二つの光がこちらを見下しながら。
今度は黒い影から口と言える箇所が開き、低い声が空間へ響いてきたのだ。
「初めまして、になるかな。矮小なる人間よ」
当然だが、こんなとんでもない存在を知っている筈もなく。魔王様と対決していたのに、突然こんな空間に来てしまった事にすっかり困惑していたアタシは。
「……アンタ。一体、何者なんだい?」
と言い放ち、思わず背中に手を回して相棒である大剣を手に取ろうとするが。そこに剣は背負っていなかった。
地面に大剣を落としたのかと思い、足元に視線をやってから、初めてアタシは自分が今、身体に何も纏っていないコトに気がつく。
「ひゃああああああッ⁉︎……な、な、なな、何なんだいこ、こ、コレはああああッ!」
いくらアタシが露出に無頓着でも、さすがに見知らぬ場所で全裸に剥かれるのは抵抗がある。思わず叫び声をあげて両手で胸と股間を覆い隠しながら。
羞恥で顔を熱くしながら、アタシを全裸へひん剥いた諸悪の根源である声の主をギリッと睨むと。
声の主はこちらの感情など全く意に介さずに。
「そのような悲しい言葉を口にするな、人の子よ。つい先程、貴様は我を一度降臨させたではないか」
「……は、降臨、だと?アンタ、一体……」
「まだ理解出来ぬと見えるな、それでは……これならばどうだ」
すると、突然アタシの右手の甲に血で描いていないのにもかかわらず、一つの魔術文字が浮かび上がってくる。
その魔術文字とは────ουρανός。
ホルハイムの地下遺跡にて発見した、他の魔術文字とは明らかに種類の違う文字で。
一度は発動に成功し、身体に宿らせた凄まじい雷の魔力で、敵対していた吸血鬼を一瞬のうちに灰塵と化すほどの威力を見せるも。
その時に居合せた師匠である大樹の精霊に「二度と使うな」と約束させられた、曰く付きの魔術文字でもある。
「どうやら我が誰であるかを理解したようだな。矮小なる人の子の身分でありながら、我を宿すとは……その罪、誠に度し難い」
どうやらこの黒い影は、アタシが魔術文字として刻んだ筈のουρανόςだと主張してきたのだ。
そのουρανόςを自称する、黒い巨大な人影が動いたかと思うと、こちらへと伸びてきた右腕。
「だが、今はそれも僥倖であった。よって貴様の罪を赦そう────その身体を我に差し出すことによってな!」
向かってくる右腕の先にある手の平が開いて、アタシの身体を鷲掴みにしようとしてきたのだ。
当然ながら、アタシは胸や股間を隠すのをやめ、迫ってきた巨大な指や手の平をギリギリのところで躱していく。
今までにアタシが宿してきた魔術文字は9個だが。身体を奪おうとしてきた、などという事はこれが初めての経験だ。
これこそが、師匠がこの魔術文字を危険視した理由なのかもしれない。
「……抵抗するか人の子よ。言っておくが、貴様にも悪い話ではないのだぞ?」
は?
力ずくで身体を奪おうとしている存在が、何を言い出すのかと思えば。黒い影はなおもアタシを言い包めようと言葉を続ける。
「……あの魔王と呼ばれる獣人族に勝利しないといけないのであろう?……我を受け入れよ。さすれば勝利をくれてやろう、どうだ?」
確かに魔王様に敗北すれば、アタシは花嫁として自由な立場を喪失するだろう。
だが、黒い影に身体を奪われれば、魔王に勝利し花嫁を回避出来たとしても、アタシである自由を失ってしまう。
だから、返事は即答だった。
「お前の力なんて、借りなくても────」
「本当に、勝てると思っているのか人の子よ?」
「…………くッ」
確かに黒い影が指摘する通りなのだ。
現状ではアタシが魔王様に勝利する可能性などほぼ皆無だ、と言っていい。
そんな事は、痛い程理解していた。
────だが、アタシは。




