1話 魔王、花嫁を召喚す
アタシの身体を突如として覆い隠した光が収まっていき、ようやく徐々に視界が戻っていくと。
「なッ……こ、此処は、一体……っ?」
そこは、草がまばらに生える荒野だった。
目の前に広がる景色は、先程までいたホルサ村の建物や教会。そして一緒にいた筈のエルの姿すら見えなくなってしまっていた。
「え、エルが消えちまった……っ。あの光に包まれて、アタシは村から違う場所に飛ばされちまったってコトなのかっ?」
思いもよらない状況の変化に頭がついていけずに困惑するアタシ。
そもそも、こんな不毛な荒地がホルハイムにあったなんて、アタシは全く知らなかったから余計に困惑の度合いは深まっていく。
いや、もし先程の光が師匠が使った転移魔法と同様のものだとしたら、今この場所はホルハイムとは全く別の地点なのかもしれない。
と、そんな事を頭に思い描いていると。
「……おい、アズリアよ。いい加減、久しぶりに会った俺様の存在に気付いて反応してくれてもいい頃か、と思うんだがなあ」
と、アタシの背後から声を掛けてくる、短い銀の髪を針鼠のように真上にツンと立てた、金色の瞳をした獣人族の男。
見覚えのない姿なのだが、どうやら向こう側の態度からアタシを知っている様子なのだ。
いや、それよりも重要な事に気付いたアタシは、声を掛けてきた男から距離を離すように、真後ろへと慌てて飛び退き、背中に背負っていた大剣に手を伸ばし。
その獣人族の男へ、敵意を剥き出しにしたままアタシは言葉を投げる。
「……アタシを此処に召喚しだのは、もしかしなくても……間違いなくアンタだね?」
こうやって対峙していると。アタシが先程から肌にビリビリと感じるのは、目の前に立っている正体不明の男の身体から発せられる、もの凄い魔力の量、そして魔力の濃さだった。
正直言って、こんな濃密な魔力は師匠が精霊界で鍛えてくれていた時ですら、一度も感じたことはなかった。
何よりも気に食わないのは、アタシが警戒する態度を隠すことなく露わにして武器に手をかけているのに。
目の前の獣人族の男はと言うと、そんなアタシの敵対心などまるで気にも留めず、ヘラヘラと軽薄そうな笑みを絶やさずにいた態度だったということだ。
「おいおい、本当に忘れちまったってのか……それは傷付くなあ。わざわざこの俺様が砂漠にまで出向いて人間の女に求婚までしたんだけどな」
「……アタシに求婚?……アンタ、一体何を言ってるんだか────あ」
その言葉を聞いて、アタシは思い出した。
ホルハイムへと渡るためにスカイア山脈越えのため、砂漠の国の央都アルマナを出発した時のことを。
その時は、魔族の大規模な侵攻を防いだ達成感と、初めてハティに告白をされた記憶ですっかり忘れていたが。
確かもう一人、アタシの望まぬ来客がいた。
それが目の前の獣人族。
「……もしかして、アンタ……西の、魔王?」
砂漠の国へ大侵攻を仕掛けてきた魔族たちを本来統べる存在であり。ラグシア大陸の遥か西に位置するコーデリア島にあると聞く、人間の世界から隔離された獣人族らの集落の王にして、ラグシア大陸外に存在する世界の果ての魔王領に住まう四天魔王の一人。
それこそが、西の魔王リュカオーンなのだ。
その魔王という男が、旅立とうとするアタシの前に突如として現れたかと思えば。その魔王に「俺の嫁になれ」と突然の求婚をしてきたのだが。
勿論、ハティに告白をされた後にそんなふざけた話に首を縦に頷く筈もなく。その場でアタシはキッパリと断り、この与太話は完結したと思っていたのだが。
「どうやら思い出したようだがな。ならアズリアよ、この俺様が去り際に何て言ったのか、それも忘れたわけではないだろう?」
「……ああ、思い出したよ、確か」
今ならばハッキリと思い出すことが出来る。
そう、この魔王はこう言葉を残していたのだ。
────今度お前のところに来た時は嫁として強制的に連れ帰る。嫌だと言うなら、次に遭う時まで俺を倒せるだけの実力を身に付けてみろ────と。
「なら、返事を聞かせて貰おうかアズリア。大人しく俺様の花嫁となるか、それとも……魔王と呼ばれるこの俺様に懸命に抗ってみせるか?」
そう言いながら、この魔王はまさか人間ごときが自分に牙を剥くとは微塵も思っていないのか。
無邪気な微笑みを見せながら、アタシへと手を差し伸べてくるのだった。
「────さあ、手を取れよ俺様の花嫁」
⬛︎獣人族
様々な動物の外見的な特徴を持った人型の種族の総称となっていて、基礎体力や身体能力は人間よりも総じて高く、外見的特徴を引き継いだ動物種の特殊能力を有していることが多い。
獣人族の大半は、犬人族や猫人族、兎人族や狐人族などあまり戦闘的でない種族なのだが。
中には狼人族や豹人族、熊人族や猪人族、稀有な種族として虎人族や獅子人族、蜘蛛人族などが存在している。
ちなみに竜人族は、正確には獣人族とは全く違う種族であり。このコーデリア魔王領に竜人は存在しない。
個体数が少ないことと、一部の国家では存在が認められているものの、ラグシア大陸の大半の国家が人間重視の政策から獣人族への差別が公認化されていることもあり、人間との関係は基本的に排他的もしくは敵対的である。
そのため、大陸に住んでいた獣人族の9割程は、西の辺境である魔王領とされるコーネリア島へと流れ、この地に獣人族による獣人族の王国を築き上げたのだ。
今、獣人族の王国となったコーネリアを統べる王こそ、西の魔王であるリュカオーンなのだ。




