閑話① 咲き誇る赤薔薇、困惑の白薔薇
ここは、紅薔薇公領。
その首都ドラッヘンブルグにある屋敷の一室。
「……この度は、私があの馬鹿老人どもを御せなかったせいで、帝国と我らが赤薔薇に泥を塗る結果になってしまい……しかも、ジーク様の手を煩わせる真似までも……」
部屋一面に敷き詰められた赤い豪華な絨毯の上に額を突き、頭を下げて謝罪の言葉を繰り返している、敗戦の傷が癒えたばかりのロゼリア将軍と。
薄く透けて見える窓幕を一枚挟んだその向こうに、椅子へ腰掛けながら、その様子を楽しんでいる一人の優雅な貴族風の男性。
ロゼリア将軍の謝罪はまだ続けられていた。
「この失態、我が生命一つでは償い切れるモノではありませんが、是非とも……部下には責任を負わせないでいただきたく……どうか、寛大な処置をお願いしたく存じます、どうか、どうか……」
絨毯に何度を額を擦り付けながら、何とか自分一人の生命でこの敗戦の責任を取ろうとしていた。
だが、窓幕の向こう側の人物の正体である紅薔薇公ジークその人は、彼女の謝罪と懇願に対して意外な返答をする。
「……敗戦のことならば気にするな。寧ろこの度の戦で皇帝陛下の周囲をウロチョロと五月蠅かった老人どもがまとめて消えてくれて清々(せいせい)したわ」
窓幕の向こうで、紅薔薇公が酒瓶の栓を抜く音が響くと、いつの間にかその手に握っていた銀杯へと注がれていった。
「そういう意味ではロゼリア、君には褒美の一つでも渡したい気分なのだよ」
「で、ですがっ……それでは敗戦の責任はっ?」
「ああ、それならバイロン侯爵はじめ帝国五将軍の持つ領土と地位、財産を没収することで皇帝陛下とは話は付いている」
すると。
薄く透けた窓幕の向こう側の椅子に座していたジークが立ち上がり、なんと……窓幕を捲り、伏せたままのロゼリアへと歩み寄って、彼女の肩に手を置いていく。
「だから決してロゼリア、君や君の、というよりも私の部下たちに責任を取れという話は飛んでくることはない。安心していいよ」
その男性とは思えない澄んだ声を聞いて、ロゼリアは顔を上げることなく、自分の主人の慈悲深さと思慮深さに感涙し、絨毯に涙の滲みが出来上がっていく。
「……あ、ありがとう、ございます我が主人よ、この温情は……いずれ、必ず、我が腕にて返すと誓います……」
こうしてロゼリア将軍との謁見が終了し。
ジーク以外誰もいない筈の部屋に、何処からともなく老齢の男性の声が響いてきた。
『聞けば聞くほどよい部下を見つけだのだな、紅蓮公……いや、ジーケフロイよ』
その声の相手とは紛れもなく、ドライゼル現皇帝その人だった。
どうやら声は、酒を注がれた銀杯の置かれた卓に一緒においてある黒い結晶の魔導具から発せられていた。
「ふふ、その名で私を呼んで死なずに済むのはこの国ではあなただけだろうな……皇帝陛下よ」
『まあ許せよジーケフロイ、儂とお前との関係ではないか。あの才気、そして美貌……出来れば我が配下に欲しいものよな、あの焔将軍を……』
「おっと、興味深いのは結構だが……アレは私のものだと5年前から決めていたのだからな。手を出すというのであれば、さしもの皇帝陛下といっても……容赦出来る保証はないぞ?」
だが、皇帝の話題がロゼリア将軍への興味に傾いていくにつれ、最初は好機嫌だった紅薔薇公は徐々に苛立ちを見せる。いよいよとなると、皇帝相手に殺気を発するのも隠さないほどに。
それ程までに紅薔薇公もロゼリア将軍には執着していたのだった。
「いやいや、立場を忘れて思わず昔に戻ってしまったようだ、許せよ。まあ……欲深いからこそのこの帝国の発展ではあるのだが、あまり欲深過ぎるのも我が身を滅ぼす要因になるぞ?」
ひとまず銀杯の酒をあおり、一息入れることで冷静さを取り戻していく。
『だが、この戦争に勝利していれば、今頃儂の手にはホルハイム王の所持していた雷の魔剣が握られていた筈だったのだ……それだけが儂は心残りなのだ』
「むぅ、それは済まないことをしたな皇帝よ……まさかあの王があれ程の切り札を隠し持っていたとはな……何より私自身がホルハイムを侮っていたのは間違いないからな」
皇帝が魔導具越しに、何故かやたらと御執着だった、ホルハイム王の所有する雷の魔剣が入手出来なかった悔しさを語りだすのだった。
そう。
この戦争の目的とは、雷の魔剣の入手だった。
老人どもに戦争資金を出させる為に名目として「ホルハイムの領地」や「黄金の鉱山」などと並べてみたが、そんなモノに興味などないのだ。
「いや、そう恨みがましい事は言わないでくれ……これでも、あの敗戦で有能な配下を何人も失ったのだ。私は私なりに堪えているのだからな……本当だぞ?」
先のホルハイム戦役での敗戦を皇帝に話題にあげられると、苦い表情を悟らせまいと赤葡萄酒を口に注ぎ込んでいく。
まあ、ただ敗戦を認めるのは癪だから。
直属の配下で、性格の歪みきっていたロザーリオには「死ぬと吸血鬼と化す」呪詛を埋めておいた。今頃は彼の望み通りにホルハイム内で快楽のままに人の生命を奪い、魂を喰らっていることだろう。
「確かに……私自ら陣頭に立っていれば、あと一月、いや半月は早くこちらの勝利で戦争を終結させられたのだがな……まあ、それを言っても仕方あるまいて」
『ふふ、確かにな。だが、今お主の正体を知られる訳にはいくまい?』
ドライゼル帝国の帝国の三薔薇と言われる三大貴族の一人・紅薔薇公は、普段は男装している為に男性名てある「ジーク」もしくは「紅蓮公」と呼ばれているが。
その正体とは、初代皇帝から帝国に所属してきた女吸血鬼の真祖種なのだ。
『それではな。久々に話が出来て楽しかったぞ、ジーケフロイよ────……』
黒い結晶の輝きが失せ、皇帝の声はそれ以降流れることはなかった。
「──おや、赤葡萄酒が空になってしまったか」
銀杯に注いだ液体を飲み干してしまい、新しく酒を注ぎ入れようとすると瓶が空になっていることに気づき。
紅薔薇公は、手元の硝子製の手持ち鐘を鳴らして、物言わぬ隷属種を呼び出すと、飲料用の血の補充を行わせるのだった。
────この対談の、後日。
砂漠の国から帰国したばかりの白薔薇姫ベルローゼに届いたのは、帝国がホルハイムとの戦争に敗北した情報と。
帝都にて皇帝陛下との謁見の勅命だったのです。
「皇帝陛下から……もしかしたら、私がかの国との援軍要請を黙殺したから、と……敗戦の責任を取らされるのでしょうか……」
あの夜、突然宿に現れて地に額を付けてきたあの女の懇願に不覚にも耳を傾けてしまい。
一度は太陽王に突き付けた帝国からの援軍要請を、独断で取り下げたばかりか、王都アルマナへ侵攻してきた高位魔族の撃退に手を貸してしまったのですから。
間違いなく、皇帝陛下への背信行為でしょう。
しかし、援軍要請などなくともあれだけ優勢に進めていた、と報告では聞いていたホルハイムとの戦争が、何らかの誤算が働き、結果的に敗戦となってしまったとは。
「────白薔薇公ベルローゼよ、前に」
数多くの陳情や謁見をこなす皇帝陛下の謁見の間では、いよいよ自分の謁見の順序となり、宰相が名前を読み上げていきます。
皇帝陛下に謁見をするのは、白薔薇公爵家の当主となった時以来となりますが。
今は皇帝陛下の御前に出る緊張よりも、敗戦の責任を追及されるかもしれないという恐怖で、まともに顔を上げることが出来ませんでした。
そんな私に、皇帝陛下自らが声を掛けて下さったのです。
「よい、顔を上げよ白薔薇公よ。そなたを呼んだのは決して敗戦の責を問うわけでも罰を与えるためでもない」
それを聞いて、思わず顔を上げました。
ならば私は何故、皇帝陛下の御前に呼び出されたのでしょうか。
思い付く限りの理由を考えてみても、何一つ出てこなかったためか頭が真っ白になりながら、続く陛下の言葉を待っていたのです。
「実はこの度の戦争で我が帝国が敗戦を喫したその張本人の女傭兵『漆黒の鴉』というのが……どうやら帝国の、しかもそなたの治める白薔薇領の出身だと言うのだ」
それを聞いて私は胸が痛くなりました。
「漆黒の鴉」という名には聞き覚えがありませんでしたが、陛下が話している女傭兵が誰を指しているのかはすぐに理解出来ました。
「そこで白薔薇公ベルローゼよ。そなたには、その女傭兵アズリアを生きたまま捕らえ、我が前に連行する事を命じたいのだが……引き受けてくれるか?」
動揺する私を見て、意地の悪い笑みを浮かべる皇帝陛下。
そんな陛下の右眼には、何故かあの女と同じ光と、妙な魔力を秘めた文字を見たような……気がしたのです。
陛下の持つ権威なのか。
それとも右眼に睨まれたからなのか。
この時の私は、ただ真っ白になった頭を下げ。皇帝陛下の命に従うことしか出来なかったのです。




