61話 アズリア、黒い沼に沈んだ先で
ロザーリオは突然、着ていた服の胸元をはだけて見せる。その胸板には斜めに斬り裂かれた傷痕がくっきりと残っていた。
「この傷は……手前ぇにつけられたこの屈辱の傷痕だけは、吸血鬼として蘇っても残しておいてある……何故だかわかるか?」
そんな吸血鬼の問いに、アタシは口から唾を地面に吐き捨てながら答えていく。
「ぺッ!……知るか、そんなモン」
「その顔だっっ!あの時もそうだった!この俺様と生命のやり取りをしようってその時に……っ、まるで自分が勝利するのを疑ってないその余裕の表情っっ……」
胸にあるアタシが付けた傷痕を掻きむしりながら、アタシを殺意が篭もった視線で睨みつけてくるロザーリオ。
「そのニヤけた顔を俺様の曲刀で女に見えなくなるまで斬り刻んでやるぜ……漆黒の鴉」
抜き身となった異国の曲刀の凶々しい漆黒の刀身に舌を這わせながら、歪んだ、だが明確な殺意をアタシへ言葉にしてぶつけてくるが。
アタシはただ恨み言を聞いているつもりはなかった。
台詞を言い終えたロザーリオの頭目掛けて、挨拶代わりとばかりに、片手で握った大剣を振り抜いていく。
顔の前に刀身があったことで反応が間に合ったらしく、何とかアタシの一撃を受け止めていくが。
攻撃の衝撃までは殺せなかったようで、背後へと吹き飛ばされていく。
「……はッ、恨み言に酔いしれてアタシと殺し合いをしてるの忘れちまったかい?」
吹き飛んだ吸血鬼を追撃するために、一度腰を落として体勢を低く構え、大剣の切先をロザーリオへと向けると。
地面を蹴り上げて、体重を乗せた渾身の突きを繰り出していく。
「チッ……吸血鬼の膂力でも押し負けるとか、確かに想像以上の化け物だよ手前ぇはよお!────だがなぁ……」
背後に吹き飛びながらも体勢を立て直したロザーリオは、漆黒の曲刀を両手で構えると、腹の辺りで握ったその刀身を緩やかに円を描くように旋回していき。
「俺様に力押しは通用しねぇっ!……吸血鬼になって目覚めたこの能力、受けてみやが……れえええぇぇっ!」
奴の両の瞳が怪しく、赤く、輝いていくと。
何故か、目の前のロザーリオや地面がぐにゃりと歪んでいく感覚。
するといつの間にか、アタシは足元に広がっていた黒い沼に足が沈んでいき。
踠き、足掻く間もなく足から腰へ、腰から胸へと黒い地面に身体が沈むのは止まらずに、最後に頭まで飲み込まれていくと同時に視界が闇に包まれていき。
アタシの意識はプツリと一度途切れてしまう。
────そして意識が戻ると。
アタシの視界には、戦っていた筈の吸血鬼も、教会も、エルや師匠の姿さえ何処にも見当たらなかった。
一面に広がっているのは、ただどす黒い空間。
「確か、アタシはロザーリオと戦ってた最中だったよなぁ……じゃあ、コレは……目眩しか幻影魔法か何かか……?」
アタシが所持する魔術文字にも、相手に刻むことが出来れば同じように視界を闇で覆う効果のある「dagaz」があるが。
だとすれば、この闇に紛れてロザーリオの攻撃が放たれる筈だ。アタシは大剣を構え……と意識を手にやると。
初めてアタシは、常に肌身離さず持ち歩いている相棒の、クロイツ鋼製の巨大な幅広剣がない事に気が付く。
いや、大剣だけではない。
アタシの今の格好はというと、左半身に装着している同じくクロイツ鋼製の部分鎧すら外されていたのだ。
「な、何が一体……どうなってるんだい?アタシは確かにエル達と一緒に村に向かってて……」
すると、何もなかった一面黒い視界に、突如として人の影が現れたのだ。しかも、それは吸血鬼でもなければエルでも師匠でも、ましてや村人の誰でもなかった。
「……久しぶりだね、アズ」
そこに優しい微笑みとともに立っていた人物とは、アタシのかつての想い人だった男であるランディその人だったのだ。
それは紛れも無く、15歳に帝国の軍学校に入隊した時の記憶の中にあるランディの姿と声のままで。
突然の出来事に一瞬だけ顔が緩んでしまうが。
アタシはそんな自分を悔いるように唇を噛みながら、拳をギュッと握り込みながら目の前の想い人だった人物を警戒し、拳を構えていく。
「……アンタは一体、誰なんだい?」
殺気を込めた視線を向けて、目の前のランディのようなモノにアタシは問い掛けていく。
そもそもコレが彼の筈がない。
何故なら、ランディは既に死んでいるからだ。




