26話 アズリア、精霊界での最終試練
──それからのアタシはというと。
人通りの少ない早朝に精霊樹の根元にある入り口から精霊界に行き。ドリアードが言う「器」を大きくするために様々な試練を与えられ、それを達成する、という日課をひたすらに繰り返していた。
一応ながら、今はランドルに客人として招かれている以上、離れとはいえ何日も留守にするわけにはいかない。アタシは自分が抱える事情をドリアードに説明すると、夕刻の鐘が鳴る頃には街に帰してくれる算段となった。
それでも、おおよそ精霊界には丸々五日分の時間滞在することとなる。
ここに来る時は大剣も甲冑も完全装備。おかげで精霊樹に行くまでが大変だったりする。
特に、数日前の街の散策で何故か慕われる羽目になったシェーラからは、連日のように一緒に出掛けたいというお誘いもあったが。
「アズリアお姉さま、今日は何処へお出掛けですか?」
「い、いやシェーラ、ちょっと……ねぇ」
さすがにシェーラを精霊界に連れて行く訳にもいくまい。
大樹の精霊が「いいわよ」と言っても、シェーラにはあんな過酷な特訓の内容を見せるわけにはいかないからだ。
何とか彼女の追及を誤魔化して振り切り、アタシは精霊界の入り口のある西地区の大樹へと向かっていたが。
振り切る時のシェーラの顔を思い出すと、今度は髪飾りより高価な物を贈ってやろうと思うのだった。
早朝から夕刻、それを合計五日間だったが。
体感ではおよそ二〇日にも感じられた、大樹の精霊が課した精霊界での試練の内容のほぼ全部を達成したアタシを見て。
満足げな笑みを浮かべていた大樹の精霊。
「ふふ、最初に見た時よりも随分と立派になったじゃない、アズリア?」
「ま……まあねぇ……あの頃のアタシじゃ、とてもじゃないけど、与えられた試練に打ち勝つのは不可能だったんじゃないかい」
顔見せだった初日以降はもう「ドリアードが放つ精霊魔法から一定時間逃げ切る」だの「精霊界で一番濃い魔力溜まりで右眼の魔術文字を過剰発動させずに腕立て伏せ一万回」だとか、正直いつ死んでもおかしくない難易度での試練ばかりだった。
元々体格に恵まれ、大柄な体型のアタシは見た目こそほとんど変化はなかったが。
魔術文字を扱うための魔力の容量や、右眼の魔術文字を発動させた後の代償たる筋肉痛。それに発動する予備動作の短縮など……挙げればキリがない程の強化を施されていた。
「それじゃ最後は私の護衛と戦ってもらうわよ。ちなみにアズリアは本気出して私が終わりと言うまで無事に乗り切ること。いい?」
と、奥からのっそりと現れたのは人を遥かに超える巨体。先日鉱山で戦った黄金蜥蜴によく似ているが、多分こちらは本物の竜属。
あれはドリアードを護衛している「大樹竜」と呼ばれる、人間の世界で見かける竜属とはまた別の種族なのだという。
「アタシもまだ死にたくないからね。言われなくても本気でいかせてもらうよッ!」
当然ながら、強さや脅威も竜属とは比較にならない……と説明される。
「──我に巨人の腕と翼を。wunjo!」
右眼の魔術文字を解放して溢れてくる魔力を全身の筋肉に循環させ、背丈ほどある大剣を握り込んで突進していくと。
精霊竜まで全力で駆け出していき剣を振り上げ、突進の勢いを殺すことなく振りかぶる遠心力と突進の勢いを大剣に乗せて精霊竜の足元狙い渾身の一撃を放つアタシ。
その一撃は、おそらく短期間ながら大樹の精霊の鍛錬を受けたアタシが繰り出せる、現時点で出来る最大の攻撃だった。
「仕留められないにしたって、少しは効いただろッ!」
だが、大樹竜の表面、樹皮に似た鱗は。アタシの渾身の一撃すら鈍い音を響かせ、威力を完全に弾き返してしまう。
「は? う、嘘、だろッ……」
アタシが出来たのは、僅かに鱗に傷を付けた程度。傷を負わせるどころか、鱗一枚を砕く事すら出来なかったのだ。
これにはアタシも落胆を隠し切れない。
だが、有効打になり得なかった一撃は同時に。大樹竜との戦闘の開始の合図となってしまった。
相手となる竜に、気落ちしたこちらを待つ道理など微塵もない。
巨大な体格の大樹竜は、前脚を振り上げ。巨体に見合わぬ俊敏な爪撃をアタシ目掛けて放ってきた。
「頭を使いなさいアズリア。普通に戦ったら勝てない相手をわざわざぶつけてるのよ。ほら、竜の攻撃を凌いでみなさい」
「く、くそッ……!」
有効打を打てなかったアズリアは、一旦横に飛び退き距離を取ろうと試みる──が。
竜が爪を振るうと同時に巻き起こる風圧の刃が、爪撃を避けた筈のアタシの動きを追尾して襲いかかり。
部分鎧に守られていない右肩を切り裂かれ、真っ赤な血を地面に散らしていく。
「が、ッ⁉︎ よ、避けたハズなのに……衝撃だけでこの威力かよッッ!」
何とか致命傷こそ避けたが、アタシからの攻撃はほとんどと言ってよい程に通用せず。
逆にあちらの攻撃は避けるのが困難極まる。
こんな戦況が何度か繰り返されれば、大樹の精霊が口にした時間まで持ち堪えるのは到底無理な話だ。
「考えろ……考えろアタシ……何か、何かまだ出来ることはある。ただ無茶な相手をぶつけてくる師匠じゃない。今、アタシが今出来ること……」
もう筋力増強の効果を持つ「wunjo」の魔術文字は最大限に効力を発揮している。あと使える手持ちの魔術文字はと言えば。
火を生み出す「ken」と。
自身を闇で包む「dagaz」のみ。
「うん? 待てよ……もしかしたら……?」
石に魔術文字を刻めば石が発火する。
自分の身体に魔術文字を刻めば闇に包まれる。
「なら……目の前の相手に魔術文字を描いたら、果たしてどうなる?」
アタシは一人旅だったために、そんな事を試す相手がいなくて検証する機会などなかったが。
幸いにも肩口の傷から流れる血で接敵さえ出来れば血文字を描くくらいは何とか出来そうだ。
あとは……駄目で元々、試してみる価値は、ある。
一方で。
「ふふっ、何か思いついたみたいね」
大樹竜との戦闘場所から離れた位置にいた大樹の精霊は、腕を組みながらアタシを観察し続けていた。
「そうよ、ルーン魔術は可能性の魔術。術者の血を触媒とし、使いこなすのは至難の業……それ故に誰もが簡単に使える一般魔法にその座をとって変えられた」
魔術文字は、発動の手順が面倒な上に。効果も一般的に使われる魔法と比較し、汎用性に欠ける。
だからこそ大樹の精霊が言ったように、一般的に「魔法」と呼ばれる現象は、大樹の精霊ら精霊の力を借り受ける通常魔法に立場を奪われ。魔術文字は長い歴史の中に埋もれてしまう事となった。
アタシがこうして魔術文字を宿して誕生するまでは。
「でも、逆に言えばその用途は術者の魔力と想像力でいくらでも応用が効く。見せて頂戴、アズリア──貴女が開く魔術文字の可能性を」
大樹の精霊は、アタシがこれから実行しようとしていた行動を予想しながら。
口角を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべていた。
「そして私に思わせて──精霊界にまで案内し、さらなる力を与える手を差し伸べた自分の決断は間違っていなかった、と」




