52話 エル、大樹の精霊と語らう
今回はエル視点での話です。
あの後、明日の早朝に大樹の精霊がホルサ村の付近にまで、わたしとアズリアを運んでくれるらしい。
遠くの距離に人間を転送する魔法なんて聖王国にいた時はおろか、東の魔導王国ゴルダですらそんな魔法の使い手の噂を聞いたこともないが。当の精霊が出来るというのだから、本当に可能なのだろう。
わたしは吸血鬼に急襲され負傷したリュゼを治療するため、信仰の違うここヴァルナ大聖堂の一角を借り受ける許可を貰い。
簡素ながら寝床のある個室で、睡眠を取るために寝転がっていたのだが。
明日はアズリアと同行して村へ帰る。
久しぶりに帰る村と、我が家同然の教会。
脳裏に色々と思い浮かんできて、一向に寝付くことが出来なかった。
「……教会の皆んなは、ちゃんと食事出来ているのかな。まあ、村長もああ言って送り出してくれたし、ザックはわたしよりしっかり者だから大丈夫だとは思うけど……」
思えばこんなに教会を離れるなんてことはなかった。日を跨いで教会を留守にするのは、子供たちと作った麦酒を販売先の付近の街に搬入するために、村の大人らと出掛けた時くらいだ。
寧ろ、普段の生活が出来ているかは心配ではない。より心配なのは吸血鬼らが何かの拍子に村を襲っていないか、だ。
王都にアズリアと一緒に来た時にわたしたちが遭遇した吸血鬼は、隷属種だけあってか簡単に倒すことが出来ていた。
なのに昨晩、王城にまで侵入してきた吸血鬼どもは様子が違った。その殆どが先に遭遇した弱い隷属種ではなく一段階強力な従属種だった。
しかも……ロザーリオを名乗る吸血鬼は従属種でなく、さらに強力な上位種だった。
上位種とは帝国との戦争の最中にアズリアと一緒に交戦したが、あの時はアズリアの剣とわたしの神聖魔法の二人掛かりでようやく滅ぼせた相手だったと記憶している。
しかも。吸血鬼の強さは生前の能力が大きく関わってくる。となれば、帝国で将軍位まで得ていた人間が吸血鬼、しかも上位の種になったらどれ程の強さなのか。
その答えは、リュゼとノルディアという二人の精鋭を簡単に蹴散らして、妖血花を拉致していった時点で察しが付いているのだ。
勝てるのだろうか────あの、化け物に。
考えれば考えるほど、頭が冴えてきてしまい睡眠を取る処ではなくなってしまっていた。
わたしは寝床から立ち上がると、身体を冷やさないように一枚布を羽織ってから個室を出て、大聖堂内の礼拝室へと歩いていくと。
「あら?……あなたは確か……エル、とあの娘が言っていた人間ね」
礼拝堂には、先客が立っていた。
緑色の長い髪をなびかせた可憐な少女の姿をした、大樹の精霊その人だ。
「……ど、どうも、精霊様……さ、先程はあの二人の傷を癒やして下さり、本当に感謝しております。精霊様がいなかったらあの二人は助かったかどうか
実は、リュゼとノルディアが吸血鬼から受けた傷は決して軽いものではなかった。リュゼは胴体に受けた斬撃が臓物を傷付けていたし。ノルディアは右腕を切断されていた。
正直言って、わたしやユメリアの治癒魔法では損失した身体の再生を諦め、二人の生命を維持するのが限界だった。
そこに突然現れたのが大樹の精霊だった。
彼女の治癒魔法によって二人の傷はみるみる塞がり、ノルディアの右腕もいつの間にか元通りに接続されていた。
その二人の回復ぶりは、先程アズリアに同行を願い出た通りであった。
「勘違いしないで欲しいけど、私があの二人の人間を癒したのはあの娘との子を護ろうとしたからで、決してあなたの為ではないわ」
「そ、そうですか……申し訳ありません精霊様」
本来なら両手を上げて歓迎しないといけない筈なのだが……
何故かこの精霊、治療していた時こそ普通に接してくれていたのだが。アズリアが姿を見せてから、しきりにわたしへと敵意……というほど明確でないにしろ好意的ではない視線を向けてくるのだ。
先程、あの場にいた全員が解散する時も。
同行する相手にわたしを選んでくれたアズリアの手を握り返していたのを、この大樹の精霊はわたしを睨み付けて無理やり引き離してきたのだから。
「……ねえ、あなた。エル、と言ったかしら」
「な、何でしょうか……精霊様?」
突然、大樹の精霊のほうからわたしに話し掛けられると、引き離された時の睨み顔を思い出してしまい、恐縮して声が裏返ってしまった。
そんなわたしの態度を見たからなのか、目の前の精霊が突然頭を軽く下げてきたのだ。
「あなたに必要以上に攻撃的に接してしまって、その……悪かったわ。あの娘が私以外の人間と仲良くしているのを見たら、どうしても我慢出来なくなってしまったのよ」
頭を上げた精霊は顔を真っ赤にしながら、わたしの視線から避けるように顔を逸らしていた。
その目の前の精霊の姿と態度は、教会で悪戯がバレた時に意固地になった男の子らが叱られた後に謝る態度そのものだった。
その態度からわたしは気づいてしまった。
ああ、そうか。
この精霊も、アズリアのことが好きなんだ。
今までわたしは「精霊」というものを「人智を超えた存在」だと思っていたが、その思い込みが目の前の精霊の一挙一動で氷解していく。
「いえ、精霊様の気持ち……アズリアに惚れ込む気持ち、凄く良くわかります。アズリアは……わたしとの約束を守ってくれたんです……生命を何度も張ってまで」
「あの娘らしいわね。で、あなたとアズリアが何を約束したのか……聞いてもいいかしら?」
わたしはしっかりと精霊の眼を見て答える。先程までのような、目の前の大樹の精霊を畏れて怯む気持ちは、心の中から既に消えていた。
「アズリアは……単身で帝国軍に立ち向かい、戦争を止めてくれたんです。だからわたしは……その恩義に報いるために一生を賭けて彼女に尽くそうと、でも……でもわたし……」
言葉が続かない。
別に恩義があるからだけじゃない。アズリアと一緒にいた日々は確かに色々な事件に巻き込まれもしたし、大変な出来事もあった。
でも、楽しかった。
胸が高鳴っていた。
こんなに気持ちが高揚したのは、大教会から逃げ出して初めて外の世界に触れた時以来だ。
だが。
わたしには待っている村の人たちや、教会の子供らがいる。アズリアと行動を共にするということは、村人や子供らとの生活を捨てる事を意味する。
そう思うと言葉を続けることが出来なかった。
言葉に詰まるわたしの頭に、そっと優しい感触。気付くと、大樹の精霊がわたしの横に立って頭を撫でてくれていたのだ。
「ねえエル。あの娘が約束を守ったのは誰のため?……それは決して、あなたに犠牲や献身を強いるものではないの。だから……」
大樹の精霊が初めて、わたしに向けての優しい笑顔を見せながら、言葉を続ける。
「あなたはあなたの道を生きなさい。あの娘は私があなたの分まで見守ってあげるから」




