42話 アズリア、水の魔術文字を使う
思った通り、いやそれ以上の効果だった。
「lagu」の魔術文字を刻んだ腕を肌を焼く湖水に沈めてみると、水中に浸した右手が焼かれることはなく。
しかも、沈めた部分の湖水が濁った茶色から無色透明に変わっていたのだ。
「おおっ、水の精霊から授かった魔術文字だから何とかなるかな、と思いつきでやってみたけど……こりゃ想定以上の効果だねぇ、うん」
これならば。アタシ自身の身体に魔術文字を刻めば、この茶色に澱んだ地底湖の底を探索することが可能かもしれない。
いや、そもそも地底湖の水がここまで澱んでしまっているのが果たして自然な現象なのか、それすら怪しいところだ。
スカイア山嶺にて、凍結する刻の魔術文字が暴走して有翼族の王子を巻き込んで氷壁を生み出していた例もある。
「それじゃ……早速、準備しないといけないねぇ。水に潜るなら鎧は脱いでいかないと、さすがにアタシでも浮かんでこれないからね……」
普通の鉄製の鎧なら何とか装着したまま泳ぐことはアタシには可能なのだが。残念ながらこの部分鎧は鉄より格段に重いクロイツ鋼で出来ている。
その鎧を装着した状態で泳ぎきるのは、例えアタシでも……筋力増強の魔術文字を発動しない限りは不可能だ。
騎士らによって厳重に閉鎖されている地下遺跡だ。誰が来て荷物や外した鎧甲冑を盗まれる訳ではないが、念の為に螺旋階段があった建物の影に、荷物と鎧を隠しておいて。
荷物から麻縄を取り出して、そこいらの露出している岩に括り付け固定し、反対側には拾った石を結び重りにして、湖へと沈めていった。
アタシはその麻縄を伝って、同じくクロイツ鋼製の大剣を握りながら湖水へと身体を沈めていく。
「うひゃああっ、冷てっ⁉︎……こ、コイツは……あ、あまり長い時間を探索にかけてられないみたいだねぇ……ひゃあっ!」
右手を浸した時にはあまり気にしなかったが。湖水のあまりの冷たさに一瞬だけ湖底の探索を諦めかけたが、覚悟を決めて冷たい湖水に入っていき。
重量のある大剣が重石代わりとなり、身体を沈めてすぐに湖底へと足が付く。どうやらこの位置での湖の深さはアタシがもう一人、肩に乗ってようやく顔が湖面に出せるくらい、だ。
「(ほへぇ……魔術文字の効果で周りの水が綺麗になってるから、なるほど……湖の底は真ん中が深くなってるんだねぇ)」
先程、右手を浸した時には手の周囲の湖水が無色透明に変わった程度だったが。「lagu」の魔術文字の浄水作用の範囲は魔力によって拡大するのか周囲の澱みや濁りは綺麗に晴れ、今のアタシの視界はかなり先の距離まで見通せるまでになっていた。
おかげで、今立っているのが湖の端で。湖底の中央部に行くにつれてすり鉢状に深くなっているのが判別出来た。
「(ん?……一番深い場所に見えるアレは何だ?)」
目を凝らしてみると、すり鉢の底になっている場所に、人間が入れるような開けた入り口のある建造物がアタシの視界に映り込んできた。
早速、その建造物へと近づこうと水中で身体を動かしてみると。驚くべきことに水が纏わりついて動きが遅くなる事がなく、陸にいる時と同じように身体が動くのだ。
それに一番の驚きは……水中にもかかわらず水を飲むことなく、地上と同じく息が出来るのだ。
「(まったく……この魔術文字にこんな効果があるなんてね。こりゃ、今度水の精霊に会ったら我儘の一つくらいは聞いてあげないといけないねぇ……)」
身体を焼く毒の水も、水中での動き辛さも、そして水の中での息継ぎもこの魔術文字の効果で何一つ問題ではなくなってしまった。
唯一の問題は、湖水のあまりの冷たさによって身体が徐々に凍えてくる事だけだ。
なのでアタシは冷たさで身体が動かなくなる前に、急いで湖底を走って視界に映った建造物へと向かい、開けた入り口から建造物の中へと何の障害もなく到着する事が出来た。
「ぷっはあ!……ふぅ、ううう……この地底湖の水、つ、冷たすぎだろオイッ……」
どうやら建造物の内部には浸水していない箇所があるようなので、ようやくアタシは水面から顔を出す。
水から上がると一気に寒さ冷たさが身体を襲ってきて、ガチガチと歯を鳴らしながら濡れた身体を引きずって、建造物の内部を探索し始める。
「ふぅ……と、ともかく中に入ったまではイイけど……湖の底にあるのに、空気があるなんて、こりゃもしかして大当たりなのかもしれないねぇ」
内部は複雑な構造ではなく、ただただ一本道になっている通路を先へ先へと歩いていくだけだった。
何しろこの建造物の内部は光が届かない湖底だというのに、建造物そのものがぼんやりと光輝いているのか、視界が遮られるという事はなかった。
途中、通路の両脇には何かの壁画がびっしりと描かれていたが。螺旋階段のところにあった壁画の魔神らしきものについて、色々と古代文字で書かれているのを見ると。
本当にここには魔神に関する魔術文字が隠されているのかもしれない、という確信に近い直感を感じた……ちょうどその時。
「おっ、この通路……どうやらここで終わりみたいだね。と、いうことは……ん?この壁画の文字……ココだけ古代文字じゃない?」
そう。壁に書かれた魔神の詳細を記述してあった古代文字だが、一つだけ違和感を覚えた文字にアタシの指が触れると。
その文字が赤く輝いてアタシの魔力に反応し。
そして────壁に刻まれていた文字が、アタシの右眼へと吸い込まれるように消えていった。
その右眼に浮かぶのは「yr」の魔術文字。
イチイの木と防御、死と再生を司る魔術文字。




