35話 アズリア、困惑の二品目
アタシ達の前に給仕された皿の上の料理、それは真っ白い魚の白身らしきものに黒と赤のソースが脇に添えられた一品だった。
「ほう、水蛇の燻製か。これは珍しいものを用意してきたな、店主」
ろ、ろいひゃ?……ああ、る?
さすがは王様、この料理の材料を見ただけでわかったようで、その答えに店主も「流石でございます」と頷いているのだが。
王都は内陸部であり、海に面した西部の港街までは相当の距離がある。なのに、この水蛇の白身の断面は艶々と脂が乗っている極上の素材だ。
アタシは周囲に視線を飛ばして、この素材の正体がわかる人間を探そうとするが。どうやら他の皆んなも「ろいひゃあーる」なる食材が何なのか見当もつかないようだった。
唯一、隣に座っているランドル以外は、だが。
「……なあ、ランドルの旦那?」
アタシは小声で料理にナイフを入れている最中のランドルへ、この謎の白身魚の正体を尋ねてみた。
「ん? どうした、アズリア。お前さんにしては、ナイフを入れるのに躊躇するのは珍しい。そんなに水蛇の燻製は苦手か?」
「そ、その……ろいひゃあーるってのは、一体……何なんだい?」
「ああそうか、旅してるとあまり食べる機会はないかもしれんな……これはな、川で獲れる水蛇だよ」
一瞬、アタシは自分の耳を疑い、言葉を失って。
「う……水蛇って、えええええ⁉︎」
驚いたのも無理はない。
川でたまに泳いでる、あの身体の表面がぬるぬるとした、蛇に似た細長い身体が特徴の、だが蛇よりもかなり大きいのが水蛇なのだが。
実はアタシ……旅の途中に川で釣り糸を垂らしていたら掛かったことがあったので、食べてみようと短剣で捌こうとしたが、暴れるわ表面はぬるぬるだわで一向に刃が立たず。
結局はブツ切りにして焼いたり煮たりしたのだが……
焼いた水蛇の肉は細かい骨が多くて食べにくく。
煮た肉は何とか食べられはしたが、癖が強くてお世辞にも美味いとは思えなかったのだが。
いや……皿の上にある白身の肉は、細かい骨なんて何処にも見えない、綺麗な白身の肉だ。
アタシは意を決して、その白身にナイフを入れてそのまま口に含んでみると。
「ん──っ?……と、溶けた……口に入れた途端に、じゅわっと、と、溶けた……な、何これ?」
そうなのだ。
水蛇の肉を口に入れた途端に、脂がじゅわっと口の中に溢れだしたかと思うと、ふわふわに柔らかな白身の肉がホロッと崩れていった。
口に骨が残った感触は微塵もない、ただただ柔らかな食感と濃厚な脂の旨味が口いっぱいに満ちていく。
「水蛇の燻製とは。獲れた水蛇を煙で燻して身の水分を適度に抜いた、保存を効かせたこの国の保存食でもあります」
「へぇ、これが……保存食なのかい? いや、寧ろ保存食をここまで美味い料理に仕上げちまうこの店が凄いんだろうねぇ……」
敢えて給仕した際に食材の説明をしないで、客が一口食べてから説明を始める店主。
アタシや他の皆んなが出された水蛇の料理に驚嘆している様子を見て、満足そうに微笑みながらまた店の奥へと戻っていった。
「さて。それじゃ……今度はこの二種類のソースを付けたらどう味わいが変わるのか楽しみだねぇ……どれどれ」
「あっ、じゃあわたしはこの黒いソースから……」
「ふふっ、エルさんが黒なら私は赤のソースを」
赤いソースは、果実の酸味が脂の濃厚さを抑えて白身の淡泊な旨味がよりくっきりと味わえる。
多分、この赤は木苺かその類の果実を酒に漬けておいて、それを擦り潰したモノに違いない。
もう一方の黒いソースは、ねっとりとした濃度で塩味が濃く少し独特のニオイがある、今までアタシが味わったことのない風味だ。
淡泊な白身の甘さを濃い目の塩味が引き立ててくれるのはよいのだが、やはりこの独特の強いニオイは好き嫌いが分かれるものなのだろう。
……アタシは嫌いじゃないが。
この独特のニオイはエルの口には合わないかもと思い、彼女を見ると。何とエルはこの黒ソースを意外にもべったりと水蛇の白身に塗って平然と口にしていたのだった。
「ん?あ、アズリアはあまり食べ慣れてないかもね。これ、麦酒を作る過程で出てくる滓を使った調味料なのよ」
「麦酒の残り滓を使って調味料なんて作れるのかい?いや……初耳だねぇ」
「わたしがいた教会じゃ普通にパンに塗ったりして食べてたけど、確かに初見じゃ厳しいわよね……うん」
どうやらエルの話振りでは、イスマリアではごく一般的に使われているらしい調味料らしい。
アタシは、まあ……これくらいの臭気ならあまり気にはならないが。周囲を見回してみると、この黒ソースを口にして顔をしかめる数は、決して少なくない。
王様とランドルは……どうやら黒ソースの存在を最初から知っていたのか、手を付けていない。
「はあぁ……いや、美味かったあぁ……あのぬるぬるした水蛇が、まさかこんな美味いモノだなんて、ねぇ……」
「ぱぁぱ! うまうまー! うまうまー!」
よく見ると、妖血花はエルに食べさせてもらってはいたものの、一品目に続いて二品目も綺麗に皿に盛られた料理を平らげていた。
この娘、さすがはアタシの血から生まれただけあってか、食い意地もアタシに似たのかもしれない。
全員が二品目を食し終え、給仕が空になった皿を運び終えると。不意にユメリアが口を開いた。
「イオニウス王。一つ、私から提案があるのですが」
実はこの麦酒の残り滓を使った調味料というものは現実世界にも実在してます。
「マーマイト」という商品名ですが、ビール酵母が発酵して出来た調味料ということで、その臭いは納豆やくさやに近いものとされています。
エルは食べ慣れているからですが、アズリアは単に強い発酵臭が嫌いではなかっただけです。




