23話 アズリア、精霊からの試練・身体編
こうして、アタシは。
樹液を全身に塗り込まれ、身体を解される時の気持ち良さに耐える、という。ある意味、苦痛とも言える時間を過ごしながらも。
魔術文字を使っていたせいで、おかしくなっていた体内の魔力を整え、正しい循環へと癒してもらっていた。
「ふぅん……まあ、今はこんなものかしら」
気持ち良さに悶え、声を殺しながら我慢し続けていたアタシの心情などお構い無しに。
樹液が塗られた腹や胸などをぺたぺたと触れる精霊の少女が、納得したかのように頷くと。
胸を揉んでいた少女の手が、ピタリと止まる。
「へ……お、終わったの、かい?」
「ええ、今日のところはここまでにしておくわ」
「よ、よかったあ……ふ、ふいぃぃぃ……ッッ」
終わった、と施術の完了を精霊の少女から告げられた途端。
樹液を全身に塗られながら少女の手で撫でられたのを耐えていた分、我慢していた快感が一気に襲い掛かってきたのか。
膝から急に力が抜け、地面に尻を着いて息を大きく吐き、その場に座り込んでしまった。
「はぁ、っ……はぁ、っ」
施術の効果が現れたのだろうか。
全身が内側から熱を帯び、今までに感じたことのないくらい全身の肌が敏感になっている。
目の前の精霊は、ニヤリ……と意地悪そうな笑みを浮かべたまま、アタシの足元を指差し。
「ほら、いつまでだらしない顔してるの? 次の試練に移るわ……さっさと鎧を着なさいな」
「お、おう、ッ……」
まだ、心の臓が動く音が聞こえてきそうな程に胸が高揚し。荒くなった息が整えられていないというのに。
今度は、再び「鎧を着ろ」と言うのだ。
訳も分からず、アタシは言われた通りに胸甲鎧に肩当て、腕には腕甲に籠手。脚に脚冑を装備し直すと。
「じゃあ、準備はいいわね」
「……え?」
釣られてアタシが視線を下へと落とすと。知らぬ間にアタシの足首には、何かの植物の蔓が巻き付いていた。
蔓がどこへと繋がっているのかを目で追うと、指差したのとは違う側の精霊の少女の手だった。
……そして。
「さあ、いってらっしゃいな!」
「ひゃわわわああああああああッッッッ⁉︎」
精霊が腕を振ると、足首に巻き付いた蔓が引っ張られ。大柄で筋肉質なアタシの身体がいとも簡単に持ち上げられ、空中を舞い。
近くにあった断崖絶壁へと、乱暴に身体を放り投げられてしまう。
「うわあああ、ば、馬鹿ッ!……落ちる落ちる落ちるうぅぅッッ──」
「落ちないわよ、蔓があるでしょ」
精霊の言葉の通り、真っ逆さまに落下していく身体は、足首に絡まった蔓のおかげで何とか落下は止まったのだが。
「にしても……精霊の私に向かって馬鹿とは失礼な話ね。本当に手を離して落としてあげてもいいのよ? ん?」
崖から逆さに吊るされた状態のアタシは、真下に何があるのかを覗き込むと。
「ひ……いいイッッ⁉︎」
思わずアタシは、恐怖から悲鳴を漏らす。
アタシの視界の先に、想像していた地面は全く見えず。代わりに映ったのは、ただ底の見えない空間が広がっていた。
と、いうことは……地面があれば最悪、落下したとしても地面という着地点があるが。
地面がなければ、一体どれ程の高さを落ちていくのか、全く想像が出来ないからだ。
「ほらアズリア……精霊界の塵になりたくないでしょ? だったらさっさと登ってきなさい」
「え? あ、あ……おう……ッ」
ただ登攀させるだけなら、別に振り回して乱暴に裂け目に放り投げる必要はなかったのでは、という疑問を抱きつつ。
アタシは底の見えない高所に、蔓一本でぶら下がる恐怖からとっとと逃がれるために。右眼の魔術文字を使おうとした、その時だった。
「あ、そうそう」
「お、おい? まだ、何かあるってえのかッ……」
「アズリア、当然だけど。右眼の魔術文字を使っちゃ駄目だからね」
「──は?」
今まさに発動しようとしていた魔術文字を「使うな」という精霊の少女からの指示に、アタシは不満げに声を漏らす。
それもその筈。今、アタシが蔓にぶら下がっている位置は。絶壁の一番上からかなりの距離がある。だからこそ、魔術文字で腕力を強化し、一気に蔓を登攀してやろう、と思っていた矢先。
魔術文字の使用を禁じられてしまうとは。
「な、なんで?」
「あのねえ……まずはアズリアの身体そのものを一から鍛え直す必要があるの。魔術文字を受け止めるに相応しい身体に、ね」
つまり、精霊の少女が言いたいことは。
これでもごく一般的な男よりは、遥かに筋力に優れたアタシの身体を以ってしても。まだ古代に失われた魔術を扱うには不足していた、ということなのだろう。
そうだ。
アタシは別に精霊の少女に強要されて、精霊界にいるわけじゃない。
「今より強くなりたい」と願ったからこそ、精霊の少女はアタシを精霊界まで招いてくれたんじゃないか。
「い、イイぜッ、やって……やるよ。強くなるためだったら、いくらでも登ってやろうじゃねえかッ!」
アタシはまず逆さ吊りの状態から、腹に力を込めて上半身を折り曲げ。足首に巻き付いていた蔓を掴んでいくと。
今度は掴んだ腕に力を送り、自分の体重を支えながら。左右の手で蔓を握り、上へ上へと登攀していく。
腕に懸かる重量に負けそうになり、何度か指を蔓から離してしまいそうになるが。
「ぐ、ッ……ぎ、ぎ、ぎぃぃぃ……ッ!」
アタシは歯を噛み合わせ、懸命に踏ん張ることで何とか無限の高度への落下を防いでいた。
登攀の難易度を上げていたのは、アタシが全身に着込んだ、鉄よりも硬いクロイツ鋼を混ぜ強度を増した部分鎧が原因だった。
クロイツ鋼は、鉄より強度、硬さに優れた分。鉄よりも遥かに重量が嵩み、重くなる。
だが、絶対にそれだけが原因ではない。
今アタシが装着いる鎧は、多少は損傷し修繕しながらではあるが……七年もの間ずっと身に着けていた防具だ。
時には鎧を着たまま高い木や崖をも登攀した経験は、今までに何度もある。旅をし始めた当初は多少、鎧の重量が枷だと感じたこともあったが。
成長した今では、右眼の力に頼らなくともこの程度の高さを麻縄で登り切るなど、難しくはない筈……だった。
「か……身体がッ? 石みたいに、重いッッ……」
そう。鎧ではなく、アタシ自身の身体そのものが岩石のように重く、鈍くなってしまっていたのだ。
身体の異変に気付き、戸惑っていたアタシに。
「ああ、言い忘れてたけど。アズリア、普通の人間はこの精霊界だと、動くだけも一苦労だと思うわよ?」
精霊の少女は、崖の頂上から蔓に何とか掴まっていたアタシを。実に愉しげな笑顔で見下ろしていた。
「──は? そ、そういう……大事なコトは、は……早く、言えッての!」
今、アタシがいるこの精霊界の事が書かれた文献には、幾つか目を通したことがあるが。
精霊界では人間の身体が鈍く、重量が増す……もしくは腕力が低下する、など聞いたこともなかった。
だが、精霊界の住人にして、十二の精霊の一体でもある大樹の精霊が言うのだから。今の話は全て真実なのだろう。
ともかく。
気を緩めれば、身体にのしかかる重さと腕の鈍さに負けてしまい。今にも握っている蔓から指を離しそうになるが。
当然ながら、ここで蔓を手離せば。アタシに待っているのは底の見えない高度からの落下。それは確実な死を意味する。
「こ……こんなトコで、死んで、たまるかってえのおおおおおお!」
冗談じゃない。
アタシは強くなるために精霊界に訪れたのだ。
アタシは叫ぶように、意気込みを吐きながら。蔓を掴む指と体重を支える腕に力を込めて、少しずつ、少しずつだが崖上を目指して登攀していく。




