19話 アズリア、王妃の目を醒ます
王様に案内された広々とした部屋では。
幾人かの治癒術師が横に待機するその室内の中央に、寝床に寝かされた女性が苦しげな顔のままで眠りについていた。
「あれがティアーネ・ディア・フィレム。我が最愛の妻にして、ホルハイムの王妃である……もう一月はこの状態で眠り続けてはいるが、な」
「一月?一月も眠り続けて……食事とかはどうしていたの?」
「それは、我々治癒術師が魔力を供給してきたのですよ。我々治癒術師には、意識のない人間へ最低限生きるために必要な魔力を送る『魔法』があるのです」
食事を摂れない王妃が一月もの間生きていられたのかがアタシも不思議だったのだが、エルの問いに答えた治癒術師曰く、そういった効果の魔法を行使していたらしい。
だが、本来なら麗しい筈の王妃の頬が痩せこけているのを見ると、やはり「最低限生きるため」なのだろう。
アタシは一月もの間、毒と闘い続けた王妃を早く楽にしてあげたくて、王様や治癒術師を押し退けて寝床に寝かされた王妃を覆う薄布を捲っていく。
「お、お前……一体王妃様に何をするつも──」
「よい。あの者は儂が頭を下げてここに来てもらったのだ。あの者は……帝国が飼っている吸血鬼の使う毒を解除出来る術を持つ、と報告を受けて、な」
「ば、馬鹿な……あの毒は我々高位の治癒術師でも解毒出来なかった特殊な毒ですぞ?それを……」
「だが、このままでは王妃は衰弱しいずれ死ぬ……ならばあの者に賭けてみてもよいだろう?」
押し退けられた治癒術師が、アタシへ異議を申し立てようと肩を掴もうとするその手を、イオニウス王の手が制し。
王の口からアタシへ治療を頼み込んだ事実を告白し、その言葉に治癒術師らも渋々ながら引き下がらざるを得なかった。
「ヘーニルやサイラスに使われたのと同じ毒なら何とかなると思うんだけどね……うわ、酷いねこりゃ……確かに『生きて』はいるけどさ……」
露わになった王妃様の身体は、頬と同じように腕や脚は痩せこけて、骨と皮だけ、という表現がぴったりという状態だった。
王様は多分、こんな王妃様の姿を見るのは初めてだったのだろう……顔を手で覆い首を横に振り、痩せ衰えた王妃を直視出来ないでいた。
アタシは近くにあった治療用の小刀を借りて、指の腹を刺して流れた血で、王妃の身体にある紫色に腫れた箇所へ……師匠である大樹の精霊から譲渡された生命と豊穣の魔術文字を描いていく。
これで準備は整った。
アタシは、魔術文字に魔力を流し込みながら、力ある言葉を口より紡いでいく。
「我、大地の恵みと生命の息吹を────ing」
王妃の身体に刻んだ魔術文字がアタシの魔力を吸い上げて緑色に輝き始める。
サイラスやヘーニルの時は、コレでよかった筈だが……どうやら身体に回った毒の量なのか、消耗する魔力が二人の時とは段違いだ。
だが、元凶となった傷痕を見ると。
紫色に変色していた箇所がほとんど元の白い肌に戻っていたのだ。つまり生命と豊穣の魔術文字で「毒は消えて」いる。
ならここからは……アタシの魔力次第。
「がんばれえ!ぱぁぱっ!」
その時、エルと手を繋いでいた妖血花が、魔術文字に魔力を吸われ続けるアタシの背中へとおぶさってきたのだ。
すると、不思議なことに。
魔力を魔術文字に吸われて重くなっていた身体がフッ……と軽くなったのだ。
────これなら、いける。
「おう!パパ、頑張るからなっ!王妃の身体を蝕む汚らしい毒を……今ここで全部残らず消し去ってやるよおッッッッ!」
雄叫びとともに腹の底から魔力を魔術文字へと注ぎ込んでいき。
緑色に輝いていた生命と豊穣の魔術文字が、硝子の割れるような甲高い音を部屋中に響かせて消失していくと。
「…………あ……あああ…………」
一月もの間、深い眠りから目覚めることのなかった王妃様の瞳が、開いたのだ。
「…………お、おおおお……ティアーネ……ティアーネ……おおおおおおおお!」
「……あ、あ……あなた……なぜ……泣いてるの?」
その場で膝より崩れ落ち、両手で顔を覆い号泣するイオニウス王は。膝立ちのままで寝床へと這うように移動すると。
寝床から上半身を起こした王妃の腹に頭を埋めて周りのアタシ達や治癒術師らの目を憚ることなく号泣するのだった。
もちろん、王様ほどではないが。この部屋にいた治癒術師全員が王妃が目を醒ましたことを泣いて喜んでいた。
王様は治癒術師の尽力を知っていたし。
治癒術師は国王の苦悩を理解していた。
だからこの部屋にいる全員が涙していることを笑うような人間は一人もいなかった。
後ろに控えていたエルも、部屋の皆が泣いている空気に当てられたのか、貰い泣きをしている様子だった。
「ぱぁぱ!えらーい!」
「あはは、ありがとな、あー……アル!」
背中に背負ったままの妖血花の小さな手が、アタシの頭を撫でてくれていた。
そんな彼女を背中から身体の前で抱きかかえる。
あの時……この娘が来てくれてから急に魔力を魔術文字に吸われなくなった。いや、正確には魔術文字に吸われても平気になっていた、というのが正しい。
一体、妖血花とは何なのだろう?
だけど今は純粋にこの娘がアタシを手助けしてくれた事を感謝しておこうかねぇ。
一月ぶりに目を醒ました王様と王妃の語らいの場だ。色々と話したいこともあるだろう。そんな場にアタシ達がいるのは無粋というものだ。
アタシは妖血花を抱き、エルの背中を押して部屋をそっと静かに出ていった。




