閑話② エル、本当の聖女になるまで
わたしはエル。
正式な名前はというと、教会から授けられた洗礼名というものがあって、もっともっと長いらしいが。
わたしを産んでくれた母親がくれたのがこの名前だから、わたしは「エル」とだけ名乗ることにしている。
というのも、両親ともに大地母神イスマリア様を信仰する教会に属する人間で。わたしが産まれた際に女神からの神託があったとかなかったとか。
幸か不幸か。わたしが言葉を口にする頃に、身体に神聖魔法の希有な才能を宿している事が判明したために。
わたしは両親の元から離され、教会の内部で世俗の穢れから一切隔離された生活を余儀無くされた。
余談だが、神聖魔法は決して希有な魔法ではなく。教会に属してイスマリア様をはじめとした世界を守護する五柱の神々を深く信仰すれば授けられる魔法であり。
一定以上の魔力を宿し、その発動方法を専門的に勉強しなければ使うことが出来ない、この世間で「魔法」と呼ばれるモノや。
精霊と呼ばれる存在と心を通わせる才能がなければ使うことの出来ない精霊魔法などと比べれば、そこまで希少性がある存在ではなかった。
だが。
本来ならば、神聖魔法は「信仰に目覚めた者」がその対価に授けられるのが通説であるため。
まだ信仰に目覚めてもいない言葉を話したての幼児が行使出来るというのは、「神に選ばれた子」として。やがては教会という組織で、一般的な信者を導くための象徴となるために厳重に育てられることとなる。
だからわたしは教会の偉い人が教えてくれた事を何一つ疑うことなく頭に入れてきた。
聖女としてわたしが率直に頭に浮かべた言葉を、一日に限られた人数の信者に口にするだけで彼ら彼女らは喜び、もしくは泣き崩れ、救われた顔になる。
また、偉い人に頼まれて神聖魔法を使う時も同じだった。
目の前に現れる効果に、その場にいる全員が喜び、または泣き崩れ、救われた顔になった。
その繰り返し。
それがわたし────「聖女」エルであった。
だけど、そんな聖女様にも転機が来た。
教会の人間として言うなら、これは女神イスマリア様の酷く残酷な気紛れだったのかもしれない。
「聖女様、お時間でございます。こちらでいつものように信者にありがたい言葉を授けてあげて下さい」
それはわたしが7歳の時だった。
わたしがまた毎日の日課である、限られた人数の信者へ顔合わせる時間になった事を部屋に入ってきた司祭様に告げられ。
無言で頷くと、司祭様の後についていき、いつもわたしが信者の人たちと顔を合わせる部屋へと到着する。
そこには本日、わたしと言葉を交わすことが許された信者が一列になって並んでいたのだが。
その時、信者の列の最後尾から一目散に駆け出してくる女性がいた。
その女性はぐったりと首を項垂れた土気色の肌の赤子を抱いていて、女性は今までわたしが見たことのない苦しそうな表情で。
「お願いします!聖女様!この子を……この子を助けてやって下さい!お願いします!お願いします!お願い……ぅぅぅ」
慌ててわたしとその赤子を抱いた女性との間に割って入る司祭様と教会騎士。
だけど、その時のわたしは何故教会の人間がこの女性を制したのか……その理由を知らなかった。
だから、もちろん信者すべてに救いの手を差し伸べるのが当然だと思ったわたしは、その赤子に治癒魔法を使った。
だが──赤子は目を覚さなかった。
普通の治癒魔法では駄目だったようだ。
わたしの治癒魔法は普通の術師のものよりも数段強力なのに。
それならばと、わたしはさらに強力な治癒魔法を発動させようと詠唱を試みる。
「慈愛に満ちた我が女神の腕に抱擁され、かの者を元ある姿に戻したまえ」
これが今、わたしが使える最大の治癒魔法だ。
「癒したまえ────地母神の抱擁」
治癒魔法が発動し、赤子の身体をエルから放たれた緑色の煌めきが包み込んでいく。
それでも、光が消え失せた赤子の肌の色は生気を帯びることはなく、その目蓋が開くこともなかった。
「……何故?……何で目を覚さないの?」
再び治癒魔法の詠唱を始めるわたしを司祭様が目蓋を閉じ首を横に振って、そこでようやく赤子の生命が尽きていることを理解した。
周囲の司祭や教会騎士らは理解していた。既にその赤子は母親に抱かれたまま息を引き取っていたことに。
そして、神聖魔法では傷や欠損した肉体を癒すことは出来ても、一度消え失せた生命を再び地上へ戻すことは出来ないのだ。
わたしは衝撃を受け、その場に座り込んだ。
神聖魔法さえあれば何でも叶う、神の力は偉大だ、と教えられていたから。
初めてわたしは、自分が如何に無力か、そして自分がいかに外の世界を知らな過ぎたのかを思い知らされたのだ。
だからこの日を境に、わたしは決めた。
教会を出て、外の世界をこの眼で見ようと。
それからわたしは、偉い人たちが聖女様に求める事を素直に従うフリをするその裏側で。教会が持つ書籍や文献を読み漁り、また司祭様の見えないところで信者に色々と話を聞いて。
それで知った事だが、教会の庇護と女神の恩恵がまだ届いていない土地ではまだあのように、幼くして食糧が不足したり疫病にかかり生命を落とす者が数多くいるのだという。
それを知って、わたしはより一層外の世界へ出てそのような悲劇はこの手で止めてみせると誓った。
それがきっと希有な神聖魔法の才能を持って生まれたわたしの使命であり。
救えなかったあの赤子へのせめてもの償い。
────それから5年の月日が流れ。
わたしは兼ねてより計画していた教会からの脱走を企て、その計画は驚くほど簡単に成功した。
わたしはこの手で、より多くの人を救う。
それはきっと、教会の内側にいる限り出来なかった事……だと、信じてる。




