84話 アズリア、運命を受け入れる
勝利を確信したロゼリアは高らかに宣言する。
「アズリア、最早貴様は何処にも逃げられぬっ!」
だが、今のアタシの身体は魔法の範囲外に逃げるとかという以前の問題だった。
先程の炎を防御するための咄嗟の魔術文字の発動で魔力を消耗し、しかも左脚の感覚は酷い火傷によりとっくに喪失していた。
あはは……もう身体が動かないや。
アタシの目の前では、帝国軍敗北の知らせを受けたロゼリアの魔力が高まっていき、長い詠唱を終えての大掛かりな魔法を今まさにアタシ目掛けて放とうとする瞬間であった。
「ま……待ってくださいロゼリア将軍っ?……そ、その魔法は、本来ならば敵陣が密集した時に相手を殲滅させる目的で将軍が編み出した……っ!」
だが驚くのはアタシと、少し遠巻きに戦況を見守っていたフレアやエルなどの味方だけではなかった。
生き残った帝国兵までもが「信じられない」といった表情を浮かべ、ロゼリアに異議を申し立てていた。
「そうだ……確かにあの女傭兵を焼き尽くすには過ぎた火力だ。下手をすればこの戦場に立っている味方の騎士や兵士も……術者である私すら無事では済まないかもしれない」
「そ、それなら──」
「だが……それでも、だ!」
目の前で膝を突いてうずくまるアタシを、殺意を込めた視線で睨みつけてくるロゼリア。
「たとえ帝国本隊が敗走したとしても!……この女を、間違いなく帝国を敗北へ導いた禍根だろうこの女傭兵は、今ここで殺しておかなければならないのだっっ!」
ロゼリアが兵士らを説き伏せている合間に、アタシは咄嗟に最後の悪足掻きとして、水の精霊から渡されたならば火魔法を防げるのではないかと身体に刻んでおく。
たとえ魔法の直撃を受けても、もしかしたら魔術文字の魔力で身体が焼け焦げ生命を落とすのを防げるかもしれないからだ。
……まあ、今ロゼリアが放とうとしているあの魔法は、如何に水の魔術文字といえど防御は……無理だろうが。
「……アズリア⁉︎……に、逃げなさいよ……早く動かないとホントに死んじゃうのよっっ?……あ、アズリアああああ!」
フレアが顔色を変えて叫んでいる。
そりゃ、出来るならアタシだって逃げ出したいさ。
でもね……脚が、無理して動かしてきた左脚がもう、アタシの思い通りに動かないんだよ。
「……くそっ!何か、何かまだ手はある筈だっ!」
「そうだ、俺たちが諦めたら……アズリアはっ!」
荷台からエルを追って飛び出してきたオービットが。投擲槍を無くしたエグハルトに合流すると。手持ちの短剣や帝国兵が落とした剣や槍を拾い上げ、詠唱を妨害するため闇雲にロゼリアへと投げつけていくが。
エグハルトが放った投擲槍と同様に、彼女に届く手前で周囲に展開した炎の結界に阻まれ、その全てが溶解してしまう。
二人とも……もう、いいんだ。
ロゼリアも言ってただろう?
これ以上抵抗を続けたら、アンタ達までアタシの巻き添えになっちまうじゃないか。
そんなのは、イヤなんだよ。
「はは、それにね……アタシは満足してるんだ」
もしかしたら、帝国軍からラクレールまで奪還したのだって、王都の帝国軍が敗けたのとは何の関係がなく、アタシがやってきたコトは無意味だったのかもしれない。
でも結果として、王都を包囲されていた窮地から一転、帝国軍は敗北したんだからさ。
アタシだって生きるのを諦めたくはないけど。
ロゼリアがこれから放つ、超級魔法を超えた極大魔法をどう防ぐのか、正直言って万策尽きたってトコかね。
だからアタシは運命を受け入れて、目を瞑った。
この戦場で燃え尽きるその覚悟を決めて。
だが、一度は決めたアタシの覚悟を揺らがす音が耳に届く。
「あ、アズリアあああ────あああっっっ!」
その声が近づいてくる様子にどうしようもなく嫌な予感がして、アタシが目蓋を開けると。
目の前にはエルが、アタシに背中を向けて両手を開いた体勢で、ロゼリアが放った魔法の前に盾になるように立ち塞がっていた。
「ば、馬鹿っ?……は、早くトールたちと一緒にここから離れるんだよおッッ!」
アタシは今出せるありったけの大声を張り上げて、目の前に立っていたエルにこの場所から立ち退くよう叱咤する、が。
「嫌だっ!……離れないっっ!」
「……え、エルッ?」
アタシの警告の言葉を無視するどころか、明確に突っ撥ねる意志を見せるエル。
「そりゃあアズリアは地面に座る時も股開いてても気にしないくらいガサツだし、他の人の分まで食べちゃうほど大喰らいだし、馬鹿だし、簡単な魔法も使えないけど……それでも──」
これでもか、とばかりにエルが吐き出したアタシへの感想はどれも罵詈雑言にしか聞こえないと思えるものだったが。
一旦言葉を区切った後に、アタシへと笑顔を向けたエルは。
「それでもあなたを一人で逝かせはしない。村であなたに助けられた生命だもの、あなたを見殺しにするくらいなら……ここでアズリアと一緒に燃え尽きても……いいかも、ね、あは、は、は……はは」
振り向いたエルの瞳には涙と、決意が浮かんでいた。
そんなエルの声も、彼女の膝も震えている。
当然だ。あんな強大な魔法を目の当たりにして、死の恐怖がないわけないじゃないか。
彼女は……エルは、つい最近まで小さな村の朽ち掛けた教会で身寄りのない子供らとただ懸命に生きてきた、まだ幼い少女なんだぞ。
「く……くそおッッ、う、動けッ!」
身体が動くのなら、すぐにでもエルを安全な場所へと連れて置いていくところなのに。
そう思ったら、つい直前に決意した「ここで死ぬ覚悟」などアタシの心の中からは雲散霧消していた。
「う……動けよおッッアタシの身体ぁ……アタシは、アタシはいいんだ。だけど……エルだけは……」
アタシはまだ何とか動く腕で、何度も何度も拳で自分の動かなくなった左の太腿や脚を叩き、脚の感覚を戻そうとしていくが。
やはり焼け焦げた左脚の感覚は戻りそうにない。
「あの娘だけはアタシと巻き添えで死なせちゃ……いけないんだよお……ッッッ!」
だが、それでもアタシは身体を動かさないと。
自分はともかくエルを助けられないじゃないか。
「……頼むッ!……頼むよ……動いてくれよ!アタシの左脚ッ!……でないとエルを、エルを助けられないじゃないかああぁぁッ!」
魔族との時ですら思わなかったのに、今アタシは心底アタシ自身が情け無くなって。
……いつの間にか、涙が溢れてきていた。
────力が、力が欲しい。
今は自分が助かる力じゃなく、エルを助けるための、力が欲しい。
『力が欲しい、そう言ったのはお前だな、アズリア』
『────そこまで力を欲するか?……人間よ』
その時……アタシの頭へと響く声がした。
それも二種類の、違う声色で。
途端に……アタシの目の前に広がっていた景色のすべてが凍り付いたように動きを停止していた。
詠唱を紡いでいたロゼリアも。
泣きそうな表情でアタシを庇うエルも。
慌てふためくフレアや傭兵団の連中も。
何が起こったのか分からないまま、凍り付いた空間で何故かアタシだけが動くことの出来ることに、ただ呆然としていた。




