76話 セルシウス、炎の精霊をせせら嗤う
そう、氷の精霊は知っていたのだ。
目の前で隙を見せた炎の精霊の罠を。
そして、敢えて罠に絡め取られる動きをわざと見せ、本当の隙を見せるその瞬間を待っていたのだ。
「なっ⁉︎……て、テメぇ!コレを狙ってたのか⁉︎」
「だから甘いと言ったのだ、イフリート」
もはや振り下ろした燃焼剣を止めることが出来ずに、そこに氷の精霊がいない空間に渾身の一撃が虚しく空を斬る。
一度動きを止めて彼女に微笑んだ氷の精霊は、眼前から突如として姿を消してしまったように見えただろう。
炎の精霊の背後に回り込んでいたからだ。
「……先に言っただろう。私はちょうどお前の顔を殴ってやりたい、とな」
背後から肩を叩かれて、反射的にそちらに反応して無防備で振り向いてしまう炎の精霊。
その顔面に先程の胴体目掛けた拳とは違い、渾身の凍結拳がめり込んでいく。
「がはぁぁ……ぁあああッッ!……か、顔がああ?顔が凍るッッ!う、嘘だろ?オレは炎の精霊だぞぉぉぉ?」
顔に拳の直撃を受けて背後に吹き飛ばされた挙げ句に、凍結拳の効果が生じて顔面を掻き毟りながら白い蒸気をあげ苦しみ出す炎の精霊。
その間に、アタシの元に駆け寄ってきた氷の精霊は、左脚の具足に触ると真剣な……というより今にも泣きそうな表情で。
「アズリア……左脚を出せ、今すぐにだ」
「い、いやセルシウス、脚は大丈夫だから……アンタは炎の精霊と戦ってる最中だし────」
「いいから出せ!」
その必死な勢いに負けて、左脚の具足をその場で外そうとすると。内側の装甲板に火傷の皮が少し貼り付いてしまっていたので無理に引っぺがしていく……その時点で左脚の火傷が酷いのは理解してしまった。
具足を無理やり外した左脚は酷く焼け爛れてしまい、皮が捲れところどころ肉が剥き出しになっているのに激痛が走るどころか、既に感覚が薄れてきてしまっていたのだ。
「これは……酷いな。私は傷を与えるのは得意でも傷を治すのは専門外なのだが……やってみるしかない、か」
氷の精霊が左脚に霜を含んだ吐息を吹き掛けると、火傷をした脚の部分が白く凍り付いていく。
だが、以前彼女の凍結拳を受けて腕が凍り付いた時の感触とは違い、霜が張った左脚の感覚と痛みが戻ってきていた。
「あ、脚が動く!……で、でも……痛ッッ……感覚が戻ってきたのはありがたいけど、今度は痛すぎて動けないかもねぇ……あはは」
「傷を凍らせて治癒する氷魔法の一種だ。だが、元々の傷が酷かったのだから、あまり無理して動くな」
セルシウスに治療を施してもらい、何とか立ち上がって体勢を立て直そうとするが。
左脚に戻ってきた激痛が身体を走り、左脚を使って立ち上がることが出来ずに再び膝を突いてしまうと。
「まったく。これが私を徒手空拳で唸らせたあのアズリアとは思えないぞ」
呆れたような、嬉しそうな表情をした氷の精霊がアタシに肩を貸して、立ち上がるのを手助けしてくれたのだ。
以前に出会った時に氷の精霊を観察する機会などなかったので、肩を貸してくれている彼女の顔をまじまじと見ながら。
アタシは気になっていた事を聞いてみた。
「いや、助けてもらってこんなコト聞くのも何だけどさ……何でセルシウス、アンタがココに?」
すると、途端に彼女の頬が真っ赤に染まり。
アタシから顔を背けてしまう。
「ふ、ふん。わ、私の魔術文字がどう使われているのかが気になっただけだ。た、ただの気紛れだ」
何だろう……この気まずい雰囲気は。
だが、この気まずいような、戦場に削ぐわない空気を破るかの如く、背後から絶叫が響いてきたのだ。
「セルシウスてめェェェ!もうオレを倒した気になっていい気になってんじゃねえェェェェ‼︎」
「……はぁ。悪いなアズリア、少しばかり待っていてくれ……すぐに戻る」
顔が凍結するのを何とか免れ、戦線に復帰してきた炎の精霊の怒りに満ち満ちた声に反応して、その場にアタシを下ろした彼女だったが。
何故かアタシは炎の精霊に向き直る彼女に戦慄を覚え、比喩でなどなく本当に背筋が冷たくなった。
「さっきは罠を読まれはしたが、今度は負けね……って?お、おいちょ────ぐふぅぅぅッッ⁉︎ごはぁぁああ?……ま、待てっ……」
再び地面を凍らせ、その上を滑る氷の精霊独特の移動法で一気に距離を詰めると。
罠を張るなど面倒な真似をせずに、ただひたすらに凍結拳の連続攻撃で、炎の精霊に反撃する隙を与えず殴り倒していく彼女。
氷の精霊は怒っていたのだ。
アズリアとの触れ合う機会を邪魔されたことと。
アズリアの左脚の火傷を炎の精霊の仕業と思い込み、腕と脇腹の傷に加えて左脚の報いを与えるために。
「……折角の機会を邪魔した報いだ、炎の精霊」




