129話 ヴァロ伯爵家、夫人の怨念
フェフが取り出した水晶球は──遠見の眼。
本来であれば、予め魔力を込めた目印の対象を、離れた位置からでも一方的に覗く事が出来る魔導具だ。
対象となる目印に、同じ遠見の眼を選択すると。互いの視点だけでなく、声までも通じ合わせる事が可能となる。
魔術師の中でも凡庸な才能のカイザスが、唯一残した功績であったが。この事実は、帝国の魔術師には伝わっていない。
何故なら、報告する前にカイザスは死んでしまったからだが。
もし伯爵家の誰かが、二つの遠見の眼が干渉し、相互で視覚や会話を共有出来る事実を報告していれば。これまでの損失どころか、陞爵も間違いなかったのだが。
そんな三男が残した遺産というべき功績を活用する事で。遠く離れた伯爵家の屋敷にいる伯爵夫人とフェフは会話が出来るのだ。
当然ながら、互いに遠見の眼が手元になければ会話を交わす事は不可能だが。
「……母上。フェフです」
フェフが覗き込む水晶球の中に。華美な装飾を施してはいたが、顔の表面の老いは隠しきれていない年配の女性が映し出される。
五〇歳を超える高齢なのだから、当然と言えば当然だが。その高齢の女性こそヴァロ伯爵夫人スカリーゼその人だ。
呼び掛けに応じたのか、水晶球の向こう側に映った伯爵夫人は。
今のままでも会話に支障がない、にもかかわらず。水晶球を両手で掴み、球の表面に顔を間近に寄せながらフェフとの会話を開始する。
『フェフ? もしかして……私の可愛いあの子を手に掛けた憎い女は、もう魔物の餌食に?』
「いえ、ですが。あの連中は何の疑いもなく、討伐隊に到着しました」
期待に満ちた歪んだ笑みを浮かべた、水晶球の向こう側の夫人だったが。
目的の人物──アズリアが未だ健在と聞き、あからさまに落胆の反応を見せた。
『そう……なのね』
伯爵家の現当主フリードリヒと、長男であり後継者であるクラウゼとの合議で決定したのは。
ヘクサムの兵士養成所の長から届いた密書に記されていた、血縁であるカイザスを魔物の仕業に偽装し、殺害した訓練生への報復とその手段だった。
都合良く発生した、ヴェルゴ北壁を強行突破した魔物の群れ。
さらにラウム男爵家と次男フェフとの婚姻。
その全部を解決するべくクラウゼが提案したのは、伯爵家が主導で壁を越えた魔物の大群を討伐する隊を出撃させる事だ。
国境警備を任されていたレームブルグ辺境伯の精鋭部隊ですら全滅させた魔物を、伯爵家が撃退したとなれば多大なる名声を得る事が出来る。
しかも報復対象である訓練生には、悪名付きを倒したという前例もある。ただ権力を使い難癖を付けて抹殺するより、その力を有用に使ってから始末したほうが伯爵家にとっても都合の良い話だ。
──そこまでが現当主と長男の計画だったが。
『早く……早く見せて頂戴よフェフ。その連中が苦しんで死ぬ姿をどうしてもこの目で見たいのよ……っっ!』
「わかってますよ母上」
水晶に映る夫人は、歯痒さから口端を噛み。憎しみの感情が強かったからか、噛んだ下唇からは薄らと血が滲む。
息子の死に悲嘆に暮れ、憎悪の炎を燃やす伯爵夫人は、その計画では満足する事は出来ず。
どうしても。
どうしても、報復相手が苦悶して死ぬ姿をその目で見たいと願ってしまった。
そんな母親の復讐心を満たす目的で、フェフは危険な討伐隊へと参戦していたのだ。
即ち、カイザスの遺品である魔導具の力で。憎き報復相手が魔物に蹂躙され、死ぬ瞬間を母親へと見せるために。
「実力があっても所詮は兵士でもない訓練生数人。最前線で孤立させれば、生存は絶望的でしょう」
『そ、そうよね。そのために伯爵家も総出で動いたのだものね』
いくら悪名付きを倒した、とはいえ。相手となるのは北壁の一〇〇名以上の精鋭なる守備隊を全滅させた魔物の集団だ。
奮戦空しく、戦死はまず免れないだろう。
もし──何かの間違いで対象が生き残ったとしても。魔物の仕業に擬装し殺害せよ、と命令を周知させている。
それが目的で、討伐隊に参加する半数以上の兵士や騎士は伯爵家が直接雇用している、忠誠心の高い者らで占めており。かつ口止め料として、決して安くはない金を予め配ってある。
そしてつい先程、報復対象である訓練生の四人が隊に到着したのをフェフ自身が確認した。
後は隊を動かし、作戦を実行するだけ──だったが。
「ですが、一つ問題が」
『どうしたの……まさか! あ、あの連中に私たちの復讐計画を知られたとでも言うの?』
まさか伯爵家が、半年も前の出来事の報復に今さら暗躍している事が。報復対象である四人の訓練生に露見した場合。
訓練生にもかかわらず悪名付きを倒した武勇を、潰れるまで活用してやろうという目論見が完全に破綻してしまう。
とはいえ、計画に支障があるかと言われると。
訓練生らの末路も、討伐隊の成果にも大きな変化が生じるとはフェフは想定していなかった。
「確かに困った事態になりますが、違います。実は──」
と、いうのも。
今回の討伐隊には長男の指示で、ヴァロ伯爵家が抱える精鋭の兵士と騎士を一〇〇名以上派遣している時点で。
北狄、等と大層な名称だが。所詮は低能な魔物の集団など、問題なく討伐が可能だ。
もし伯爵家の関与を疑い、作戦に消極的だったり途中で戦場から離脱する真似をすれば。
それを理由に兵士らに拘束させ、母親の目の前で処刑をしてみせても良いからだ。
フェフが言う問題というのは、報復対象である訓練生四人と行動を共にしていた初対面の婚約者だったのだ。
「私の婚約者、あのラウム男爵家の令嬢が討伐隊に参加していまして」
『え……参加? ただの見学に、ではなくて?』
「ええ、討伐に参加です。しかも母上と同じではなく、寧ろ逆。あの女と共闘するとか」
計画では、あの訓練生四人には北狄との激突で一番危険な最前線に出す予定だ。
勿論、生命を落として貰う前提で。
それは「共闘する」と宣言した婚約者もまた、連中と同じく生命を落としてしまう事もまた意味していた。
『なら──仕方がないわね』
「母上? 仕方がない……とは」
フェフは一瞬、夫人が溜め息を吐きながらの言葉が理解出来ずにいた。
ラウム男爵家との婚姻が破棄されれば、後々に困るのは財政が逼迫しているヴァロ伯爵家。
対して、周辺に領土拡大政策を続けるこの帝国で、戦場での活躍が今後も期待出来るラウム男爵家。
感情的な問題である報復計画と、今後の伯爵家の将来を左右するフェフとガリエラとの婚姻関係。
長期的に見れば、どちらを優先させるべきかは誰の眼にも明らかであり。婚姻の当事者であるフェフは尚の事なのだが。
『計画の邪魔になるなら、巻き添えになっても仕方がない、という意味よ』
自分の腹を痛めた三男を殺され、復讐の炎が胸を焦がして止まない伯爵夫人だけはその道理は通用しない。
つまり夫人は。婚約者の身の安全を確保するため、報復対象の四人を最前線に送らない選択肢は「ない」と主張し。
「は、母上……それはっ──」
一瞬だけ、婚約者をも死地に送る罪悪感に顔を歪ませたフェフだったが。
そもそも伯爵夫人としてではなく、母親として抱いた邪な願望。
──報復対象の死ぬ姿を見たい、という。
それを叶えるために伯爵家での決定事項を逸脱し、わざわざ討伐隊に参加したフェフの心情。
伯爵夫人が、接点の少なかった三男を溺愛していたように。
フェフもまた自分の母親に対し、一般的な親子の情を超えた感情を持っていたのだから。
母親への情が、婚約者への同情を凌駕した瞬間に。
『だって、あの子を殺した憎き女を含め、絶対にここで死んで欲しいんだもの』
「……わかりました。母上の望みのままに」
フェフは婚約者と伯爵家の約束された将来を諦め、母親の歪んだ願いを叶える──それだけのために動く、と決意し。
こくん、と首を縦に振ったのだったが。
「何だ? 外が……騒がしいな」




