116話 北狄、ゼルビアを蹂躙する
何故なら砦での戦闘よりも、街に迫り来る小鬼の数が遥かに増えていたからだ。
その数、およそ一〇〇体。
周囲の難民を引き受ける以前のゼルビアの住人とほぼ同数の小鬼が、血帽子に率いられ。怒涛の如く、街を守備する衛兵ら二〇名程に襲い掛かった。
つまり実質、一対五。
数的だけでも圧倒的な劣勢だったのだが。
『ヒャッヒャッヒャアアア──‼︎』
耳障りな程の甲高い笑い声を上げた血帽子が、突然走る速度を上げ。戸惑いながらも盾を構える衛兵二人の間をすり抜ける。
同時に、両手にそれぞれ握った黒い短剣を素早く一閃。
衛兵ら二人の首を正確に掻き切る。
当然、致命傷だ。
深々と斬り裂かれた首の傷から激しく噴き出す真っ赤な血を浴び、自分の短剣に付着した血を舌で舐め取る血帽子の不気味な姿に。
ただでさえ命令がなく困惑していた衛兵らは、どうにか心の底から必死に振り絞った戦意が。完全に恐怖で塗り潰されてしまう。
「う……嘘、だろっ……」
「だ、駄目だ、お、俺たちじゃ、勝て──」
戦意を喪失した衛兵全員が、持ち場である戦場から逃走しようと考えは一致したが。
迫る小鬼の大群が、敵前逃亡を許さない。粗末な刃物を構え、抵抗する気力を失った衛兵らを数体ずつで取り囲み。
「「あ……あ、あ、あ……あぁぁぁ」」
如何に稚拙な攻撃と言えど、あらゆる方向から放たれる小鬼の武器に抗う術はなく。
衛兵全員が断末魔を上げ、小鬼らの餌食となってしまう。
だが、蹂躙はまだ止まらない。
血溜まりに沈んで動かなくなった衛兵らの身体を、玩び続ける小鬼らを割って前進してきたのは。
岩巨人との混血であるが故に、通常の種族より巨躯を誇り。ただ一体で砦の騎士ら数名を鉄兜ごと叩き潰した恐るべき食人鬼だった。
最早、防衛する者もなく。迫る魔物らとゼルビアの街を隔てるのは、複数の木材で増強された柵だったが。
その木製の柵は、食人鬼が振り下ろした拳でいとも簡単に破壊され。強引にこじ開けた入口から、魔物らの街への侵入を次々に許してしまう。
見張りから魔物の接近については警告されていたものの。町長の判断の遅れから住人の避難や街外への撤去等の指示がなかったため、住人らは未だ街に留まったままだった。
だからこそ。
「ま、街の中にまで魔物がっ⁉︎」
「し、死にたくねえ、逃げろおっ‼︎」
しかも頻繁に目撃される小鬼や犬鬼などの、戦闘経験がない大人でも数人で武器を持って囲めば対処の出来る、脅威が比較的に低い魔物だけでなく。
柵を壊してしまう巨大な食人鬼に加え、見た事のない魔物まで混じっているとなれば。
安全圏と思っていた街に侵入してきた複数の魔物の姿を目撃し、狼狽え、恐慌状態になるのは当然とも言えた。
「うわあああああああああああああああ⁉︎」
ある一人の──悪名付きの襲撃により住んでいた村を滅ぼされ移住してきた住人が。恐怖に耐え切れず、絶叫を上げた瞬間。
住人らの理性は完全に消し飛ぶ。
一人の恐怖に打ち震える言動が、まるで疫病のように次々に周囲の人間に伝播し。一瞬の内に街は混乱に陥ってしまった。
出来る限り、魔物から距離を取って逃げようとする者。
衛兵に守ってもらおうと誰もいない衛兵の詰所に向かう者。
まずは自宅に戻り、出来る限りの家財を持ち出して逃げる準備を整えようとする者。
あるいは街の外へ逃げる選択を取らず、自宅に戻り、魔物に発見されないよう身を潜める者など。
理性を失い、全員が統制の取れない行動を選び始める。
──その末路は悲惨の一言に尽きた。
街の外へ真っ先に逃走しようとした者らは、目敏い血帽子に発見、捕捉され。衛兵同様に首や腹を裂かれ、血溜まりに沈み生命を絶たれた。
幸運に恵まれ、街の外に逃げる事に成功出来たのは僅か数名のみだった。
無人の衛兵の詰所に集った者らは、衛兵の死骸弄りに飽きて侵入してきた小鬼らに囲まれ。全員が新しい玩具にされてしまった。
自宅に戻ったり隠れていた住人はというと。一軒ずつ食人鬼が丁寧に回り、その怪力で建物を破壊し。さらに小鬼魔術師の炎や毒霧を生み出す魔法を建物内部に放たれる。崩れた瓦礫や魔法で生命を落とす。
崩壊や魔法からどうにか生き延びたとしても。執拗に瓦礫を漁る小鬼や犬鬼、豚鬼の鼻を誤魔化すのは非常に困難だ。
結局、最初の町長の躊躇が致命的な結果を生み。
ゼルビアの街は僅かな間に、住人が不在となり、魔物が跋扈する魔境と化してしまい。
残すは町長の館、そこに集まっていた数人の街の代表らと衛兵隊長のみ。
まだ街の各所では建物の破壊、そして街の生き残りを探し回る魔物らが数多く徘徊していたが。
町長の館の周囲には、逃げ場がない程に魔物が集い。完全に包囲されてしまっている状況だった。
「ぐ……最早、これまで……か。ならば、っ──」
町長はこの一帯を治めるレームブルク伯爵家から、街の統治を委任された平民に過ぎない。もし街がここまで手酷く魔物に制圧された事が知れれば、生き延びたとしても重い処罰は免れない。
どう足掻いても命運尽きたのならば。咎人として死ぬよりも、町長の責務を全うして死にたい。
そう決意した町長は、家宝の長剣を握っていた。
すると突然、館を包囲する魔物らの大群が左右に割れ、一本の道が完成し。
群れの奥から、館へと歩み寄ってくる一体の魔物の姿に、町長や衛兵隊長は見覚えがあった。
「あ、あれはっ……ま、まさか『村喰い』っ⁉︎」
「ば、ば馬鹿なっ! 『村喰い』は半年前に討伐されたハズではないか?」
いや、正確には町長も隊長も悪名付きを実際に目撃した事はない。全部、目撃談と報告書で知った知識のみだったが。
それでも。
目の前に現れたのは、灰色の肌に小鬼が巨大になった容貌と、まさに報告にあった悪名付きそのものの特徴だったからだ。
……だが、衛兵隊長の言う通り。今二人の話題に挙がった「村喰いのグリージョ」は半年も前にヘクサムの養成所所長と岩人族の戦士らによって討ち取られている。
だからあの魔物が、悪名付きである事は絶対にない。
ならば、これだけの魔物の大群を率いて街を壊滅させた目の前の魔物の正体とは一体……と。
町長も衛兵隊長も、単純な疑問が湧いた、どうせ知ったところでこの窮地を脱しなければ、誰にも伝えられない情報を。
だが──その疑問を確かめる術は、ない。
何故なら、小鬼ら下位魔族は人の言葉を話す事も、聞いて意味を理解する頭もないのだから。
正体を聞いたところで、こちらの言葉を理解出来ない──だから。
「き、貴様らは何者だっ! 何が目的で街を襲った!」
町長の横で衛兵隊長が勇ましく問い掛けるが。相手が人間の言葉を介さない魔物である以上、何の返答もないのが当然の結果だろう。
そう、町長以外の誰もが思っていたのだが。
『目的ハ、あル』
驚くべき事に。目の前の魔物が口を開き、確かにそう言葉を発したのだ。




