115話 北狄、ヴェルゴの北壁を越えて
──一方、その頃。
北壁の守備隊が全滅してから既に半月程が経過していたが。その原因である北狄供は北壁で隔てた国境の外側、不毛な寒冷地に留まり続けているのだろうか。
答えは勿論、否だ。
圧倒的な戦力差を以って、守備隊を壊滅させた食人鬼や血帽子、小鬼魔術師に。
その全てを率いていた、言わば北狄の蛮王たる小鬼の変異種は。砦を攻めた時には参加していなかった多数の小鬼や豚鬼等の下位魔族を呼び寄せると。
早速、白薔薇領内へと侵攻し、蹂躙を開始していた。
とはいえ、国境から最も近しい位置に存在していた筈の農村は。
半年以上も前に単身、北壁を越えてきた通称「村喰いのグリージョ」なる悪名付きの小鬼の変異種の襲撃で壊滅的な被害に遭い。
生き残りの住人は、農村の再建を諦め別の地域へと移住してしまっていたため。
北狄の集団──いや、最早「群勢」と呼ぶべき数が。初めて人間の集落に到達したのは、北壁を越えてから五日後の事。
魔物らの目標となったのは、ゼルビアの街。
養成所のあるヘクサムや岩人族らの街モードレイと同規模の。都市、と呼ぶには少し小さい、二〇〇人程度の人口の街だったが。
半年前の悪名付きの襲撃で被害を受けた三つの農村からの住人を受け入れた事で、居住区や農地を拡大している最中だった街は。
今まさに、未曾有の危機が迫っていた。
「町長。今日もまだ、砦からの伝令は来ておりません」
「……そうか」
砦に常駐している五〇名程の騎士や兵士、そして伯爵に向け。食糧やその他物資を最後に仲介するのがこのゼルビアの街だ。
という事情もあって、一、二日に一度は砦から不足している物資の注文と、国境の外に異常がないかの定時報告がある……のだが。
最後に砦からの伝令が来たのは、六日も前。
以来、砦からの連絡が途絶えてしまっていたのだ。
そもそも、砦からの定時報告がある事を知っているのは町長や街の衛兵隊、それに近しい役職の人間くらいだ。
だから大きな騒ぎには発展していなかった。
それでも── ゼルビアの町長は、薄ら寒い嫌な予感に思わず肩を震わせてしまう。
「これで六日だぞ。砦に何か異変が起きたとしか……」
砦からの連絡が途絶えてから、町長はこの異変に何らかの対処をしなければ、と考えてはいた。まずは何が起きているかを突き止めるため、街側から砦に数名を派遣しようと。
だが、連絡が途絶える程の異変が実際に起きているのを理解して尚、砦に自分から志願して向かそうとする人間などいなかった。
町長、もしくは衛兵隊長の権限で命令を出せば簡単ではあったが。下手をすれば貴重な戦力や移動手段である馬を失う可能性も大、となれば。
『もう少し様子を見てみよう』
という楽観的発想から、ついに連絡が途絶えて六日を迎えてしまった。
砦に搬入している食糧には保存が利く干し肉等も含まれる。六日程度ならば、食糧が尽きる心配はない。
それでも、そろそろ街側からも何らかの行動を起こさなければならない、と町長が思っていた──その時だった。
突然、金属を打ち鳴らす大きな声が響いた。
「──な、何だ? 何の騒ぎだ!」
昼を告げる教会の鐘が鳴るにはまだ体感的に早すぎるし、教会の鐘が鳴るのは一度きり。
だが、喧しい鐘の音はまだ止む気配なく何度も打ち鳴らされ。しかも発生源は街の教会ではなく、入り口近くの見張り台。
見張り役の衛兵が、警告用の鐘を鳴らしながら。台の上から街に向けて叫ぶ。
「魔物だあ! 魔物がやってくるぞ! しかも大量にっ‼︎」
つまり見張り役が先程打ち鳴らした鐘は、魔物が接近している事への警告だった。
「ま、まさかこんな場所で『魔群暴走』が起きたというのか⁉︎」
魔群暴走とは、本来なら群れで行動しない魔獣や、同属以外とは行動しない小鬼ら下位魔族が。
原因こそ不明だが、無秩序に一〇〇体以上の大規模な集団を形成し。人の生活集落へと移動してくる現象を指す。当然、進路の先にある集落は無事で済む訳がない。
しかも、魔群暴走での魔物は普段よりも凶暴、かつ身体能力が強化されており。余程の準備や戦力が揃っていなければ、移動する魔物らに蹂躙されてしまうだけだ。
突然の緊急事態に慌てた町長の元へ、衛兵隊長と何人かのまとめ役が集まってくる。
ゼルビアの街は頑強な石壁で囲まれた岩人族の街と違い、街の内外を隔てているのは木製の柵だ。
従って、小鬼程度の戦力であれば入り口を閉ざし街に籠り、見張り台からの射撃や衛兵らの迎撃で。どうにか堪える事は可能だが。
「隊長、見張りは『大勢の魔物』と言っていた。その中に、大型の魔物はいたのか?」
「……残念ながら」
隊長が目を伏せ、口端を噛みながらそう答えた事で。
町長は「街に籠城する」という選択肢の一つを失った。
木製の柵が通用しない大型の魔物が含まれているなら、街に接近させてしまえば容易に柵は突破され、侵入を許した魔物により住民に大きな被害が出てしまう。
残る選択肢は二つ。街の全戦力を集結させ街から離れた場所で魔物と正面衝突するか。もしくはこの街を放棄するか、だ。
──だが、その選択肢も。
突然の爆音で二つ一気に失ってしまう。
「な、何だ今の大きな音はっ⁉︎」
「ちょ、町長っ……あれを見て下さい!」
誰かが指差した先には、先程まで魔物の襲来を告げていた見張り台が。燃え盛る炎に包まれ、崩れ落ちていくまさにその瞬間だった。
見れば、炎の中に懸命に藻掻く人影が一つ、いや二つ程。おそらくは見張り役の衛兵なのだろうか。
悪知恵を付けた小鬼が、襲った人間の戦利品として弓矢、そして火矢まで使う事は稀にだが、ある。
とは言え、放たれたのが火矢であるならば。見張り台が燃え盛るまで、見張り役が逃げる猶予は充分にあっただろう。
「炎の吐息……いや、おそらくは攻撃魔法」
つまり、今まさに街に迫る魔物の群れの中には。見張り台を瞬時に炎に包む程の魔法を使う、高度な頭の魔物が紛れているのはほぼ確実だ。
と同時に。
攻撃魔法が届く距離にまで、魔物の大群の接近を既に許してしまっているという事態に。
「な、何という事だ。これではっ……」
これで街に被害が出ない距離を空けて迎撃をする策も。街の住人を速やかに安全な場所に逃がす選択も取れなくなってしまうのを。
町長は理解する。いや、してしまう。
「ま……まさか。この魔物どもは砦を──」
六日前から途絶えた砦からの伝令。
突如、押し寄せた魔物らの大群。
この二つの異変は、実は繋がっているのではないかとも。
町長の予想は的中していたが、その事実に気付くのに少々手遅れであった事は否めない──何故なら。
魔物らは恐るべき進軍速度で、ゼルビアの街に一直線に迫り。
砦の精鋭である騎士を倒した血帽子や食人鬼が率いる先鋒は、既に街のすぐそこにまで到達していたのだ。
対して、本来ならば街を踏み荒らす外敵に対して盾となり剣となるべき街の衛兵らは。
半年前の悪名付きの一件もあり、増員と訓練で総勢三〇名ほどとなっていたが。
「「う、うわああぁぁぁぁああ⁉︎」」
絶望的な状況に追い込まれ、何の判断も下せなかった事で。
衛兵らに的確な指示を送る事もまた出来ず、辛うじて街の外へ出て。迫り来る敵の前には立っていたが、それも衛兵全員ではない。
何しろ直前に魔物の群れから放たれた攻撃魔法で、見張り台が焼け落ちるという事態を目の当たりにしていたのもあり。
その恐怖に負け、数名が敵前逃亡していた。
しかも隊長も不在とあっては、組織的な行動など一切取る事が出来ず。
恐怖を誤魔化すための大声を上げながら、ただ「死にたくない」という一心のみで。迫る魔物へと対峙していく。
だが──気持ちだけで状況をひっくり返せる程、衛兵らと迫る魔物らとの戦力差は切迫したものではなかった。
◼️魔群暴走
魔物の発生と活動が活性化し、凶暴化した魔物の大群が無秩序に移動する事例を「魔群暴走」と呼ぶが。
その原因の一つに、魔物と瘴気の発生源が何らかの理由で繋がってしまう「連結」という現象が挙げられる。
これが起きてしまうと広範囲に渡り。瘴気が次々に湧き起こり、通常の獣を魔獣に。魔族や魔獣をより凶暴に変化させ、より凶悪な性質へと強化してしまう悪循環が発生してしまうからだ。
魔群暴走が発生する原因が特定されている以上、発生源にも多少の共通点がある。瘴気、つまり奈落の魔力が発生し易く、かつ魔物が多数存在する場所──つまり奈落を祀る場所や、地下墳墓。あるいは地下迷宮等がそれに該当する。
当然ながら一度魔群暴走が発生をすると、魔物を侵した瘴気が自然に薄れる事は絶対に無い。凶暴化した魔物は食事や睡眠等の生命維持を放棄し、ただ暴徒と化すため。死ぬまで暴走が終息する事はなく。暴走が地域に与える被害は甚大なモノとなる。
最低でも一〇〇体程、さらには凶暴化した魔物の対処には、街の衛兵程度の戦力では戦力、数量の面から到底不可能であり。大規模な軍隊を編成しなければ止める事は出来ないだろう。




