59話 アズリア、敵から寝返りの誘いを受ける
もう一度アズリアの側に視点を戻してみると。
城壁に飛び乗ってきた3体の吸血鬼のうち2体を即座に斬り伏せていき。
残る吸血鬼は一体、なのだが。飾り気のない黒い長袖の服を着た他の連中と違い、目の前の男は金糸で刺繍された貴族が着るような豪勢な服装を身に纏っていた。
「ほう……この私を他の連中と同じに見ず踏み止まりましたか、その判断は褒めてあげましょう」
目の前の吸血鬼……肌こそ蒼白いが豊かな金髪の若い男は両掌を叩いてアタシを煽ってくる。
……確かに、コイツから漂ってくる凄まじい魔力をピリピリと剥き出しにしている肌で感じる。アタシが斬った4体の吸血鬼とは雰囲気から服装に至るまで、明らかに格が違うように感じた。
「貴女のその人間離れした剣技に敬意を評して一つ種明かしをしてあげましょう。この連中は我々吸血鬼の中でも隷属種と呼ばれている、言わば兵隊であり奴隷なのですよ」
「へぇ……じゃあつまりアンタは、この連中の御主人様役だってコトかい?」
「まあ、そういう事になりますかね。この連中は伝承のように仲間を増やせない、私と違って……ね」
そう言葉を返してきた吸血鬼は、自分の唇を指で持ち上げて不自然に伸びた犬歯を見せびらかしてくる。
そして、貴族の集まりで淑女を踊りに誘う時のようにアタシに手を伸ばすと。
「どうです?……見たところ貴女はこの国の人間ではないようですし、貴女のような豪傑をみすみす失うのは惜しい。そこで、私に血を捧げて下僕となる気はありませんか?」
踊りの誘いどころか、部隊の裏切りと人間を止めさせる提案をしてくる金髪の吸血鬼。
「ちょいと待った……それってアンタがアタシより弱かったら寝返り損じゃないか。まだ剣も交えていないのに判断出来るワケないだろ?」
アタシはまだ人間を止める気はないし、帝国に寝返る気はさらさらない。その上で金髪の吸血鬼に思わせぶりな返答をしていくと。
少し失望したように溜め息を吐かれ、
「やれやれ……さすがは傭兵、まずは実力を見せつける必要がありましたか。私なりに女性である貴女に温情を見せたつもりなのですが……」
目を赤く光らせて、背中から真っ黒な蝙蝠の翼を生やし。差し出していた手の指の爪が短剣のように伸びていくと。
「何しろ、一度戦いとなってしまうと加減を間違えて貴女を殺してしまうかもしれませんから、ね」
そう言いながら大剣の間合いなどを気にすることなく、無造作にアタシへと歩み寄ってくる。誘いを断られたのが余程腹に据えかねたのだろう、完全な臨戦態勢だった。
だが……金髪の態度を腹に据えかねていたのはアタシも同じだった。
「吸血鬼が如何程のモンだか知らないけどさぁ……4体揃えてこの程度だったんだよ。ならアンタは、アタシをどれだけ楽しませてくれるのかねぇ」
「ええ、存分に楽しませてあげましょう。そして感じて下さい……人間の限界と絶望感を」
それが二人が吐いた最後の言葉となり。
金髪の吸血鬼が振るった5本の爪の一撃を大剣で弾くとガッキィィン!と金属同士の衝突音が響く。
かたや徒手空拳だけあり、小回りの効く次の攻撃までの速さから繰り出される手数に、アタシは完全に受けに回ってしまっていた。
「これだけの攻撃を防ぎ続ける貴女の防御には驚きですが、守ってばかりで凌ぎ切れるものではありませんよ」
だが、金髪の台詞に反してアタシの大剣の取り回しによって爪撃がアタシを傷つけるまでには未だ至っていない。大剣によって完全に弾かれ、防御されているのに業を煮やした吸血鬼は、さらに爪撃の速度を上げていく。
それでも爪撃は何度となく弾かれていく。いや、弾かれるたびに苦悶の表情を浮かべている金髪の吸血鬼。
よく見ると、攻撃を弾く時に最初は広々とした剣の腹を使っていたのだが、吸血鬼が速度を上げてからわざわざ狭い範囲の刃の部分で爪撃を受けるだけでなく指や手の甲に剣撃を加えていたのだった。
その剣撃の傷自体は吸血鬼が有する再生能力で修復されてはいたが。超接近戦で有利な徒手空拳で攻撃側でありながら、いつの間にか不利な状況に追いやられたという心の傷までは修復出来はしなかった。
「……ねぇ、金髪のアンタ。コレでもまだアタシに限界と絶望感を見せてくれるってのかい?」
仕切り直しとばかりに、アタシも右眼の魔力を解放してこの戦闘で初めてアタシから爪撃を弾いて振り上げた大剣をそのまま斬り下ろす一撃を放つ。
その一撃を遥か後方へ飛び退いていき、何とか躱したつもりだったが……金糸で刺繍された豪勢な服の胸の部分が、パックリと裂けていたのだ。
さて、そろそろかな?
アタシが肌で感じた魔力を存分に使って貰わないと、わざわざ防戦一方を演じた甲斐がないってモンだからね。
「吸血鬼」について
定命である人間の身体を捨てるために魔法の儀式で自らを吸血鬼へと変貌させた者を「真祖」と呼ぶ。残念ながら現在のラグシア大陸では吸血鬼へと変貌する儀式の方法は喪失されている。
その真祖に血を分け与えることで下僕となる事を許された者どもを上位種の吸血鬼と呼ぶ。
上位種の吸血鬼はいくら血を分け与えても従属種の吸血鬼までしか作り出すことが出来ない。また死体に魔力を流すことにより隷属種と呼ばれる吸血鬼を作り出すことも可能。
吸血鬼の中でも真祖や上位種は飛行能力、瞳による催眠、霧化、人間を遥かに超える身体能力、限定的な不死性を持つが。
流水を越えられない、鏡に映らない、太陽光を浴びると致死的ダメージ、飽くなき吸血衝動、銀に触れると身体が燃える、炎に焼かれると不死性を発揮出来ない、といった弱点を同時に併せ持ってしまう。
しかし従属種や隷属種は吸血鬼としての能力を断片的にしか継承されない。




