114話 アズリア、恵みの冷たい水
周囲が夜の闇に包まれる前に、一通りの作業を終えたサバランが。思わずアタシへと愚痴を漏らす。
「う、へぇ……手が血と泥でベトベトになっちまったぜ……」
獣や魔物を討伐した証明として、倒した敵の身体の一部を持ち帰る必要があった。
そのためサバランは、小鬼の死体を地面に埋める前に。特徴的に長く伸びた耳を切り取り、既に一〇個以上の耳が入った革袋に詰め込んでいたためか。
サバランの両手は切り取った時の返り血と、死体を穴に放り込む際に付着した泥ですっかり汚れてしまっていたのだ。
「コッチは手が泥まみれな上に、汗も拭けないときたよ」
一方、急ぎ地面を掘り起こしたためか。アタシの額には汗がびっしりと浮いていたが。
道具として使った両手剣、そして握っていた手も土や泥がべったりと付着していたためか。額の汗を拭う事も出来なかった。
下手に額を擦れば、頭に負った傷口に手に付着した泥が入るかもしれないからだ。
すると、横から現れたイーディスが。
「……お疲れ様だ、二人とも」
「うおっ⁉︎」
「つ、冷たッ?」
驚いたのも無理はない。何しろ、突然アタシやサバランの血と泥で汚れた手に、水を浴びせられたからだ。
しかも温くない、冷たい水を。
水が漏れ出さないよう加工された革袋に、ヘクサムを発ってからずっと入れておいた水だ。当然、温くなっているのが当然の筈なのに。
イーディスが浴びせてきた水は、今まさに深掘りされた井戸や川から汲み上げたばかりの冷たさだったからだ。
「お、おいイーディス……こりゃあ?」
疑問に思ったアタシは、綺麗になった手で額の汗を拭いながら。冷たい水をどう手に入れたのかを当人に問う。
するとイーディスは、アタシとサバランに浴びせた残りの水を口に含みながら。
「死体を埋めるのは二人に任せて周囲を探ってたら、偶然見つけた」
見つけた、というのは水源をという意味だ。そういえば、辺りが暗くなる前にとアタシとサバランが懸命に小鬼と首のない悪名付きの亡骸を埋めていた際、イーディスの姿が見えなかったが。
まさか、貴重な水場を見つけてくれていたとは。
しかもわざわざイーディスは、アタシらの前で発見した水場から汲み上げた水を飲んでみせている。という事は、汲んで直接飲める程の水だと教えてくれている。
川ならともかく、窪みに偶然水が溜まったような水源の水は泥や藻で水が汚れていたり。街から出た汚水が流れ込んだりし、汲んで直接飲むと腹を下したり体調を崩す事も暫しあるが。
イーディスは自分の身を以って「この水は安全だ」と確かめてくれたのだ。
そのイーディスが水を飲み終えると、アタシらに歩み寄り、口を付けていた水袋を差し出してくる。
「ほら。二人も喉が乾いてるだろ」
「ああ、助かるよッ」
水袋を受け取ったというのに、尚もイーディスはアタシに手を突き出したままだ。まるで何かを要求するように。
「ん?」
「自分の水袋を出せ、二人とも。俺が新しく水を補充しておいてやる」
「それは助かるけどさ、いいのかい?」
「サバランはともかく、アズリア。さっきの小鬼との戦闘の後、あれだけ水を飲んでたんだ。水袋の中も心許ないと思ってな」
確かにイーディスの言うように、先の小鬼十数体との戦闘を終えたアタシは、貴重な水だと知りつつも。水袋の半分ほどを一気に飲んでしまっていたのだ。
「じゃあ、頼むよ」
いくら負傷を免れていたとはいえ、戦闘で疲弊している条件はアタシもイーディスも然程変わりはない。
水源の場所を知っておきたい気持ちはあった。しかし、周囲の陽が落ち始めた今。水源の場所を知っているイーディスに任せたほうがいい、とアタシは判断した。
もし水源が近場にあれば良いが、先程の戦闘で見せた足の速くなる魔法を用いて移動したのであれば。負傷しているアタシが同行すると、足を引っ張る──そんな可能性が頭に浮かんでしまったからだ。
「ああ、任せておけ」
アタシとサバランから水袋を受け取ったイーディスは、さらに地面に座り込んで魔力の枯渇で動けなくなっていたランディからも水袋を渡されると。
温くなった三つの水袋の水は一旦、荷物の中にあった調理用の鍋に空ける。温くなった、とはいえ貴重な水だからだ。
「完全に夜になるまでには帰る」
そう告げて、イーディスは空になった水袋三つを持って。木々の繁みの奥へと単身、明かりも持たずに進んでいく。
木々の奥に水を汲みに行ったイーディスを見送ったアタシも、ただ帰りを待っているのは何となく後ろめたさがある。
アタシは水が張られた鍋を持って立ち上がると。
「よし。食事を作るよッ」
「は? え……あ、アズリア、お前が、食事を?」
意外そうな声を上げ、驚いてみせたのは。先程まで小鬼を埋める作業を一緒に行っていたサバランだ。
養成所にはしっかりとした食堂に料理人まで配置されており、訓練生は朝と夜の二度、不自由なく食事にありつく事が出来る。
勿論、訓練内容を熟せれば……の話だが。
だから食事を作れるかどうかを知る術は、確かにないのだが。
「何だよ? アタシは一人で暮らしてたんだ、当然食事くらいら自分で作れるさねッ」
「い、いや……確かにそう聞いてたけど、意外だなぁと思ってさ」
そう。
ヘクサムに来る前、故郷の街で暮らしていた頃には。街の食堂にも入る事を断られ。実家の母親からも疎まれていたアタシは。
街の外で食材を自力で調達し、自分で食事をする以外に生き抜く術がなかった。
だから独力で調理の方法を学んだのだ。それこそ度重なる失敗を繰り返し、試行錯誤の中で。
養成所が遠征用に予め準備し、持たせてくれた四人の荷物の中から、アタシは食糧を取り出していった。
「干し肉と、黒パンか。まあ、長持ちする食材としては、妥当な選択だねえ」
見たところ、ヘクサムの道中でも倒して調理した一角兎の肉を干して乾燥させたものと。
食堂に出てくる焼き立てのパンと違い、生地が黒く固く乾燥したパンだ。
干し肉、黒パンともに調理をせずにそのまま食べる事も出来る。後は干した果実や木の実を含め、保存食の定番なのだが。
戦闘を勝利で終えた直後の食事が、ただ保存食を噛んで食べるだけというのは負傷した身体にも堪えるし。何より味気がない、というものだ。
ヘクサムからの救援をこの場に待機し、待つだけの身とはいえ。気力の低下は、何か不測の事態が起きた際に充分に身体が動かない可能性がある。
だからこそ、干し肉や黒パンをそのまま食するのではなく、調理という一手間を懸けようというわけだ。
「だけどアズリア、一体何を作るつもりだ? 材料は干し肉と黒パンだけしかないってのに」
そう発言したのはサバランではなくランディ。なるほど、冒険者を経験した彼でもこの二種類の保存食ではまともな食事を作れないと思っているのか。
ランディの想定は悔しいながら的中している。
本当に使えるのがこの二つの食材だけなら、干し肉や固いパンを沸かした湯で柔らかくするだけだったろう。
──だが。




